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無意識に、さらに遅くなったリュエルの馬足のせいではなくて、シアンは二人が並ぶ距離を近くする。
「それにね、俺、どうしてもリュエルのそばにいたいの」
「……何の理由でですか」
「俺、リュエルが気になってしょうがないんだ」
「また馬鹿な冗談を……」
「馬鹿な冗談じゃないよー?」
出会った初めからこの調子だ。リュエルは頭が痛いという仕草すら、もうしない。
「あ、そうだ。そろそろ遺跡に行かなきゃいけない理由を話すよ」
シアンは旅に出たら理由を話すと言っていたし、それでなくてもシアンの周りにはいつも誰かがいて、いつでもゆっくりと話せるわけではなかった。それに、今は落ち着いたのだが、そうではなかったとしても、とてもじゃないがリュエルの方が、あの後シアンと話す気になれなかった。
だが、そのことをリュエルは少し後悔した。疑問に思っていたのだから、もっと早めに、なぜ今遺跡なのか話し合っておけばよかったのではないかと。いつも、どことなくふざけたシアンの表情が、奇妙に無表情に変わったからだ。シアンは何か秘密を語ろうとしている。空気だけでそう分かった。
「遺跡と……私が何か関係でも?」
「いや、多分リュエルは関係ない。……俺の中ではそう感じるだけ」
「え?」
訳も分からなかったが、普通ではない様子にリュエルは黙る事にした。どこか自嘲したように笑いながら、シアンは首を軽く何度か振った。
「オロフにはもう話したんだけど……、そう、あの塔に着いた最初の日だよ」
「最初の……」
リュエルは少し驚いた。二人が初日からそんなに話し込んでいたなんて知らなかった。
「何から話したらいいのかな。オロフの時にも迷ったんだ」
おしゃべりなシアンが言葉に迷うなんてあまりない。落ち着かなさそうに何度か頭や頬を掻いた後、ようやく決めたらしい言葉を放つ。
「俺、頭がおかしいのかも」
とんだ肩透かしだ。リュエルはそう感じて、少し皮肉っぽくなってしまった。
「……。あなたがどこかおかしいのは皆よく知ってますが……」
「いや、なんていうか、記憶がさ。っていうか他にも色々、変なんだ」
「……どういう……?」
いつもなら簡単に切り捨ててしまう冗談っぽい話の流れも、なぜか今はそうはなっていかなかった。ぽくぽくと馬が幾度も蹄を鳴らす間、リュエルは次の言葉を待っていたのだが、なかなか続いてはこなかった。見つめられたまま、シアンは難しい顔をして、砂の混じった夕暮れの赤い風に小麦の穂色の髪をなびかせている。
「なんて言ったらいいのかなー……」
掠れた声を出してシアンは頭を掻いた。
「俺、ここらとは全然違う国で生まれて大きくなって……んで、気が付いたら唐突に、知らない別の場所にいたんだ。そう、なにかがあったみたいで、ここからまだ北西の遊牧民の集落で目覚めた。でもなにがあったのか、どうしても思い出せなくって。それに憶えてる記憶も途切れ途切れなんだ」
「……記憶喪失ですか? 海の向こうから来たという人の話を、稀に聞かないこともありませんが……」
他所の島から来訪者は、この大陸では本当に珍しいことで、国の記録にさえ残り、国賓扱いされる場合もあるほどのものだ。
シアンがそうなのだろうか。それならハンターなどという危険な仕事で生計を立てているだろうか。シアン自身がぴんと来ない顔をしている。
「うーん……。どうなのかな? あと、俺、小さい時の自分の顔が思い出せないんだ。ただ、肌の色はもっと……褐色っていうのかな、浅黒かったのは憶えてる」
そう言ってシアンは自らの腕や肘を不思議そうに撫でる。日焼けこそしているがシアンの肌色はリュエルと同じ、白色種と分類される薄さだ。
「え……えっと……?」
シアンの話はだんだんと雲行きが怪しくなる。
「それにレヴェロの斑。あれ、俺にもあったんだ。今はすっかり無くなっちゃったけど」
それを聞いてからは、リュエルの頭は働かなくなってしまった。
「ど、どういうことなのかわかりません……」
「うん、俺も」
さっきシアンが言っていた。「頭がおかしいのかも」と。今ならもっとましな返答がリュエルにもできそうだった。
何から話したらいいのか。シアンは、きっとまた考えていたのだろう。しばらく何も言わなかった。ずいぶん待った頃、やっと、ぽつぽつと話し始める。
「俺さ、ずっと親父の仕事を手伝ってたんだ。小さいころから弓や罠作りを親父に厳しく仕込まれてた。呪術で使う呪薬の原料、あ、つまり動物の臓器ね、それを獲る為にさ。親父は末端ではあるけど国の組織に属する呪術師だったんだ」
リュエルは驚いていた。弓は分かるが呪術とは。シアンは術とはあまり結びつかない。それに魔術ではなく呪術だ。
「呪術……ですか? 代償と引き換えに力を得るという……、レヴェロが魔術を体系化してからは、廃れ、今では失われつつある技だと聞いていますが…」
「うん。でも、ここらとは違って、そこでは魔術じゃなく呪術が主流だったみたい」
「あなたも、呪術を行っていたのですか?」
「うーん、そこがね、よくわからないんだ。記憶がごっそり抜けてる。だから当然、今は使えるはずないし。でも呪薬を並べて、何かの準備をしているような記憶はあるから、そうだったんじゃないのかな?」
リュエルは変な気持ちがして仕方がなかった。シアン自身が語らなければ、シアンの話だとは到底思えない。そして、それはきっと本人もそうなのだろう。ずっと首を傾げ続けている。
「呪術ってあんまりイメージ良くないよね。必ず何かを犠牲にする術みたいだからね。昔いたカハって呪術師も異端とされて追放されたっていうし」
「カハのことをよくご存知ですね。歴史からもほとんど消されている存在なのに」
「うん。呪術がらみのことはけっこう調べたんだ。親父がそうだったから、何か……思い出す役に立つかと思って」
街道は通り過ぎる人もおらず、二人の話は滞りなく進む。滞ることがあるとすれば、シアンの言葉が時々、上手く出てこない時だ。
「色んなことを調べたり聞いたりして、生まれたのは〈マグァ〉って国だった、ってとこまでは思い出せたんだ。……ああ、〈マグァ〉ってこっちの言葉で言うと『鷹』って意味。けど、変なんだ」
「マグァ……ですか……? 聞いたことがありません。それは大陸のどのあたりにあるんですか?」
そう言うと、どうしてかシアンは笑った。
「うん。だからね、変なんだ。大陸のどこにもそんな国は無いんだよ。それに俺が知ってるマグァ語を話せる人もいない」




