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絵の事には造詣がないリュエルにでもわかった。さして高価でもなさそうに扱われているその絵にはやはり、ありふれた構図でありきたりの野花が描かれている。三流画家の仕事だと。特別に価値ある品でもない。
だがリュエルの心はそこに強く射止められた。薄紅の唇が呟くように僅かに震え、開く。
と同時に、現実は現実味を失い、瞬時に少女の視界を支配したのは、初夏の瑞々しい緑に飾られた白壁の美しい王宮のある景色だった。その脇には絵に描かれたのと同じ、何の変哲もない無数の野花が、青臭く仄かに甘い香りを放ちながら茜色に暮れかかる風に揺れる。そうして、その中には逆光で輪郭を輝かす人影があった。
まだどこかに幼さの残る、大人とも子供とも言いがたい容貌の少年が立っている。夕日を浴びて黄金色に輝く小麦畑のような色の髪の下で、湖色の穏やかな瞳を飾る幅広の二重が細められる。
『エルー』
少年はそう言ってこちらの方に手を伸ばした。
その手を取って応えようとして、その姿が、景色が、全てが、炎に包まれたかと思うと、次の瞬間には全て消え失せていた。
目の前には唐突に、愛すべき旅の伴侶の小さな姿がある。リュエルの胸の上から、不思議そうにその顔を覗きこんでいた。ずっと照っていたはずの強い日差しも、久方ぶりかのように眩しく少女を出迎える。大きな瞬きを数回繰り返してやっと、リュエルは状況を把握した。
「ふふっ……すみません。白昼夢を見ていました」
自然と自嘲が浮かんだ。それは時間にして数秒のことだったかもしれないが、リュエルには深かった。首を振りうつむく。起き上がる主の体から脇に下りたトゥキは、まるで説明を求めるように見上げた。リュエルは悲しいような寂しいような目をした。
「昔のことです。とある美しい国にいらっしゃった、敬愛していた方のお姿を見ていました。……それだけですよ」
トゥキが左肩から登って右肩に渡って行き、主人の頬に擦り寄った。そのくすぐったい感触が、まだ過去の幻影に囚われていたリュエルを無理やりに現実に引き戻す。
リュエルは優しくトゥキの頭や背を撫でて肩の上での収まりをよくしてやる。そして、少ない荷物をまとめて立ち上がった。オアシスの湖畔に埋め込まれた簡素な舗道の敷石に乗り、市街に戻る道に進む。しばらくはここにやっかいになる。まずは宿探しだ。
振り払うように急加速して進んだが、その足は、けれど次第に遅くなり、道を中ほどまで行ったところで自然と止まった。いつのまにかうつむけていたらしい顔を上げると、リュエルはおもむろに振り返り、元いた場所を眺めて目を細めた。まるでそこに、今、自分が回想した人が残っているかのように。
「許されるなら、いつか私はあの方にお仕えしたいと願っていました。レグリス様の護衛となり、一生を捧げたいと……」
いるはずのない人を見つめ、リュエルは眉根を寄せる。
「生きていれば今頃はご成人なされて、王位を継ぐべき、さぞ立派な青年におなりになっていたことでしょうね……」
そうして思い出の人を再びまぶたの中に戻し、閉じ込めるように、ゆっくりと瞳を閉じた。光も、風も、そこでは時を止める。