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その全てをリュエルはほぼ一瞬で認識し、理解し、決断した。
「……トゥキ!」
そうとだけ肩の相棒に声をかけると、リュエルはその睨み合いの中に飛び込んでいた。無論、助けに入るつもりでだ。男の背方向から駆けて追い越し、かばうような位置でエヴィアとの間に割って立つ。敵との間合い、成人男性の身の丈にして三人分といったところにまで、一瞬で詰める。
だが、いくら素早い行動とはいえ、エヴィアたちが身構えることができないわけがない。突然の来客をむしろ歓迎して、一層姿勢を低くすると、唸りながら爛々と禍々しく光る眼を向けた。長く鋭い牙をその口の端から剥き出しにする。
その後、一拍もなく、そのうちの一匹がリュエルに向かって駆け出し、地を蹴った。高く飛んだ空中で鋭い爪を光らせる。
しかし相手はリュエルだ。すでにその時には、胸元を横切らせた左腕、結んだ印を解いた後の柔らかく丸めた掌の中央には、きらきらと輝くものが具現化し、解き放たれる時を待っていた。駆けながら術の詠唱はすでに終えていたのだ。
リュエルは体の前で交差させていた腕を、勢いよく反対側に振り切る。
途端に、いくつもの結晶面を煌めかせる短い氷槍がひとつ、さらに形成されながら飛び込んできたエヴィアに高速で向かった。氷槍は瞬時に標的に突き刺さったにも関わらず、その時には剣ほどの長さに成長し、額から腿まで、針が布を通るように簡単にエヴィアの体を串刺しにした。
愚かなエヴィアの断末魔の絶叫が聞こえることはなかった。氷槍は貫いただけではなく、突き刺す為に触れたそばからエヴィアの体の全てを術が伝播し、その身を完全に凍結させたからだ。
リュエルの鼻先で、爪の先まで氷の塊と化した物がいきなり勢いを失い、慣性を無視して真下に落ちた。そして、まるで硝子細工のようにあっけなく、綺麗な音を立てて砕けた。
背後で男の声が上がる。
「なっ……!?」
助けが来たことになのか、それともこの尋常ではない術の力に驚いているのか、その力を行使したのがまだ年若い少女だったからなのか、別の理由なのか。そのどれもなのか。とにかくも、男の声は続きを発せられないほどの驚愕に染まっていた。
しかしリュエルには、まだすべきことがある。後ろの男を振り向きもせず、再び森のへりから現われ続けるエヴィアたちに鋭い牽制の眼光を送った。敵はまだ、たった一匹倒しただけだ。続けざま、早口で口の中で何事かを唱え、指を絡めて素早く数種の印を結ぶ。それを阻止するように、エヴィアたちが今度は群れをなして襲い掛かって来た。
緊迫した状況ではあったが、リュエルは冷静だった。たった今、薙いで氷の槍を飛ばした腕が白いのを衣服の間から覗けさせながら、半身になって再度体の前で反対の腕の方へ引く。指遊びにも似た印を、同時進行で正確に結びきった後は、間髪入れずに今度はその腕をもう片方の腕と共に、素早く前に押し出した。
途端、あたりに嵐が発生した。腕の動きの方向に違わず、指揮棒で操られる音楽の従順さで、リュエルの背後から生まれ出てエヴィアの群れ全体へと向かって強烈に吹き付ける。術者の髪をなびかせ行き過ぎた後は、微細な氷片を含む激しい吹雪と変わっていた。
リュエルが術の発動時にその身に勢いをつけるのは、その動きで高揚した精神状態が術に影響するからでもあるし、実際にその勢いの分、放たれた術の速度が上がるからだ。
術の到達以前に危険を察知して牙を剥いたエヴィアたちは、氷風を行使するリュエルを一刻も早く引き裂こうと、駆け出すために揃って前足を上げる。しかし、そのままの形で動かなくなった。氷の粒の交じった嵐はきらきらと輝きながら、あっという間に辺りを凍りつかせたのだ。白く塗ったように地という地が凍りつき、樹木には霜の華が咲く。標的であるエヴィアたちに至っては、文字通り、芯から凍りついてしまったのだ。中には怯んだものたちもいたが、同様に、腰が引けた形をまざまざと晒した。
そうしてエヴィアたちは、最初の犠牲者の時よりも高く澄んだ心地よい音を立てて内部から破裂して砕けた。後には何も残らない。対峙していた幾多のエヴィアたちは全て粉よりも微細なものになって、最後の氷交じりの大風がどこかに吹き流していってしまった。
見届けたリュエルが腕を下ろし、ようやく安堵の深い息を吐いた。全てが済んだ。
すると、辺りの術も一気に解けた。縛りついたような霜を纏わせていた木々も、凍り付いていた地面も、何事も無かったかのように本来の色を取り戻した。時を早めたように氷解は一瞬で、魔術の痕跡はどこにも残っていない。ただ、エヴィアの群れが忽然と消えた以外には。
卓越しているとはいえ、リュエルにだって、いつもいつもこんな魔術をたやすくは行使できるわけではない。今は、エヴィアの数が数だったし、何より今は、助けるべき存在がいた。その緊張と気負いがいつも以上の術を放たせた。
反動で精神的な疲労が凄まじかった。はあ、と深い息を吐くと力が抜けてしまい、その場に片膝が落ちた。後ろから、助けた男が駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「き、君、大丈夫?」
「ええ、大事ありませ……」
そう答えかけて、男の顔を見上げたリュエルの顔が再び強張った。視線がそこに、強力に張り付く。
「えっ……!?」
日焼けこそしているが、リュエルと同じ白色肌種に属しているらしい男の髪は黄金に煌めき、その下では穏やかな色味の青い瞳が開かれていた。目口の要素は濃いめで大きいが、面長の顔に嫌味無くすっきりと収まっている。
(似て……いる……?)
庶民が纏う安い簡素な衣服を纏ってはいるが、その容貌はまさに、今は亡きはずの……。