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哀の千年闇士  作者: ふぇんねる
二章 森の狩人
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 リュエルの口からその人の名が漏れかかるが、目の前の男のいきなりの行動が、それを高く短い小さな悲鳴に変えた。


「きゃあっ!?」


 男がリュエルに抱きついたのだ。全力でリュエルは暴れて、男を跳ね飛ばす。


「うわあっ!」


 かえって驚いたような、そんな声を上げて男はよろける。するとリュエルの鞄にいつの間にか避難していたトゥキがさっと出てきて、軽業のように男に飛び移り、顎の上に上手に乗って顔を引っ掻いた。


「ぎゃーっ!!」


 顔を押さえた男は二、三歩おぼつかなく後ずさりしたのち、そこらの木の根に足をとられ、あたふたしながら派手に尻もちをついて仰向けに倒れた。


「うーっ……痛てて……」


 それでも顔から手は離れない。勢いよく地面にぶつけた尻よりも、トゥキに掻かれた頬の方がずっと痛いらしい。

 目をしばたたかせ、ばくばくと早鐘を打つ心臓を押さえるようにして、リュエルは身を縮こまらせる。


(な、なに? この人……。よく似ているけど……)


 距離を置き、しばらく様子を伺っていたリュエルだったが、唸りながらも男がなかなか立ち上がってこないので、やがておずおずとその顔を覗き込み始めた。トゥキの爪は剥けば鋭い。その気になればエヴィアをひるませるくらいのこともできる。傷が深いのかもしれない。


(人違い……?)


 籠手をはめた男の手の指の隙間から、少しだけ顔が見えた。その頬には赤い爪あとが浮かび上がっていた。その傷も気になるのだが、それと一緒に、リュエルは男自身を観察していた。髪の色、肌の色、さっき見たところでは瞳の色も。体つきや声色も、リュエルが思う人にやはりよく似ている。


 その間に、男の胸の上で軽い威嚇を続けていた例のリュエルの相棒は、覗き込んで屈み込み始めた主人に気がつくと、するするとその腕を伝って首の後ろに回って収まった。そして、まるで猫のように主人に顔を摺り寄せ、大役果たしたとでも言いたげに小さく鳴くと、満足げな様子で主の髪に埋もれる。


(そう、人違い……。だって彼は……)


 リュエルは心の中でそう自分に呟く。

 溢れてくる記憶と想いをようやく飲み込んだあと、思い出してトゥキの頭をそっと撫でた。そして、おもむろに男のそばに腰を落とした。傷を心配していた。正当な理由もあるが、かなり強く突き飛ばしもした。


「すみません……大丈夫ですか?」


 再び覗き込むと、男の目は丸く見開かれていた。怒っていてもおかしくなかったが、ただぽかんと指の間から、不思議そうにリュエルとその伴獣の一部始終を見つめていたらしい。声をかけられてやっと言葉を思い出したかのように口を開く。


「……何? その獣……イタチにしちゃ小さい……ネズミ? それともまさかエヴィア?」


 自分のことを言われているのが分かったのか、トゥキがまた主の髪の間から顔を出し、毛を逆立てた。高い息を漏らしながら小さな口に生えたぎざぎざの細かな歯を見せた。


「うわわ……わかった、わかった……イタチでもネズミでもないんだな。悪かったよ」


 男がそう言うと、トゥキは納得したように元の場所に戻っていく。いくら賢いとはいえ、言葉を持たない相棒の代わりにリュエルが説明した。


「ピニークです。ただの小動物です。獰猛な面もありますが、意外に人に慣れやすいんですよ。ラクィーズでは珍しくもないんですが……初めて見ますか?」

「あ、ああ。ラクィーズには行ったことがないんだ……」


 ラクィーズというのは大陸の中央部にあった王国の名だ。小さな国だったが、最初に腐沼に沈んだ国として今では有名だ。


 男はまだ寝転んだまま顔を防御して、その隙間から怖いもの見たさのように恐る恐るトゥキを見たが、トゥキの方は嫌がって姿を完全に隠してしまった。男は残念そうにした後、起き上がり、手を膝に置いた。


 トゥキが掻いた爪痕は、三本の線になって頬に残っていた。その傷は細いが、ピニークの引っ掻き痕はいつまでもひりひりと痛いのを、身近にしているリュエルはよく知っている。申し訳ないと思いながらも、心のどこかで、どうしても別のことが首をもたげる。やはり、見知った人によく似ている。

 でも似ているだけだ。そう思い直しても震える声を無理に抑え、リュエルは尋ねた。


「……あなたは? どうして時分にこんなところに?」

「んー。べっつに怪しい者じゃないよ。ただの旅のハンター」


 男はどこか軽薄な雰囲気を醸し出しながら、にんまりと笑顔を浮かべた。素らしいが、それがリュエルにはあまりにも衝撃的で、つい、言わなくてもいい言葉を漏らしてしまう。


「……顔はよく似ていますが、性格は全然違うみたいですね……」

「え?」


 失言に気づいて、赤らめた顔をさっとそむける。そして誤魔化す為、つい責めた。


「そ、そんなことより、いきなり抱きつくなんて失礼ですよ!」

「あー、ごめんごめん。可愛かったから、つい」

「……」


 リュエルが怪訝に見つめていると、男がまたあの嫌な感じで笑う。


「あれ? 普通、女の子にそんなこと言ったら照れるか喜ぶかするもんなんだけど」


 好きになれない、と思った。

 それは単なるリュエルのわがままだ。似ていると思った人と、内面があまりにも違っていると感じたから。単純に言えば、がっかりしたのだ。





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