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「リュエルっていうんだ。へえー、いいね。あんまりここらじゃ聞かない感じだけど、もしかしてラクィーズの方の名前なの? あっ、何才? 何才?」
「ええ……そうです。……十七才です」
抵抗する気の失せたリュエルは、だらだらとシアンの質問に答えながら、トゥキと共に使い込まれた大きなテーブルを囲んでいた。二人と一匹の目の前、そこには豚肉を中心とした豪勢な料理が所狭しと並ぶ。ここには味の良い地元の豚種があるらしい。
どかどかと店に入り込んで、なじみらしい店員にこれら全てを注文したのはシアンだった。もちろんリュエルにお礼として振舞う為なのだろうが、普通、とても二人で食べ切れる量ではない。だが、知り合いらしい仕事慣れした店員が驚いた顔もせずに並べたということは、多分日常的にそうなのだろう。細身だがこの男、意外と大食漢らしい。
給仕のようにてきぱきと料理を取り分けながらも、途切れる事の無いシアンの質問交じりの話はとりとめない。リュエルは力なくちんまりと、段々と隅に追いやられていく野菜の煮込みをつつきながら対応した。浅く腰掛けた、足の長さの不揃いな椅子の座り心地すら、もはやどうでも良くなっていた。
話の合間にシアンは町外でも評判の、こってり濃厚なサハタ豚料理をしつこく何度も勧めた。だが、元々菜食気味のリュエルには、気分も手伝って、どうしても食べる気が起こらず、その度に遠慮した。
それを喜んでいるのはトゥキの方で、取り分けてもらった皿に首を突っ込んで、自分の体の大きさほどもある、よく油の乗った肉塊に一心不乱に食らいついている。リュエルと一緒の旅では、普段滅多には、こんなものにはありつかせてはもらえないのが、勢いに拍車をかけたかもしれない。
ここは宿から程近い酒場だ。シアンが森で言っていた美味い店とやららしい。地元の町人たちはもちろん、旅慣れた男たちや腕に憶えのありそうな猛者たちで大いに賑わう。
「で、このイタチみたいな変な獣の名前は……トゥキって呼んでたっけ?」
シアンはリュエルのことを興味津々で眺めていた目を、そばの小さな獣に向けた。話題に出されたトゥキが肉をくわえたまま、癇に触ったようにシアンを威圧的に睨む。その黒く縁取られた口の隙間からは、細く尖った小さな歯がぎざぎざに覗けている。リュエルはそれを眺めながら、一応というつもりで忠告する。
「ピニークは賢いんです。あまり不用意にしていると、また引っかかれるかも知りませんよ?」
心なしか、トゥキの目がきらりと光ったようで、シアンが一瞬ぎょっとする。苦笑いしながら、そろそろと手を移動して、頬にうっすらと赤く残る三本爪の痕を押さえた。そのぴりぴりとするような痛みの記憶は新しいはずだ。
しばらくはトゥキと視線で距離を測っていたのだが、飽きたトゥキがまた肉塊に目を向けると、ようやくシアンは開放され、おもむろに腕を組んで目を閉じ、何事かを深く考え込んだような姿勢で止まった。それがあんまり奇妙な感じがして、きょとんとしてリュエルとトゥキまでもが見守っていると、やおらあってから、ようやく口を開いた。
「……しっかし君らって、なんだか色々異常だよね」
「異常って……」
思いもよらない言葉にリュエルが目をしばたかせ、テーブルの上のトゥキはくるくると三角の耳を回す。シアンは一度深く頷いて言う。
「だってそうだろ? リュエルってば、こうして普通に座っちゃってるけど、魔術士なんだから。それに、なんだか意思疎通できちゃう獣と一緒だし」
「術士だということはともかく……。ピニークは……、だから、賢いんです」
「賢いったって、賢すぎだと思うんだけど」
「あなたはまだ、ピニークのことをよく知らないだけですよ」
「いや、それにしたってだよ」
リュエルとトゥキが困ったように顔を向き合わせる。その様子を見て、シアンはますます硬く腕を組んで深く首を折る。
「それに『術士なのはともかく』なんて言うけどさ、どっちかって言うとそっちの方が本題で、そんな素質を持つ人間自体が千人とか二千人に一人しか生まれない程度のものでしょ? 本当に術士になるのは、その半分、そんでそれが、たいていどっかの町とか国に召抱えられちゃうだろ? だから、こんな場末の酒場でこんな風に晩メシ食ってるなんて、みんな夢にも思わないんだろうってのに、こんなになんでもなく居られると、ほんと、なんか異常を感じるよ。それに腕前も異常級だよ。山ほどのエヴィアを一瞬で消し去るんだから。あれは討伐隊が組まれるくらいの量だったよ? あれ? もしや、ただの術士なんじゃじゃなくて、まさか師範?」
「いえ、師範ではありませんし、そうなる気も無いんですが……」
「ふーん……」
急に口を閉じたシアンは、今度はしげしげと、文字通りつま先から頭のてっぺんまでリュエルを穴の空くほど見つめる。
「な、なんでしょう……」
たじろくリュエルには変な汗が浮かぶ。最後にいいだけその様子を見つめたシアンはまた出会った最初と同じことを言った。
「可愛いよね」
「……え……はい……。それはどうも……」
あまりその言葉に真剣味が感じられなかったので、赤面する事もできなかった。ぎこちなく応対する。けれどシアンには好印象を与えた。
「うんうんうん、その世間慣れしてないノリの悪い感じも好きだな。最高。きっとピニークとか髭ジジイばっかりいるような所で修行にでも明け暮れてたんだねー」
話してもいないのにシアンが適当そうに言ったことは、大まかに言えば大体当たっていて、リュエルはどきっとさせられる。もしかしたら意外と観察力があり、勘も良い男なのかもしれない。
「まあ、俺が手取り足取り色々教えてあげるから、心配しなくていいよ」
シアンはそう言って、ひとりうんうんと頷く。なんだか嫌な気配しかしなくて、少し見直したはずのリュエルはまた、怪訝に眉をひそめて冷ややかな視線を送った。
「シアーン! サハタ豚のロースト、あがってるぞ! ここに置いとくからな!」
いきなり、そんな怒鳴り声が二人の元に届いた。驚いて振り返ると、奥の厨房入り口から強面が顔を出していた。風格からして、この店の料理長だろうか。シアンが面倒そうに立ち上がる。
「えー!? おやっさん、ちゃんと運んでよ。俺、客なんだけどー?」
「やかましい。こちとら火が出るような忙しさだっていうのに、始終にやついてるお前見てると腹立つわ。いいからさっさと持ってけ!」
「ちぇー」
舌打ちしながらもシアンは律儀に料理を取りに立った。やり取りとは裏腹に、シアンも料理長らしき男も笑っている。この店でも、宿でのように気兼ねない人間関係を構築しているらしい。そのせいで逆に、全く客扱いされていないのは不幸であるようにも見えるが。




