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黒い烏が時折ぎゃあぎゃあと鳴いて空を行きかう。
これは、今から何日も前の、塔を出た日のことだ。
石ころだらけの荒野の真ん中を、ほとんど境が無くなってしまった街道がかろうじて続く。ここを徒歩で旅する者はよほど少ないのに違いない。稀に行き交う者は馬に乗り、街道らしきものに残る足跡もそれが駆けたものばかり。朝に見た薄い影がずいぶん濃く長くなっている。シアンがリュエルの馬の斜め後ろを追いながら、多分、聞こえるようにわざと呟いた。
「なんか怒ってるよね」
「別に怒ってなんかいません」
今朝、塔で皆が見送ってくれた折、オロフの言動にリュエルは苦笑していた。銭は腰帯の中に入れるのが良いだのなんだの、子ども扱いしたからだ。すでに大陸の東西を往復した、ひとりの立派な旅人だというのに。
けれどそれから太陽が上り詰め、下り始め、シアンがどんなくだらない話をしても、わざと馬から落ちそうにしたりしても、リュエルに笑顔が浮かぶ事はそれ以来一度も無かった。
「そうかなー、塔を出てからずっと刺々しいよ? 馬足も速いし」
怒っていないと言いながらもリュエルはそのあと口を開かない。
二人が往く南北街道は、風の織機によって森や砂漠など、様々な色に織り上げられた大地をよたよたと縫いながら、滅びた王国の領土の端を掠めて伸びる。国境警備隊などはいなかった。辺境と言う事もあるが、それ以前に、すでに国が崩壊しているからだ。
このあたりは街道のうちでも、唯一ラクィーズ領と接するあたりだ。
王都の方から伸びてきているらしい街道に合流する太い道が、奥にいくにしたがって深く草木に覆われてしまっている。通る者がいなくなったからなのだろう。
シアンが、伸び上がってもあまり変わらないが、馬の上でそういう動きをして、王都の方角、山と山に挟まれた平野の向こうを眺めた。心なしか、向こうの空が濁ったように黒ずんでいるようでもある。
ラクィーズ人であるリュエルだが、ここは見知った場所ではない。ないのだが、ラクィーズ領だというそれだけで色々思い出してしまう。リュエルは、なるべく景色を見なかった。
それを察したのだろうか。後ろをついてきていたシアンが、隣に並ぼうと馬足を速める。
「ねえねえ、なんかリュエルが俺のこと気に入らないみたいなのは知ってるし、こんな時に遺跡に行ってる場合じゃないって気持ちもわかるけど、君の師匠も認めてくれたんだから、そう怒んないでよー」
「……怒ってなんかいませんってば。遺跡のことは諦めました。それに、今私が不機嫌な顔をしたのだとしたら、それはここがラクィーズ領だった場所だから……」
「いーや。それでも怒ってる」
リュエルは困ったような顔をしてシアンを見つめた。本当に怒ってなんかいなかったのだ。
ただ、シアンがあまりに王子に似ているから――悲しみとマティアスへの憎しみとが蘇り、身の内で渦巻いて、どうしていいのかわからなくなってしまうことがリュエルには多々あるだけだ。それで、つい冷たく接してしまう。それだけは自覚していたが。
仕方なくリュエルは速度を緩め、シアンが追いつくのを待った。
「本当に……。あなたは皆にも慕われていますし、私も……今は優秀なハンターだと思っていますよ」
リュエルの囁くように小さな声は、それでも、ちゃんとシアンの耳にも届いているらしかった。「じゃあ」と反論されそうなのを察して、「でも」と急ぎ口を動かす。
「不満はあります。……やはりシアン、あなたは、あなたの疑問が解決できればいいだけなのですから、私たちと行動を共にして、危険を犯すようにしてマティアスに会う必要は無いと思うのです」
「うーん、でもねぇ……かといってねぇ。話を聞けば聞くほど、リュエルたち以外にマティアスに行き着ける人たちなんていないと思うし」
「……」
それも確かにそうだ。
もしも、オロフもラクィーズの騎士たちもなく、リュエルたった一人だったのなら、ただシアンにマティアスの情報を分けてあげられたかもしれない。けれど、それはありえるはずも無いから、考えるだけ無駄と言うものだ。リュエルは口をつぐんだ。




