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男は大銀貨をコイントスのように指ではじいてリュエルに返した。そうして先ほどから滲んでいた嫌な笑みを今はくっきりとさせて、じわりと近づく。腰からはするりと、小ぶりだが鋭利な曲刀を抜き、その平らな側面を掌に当て、慣れた手つきでぽんぽんと軽く何度もはねらせた。
「あんた相当な上玉だ。こりゃあ、金持ちの変態ども相手でなくっても、すぐに買い手がつく。大銀貨どころか、金貨十枚だったとしても、返して惜しくない値がつくだろうな」
情報屋という仕事は、多分ついでだ。得意先がいるらしい事を考えると、本業は人売りなのに違いが無い。ヤニで黄ばんだ歯列に偉そうに挟まった金歯をむき出しにした男からは、明らかな悪意が発せられている。
しかしリュエルはそれを視界の端に入れたまま、まだ振り返りもしていなかった。肩に乗った連れの獣すら、いつの間にかまどろみ目を閉じていた。
不穏に、靴で踏みつけられた砂が狭い路地に鳴る。男はすでにリュエルを捕らえたような満足した笑みを浮かべて、一歩一歩、わざとらしく時間をかけて近づいてくる。
「恨むんなら自分を恨みな。年若い綺麗な娘が、丸腰で、それも一人で、こんな街はずれまで来ちまったことをな……。ひっひっひっ……」
そう言いながら男は、後ろ向きのリュエルの髪に血管の浮いたごつごつの手を伸ばす。
「金髪じゃなく白金髪か……。それに変な色の目だな。灰色? いや紫か? ……ちょっとケチがつきそうだが、物珍しがる奴も多かろう。なによりこの容姿だからな」
ついに男の手が、目の前の少女の長く綺麗な髪に届いた。男はすっかり上等の娘を手中に収めた気分らしい。それでもリュエルは避けもせず、身じろきすらせず、許す。あまつさえ、心底可哀想だというようなため息をもらす。
リュエルだって、年若いとはいえ、気が付かないわけはないのだ。崩れた泥壁の家の陰では、怪しげな者たちが禁じられた香草を売買していることを。薄暗い路地裏には、甘く危険な香りのする煙が暗い室内から戸布の隙間から立ち昇っていることを。
「触れたければどうぞご自由に」
そう言ったリュエルの声と共に、この灼熱の砂漠の街に、その冷ややかな声のような風が過ぎて行ったようだった。不思議そうに歪めた男の顔が、まもなく恐怖に染まる。
「ひっ……!? な、なんだ…!?」
男が裏返った声を恥らいなく路地に響かせた。音も無く、いつの間にか男の表皮という表皮全てが、着衣を含めて薄く、白く、凍りついていたからだ。
見たものを受け入れることができず、文字通り凍りついた男が見つめるその間も、リュエルの髪に触れた指先から順に、白く張った霜がたしかな氷の層となり、さらに厚くなっていく。硝子を割るような透明な音色を響かせながら、胴へ、足へと広がっていく。
「う、うわあっ!?」
先ほどまでの威勢は消え失せ、青ざめ慌てふためく男に、リュエルはいつもの様子で告げた。
「早く手を離さないと、体の深いところまで凍り付いてしまいますよ?」
「ぎ、ぎゃああ!」
男がやっと、飛び上がりながらのけぞってリュエルの髪から手を離した。そのまま砂埃を上げながら路地に転がる。その指先はすっかり赤黒く腫れ上がっていた。深刻な凍傷だ。見開いた目で、痛むのだろう指先と、さっきまで触れていた少女の髪とに因果関係を求めて交互に見つめる。だが、リュエルの髪は、ただ絹のようになめらかに、当然の体で揺れていただけだった。
腰を抜かし、地面の上でがたがたと震え始めた男は、ろれつの回らない口を無理に回す。
「な、ななな……なんだ!? お前、そんな若いのに、小娘のくせに、修行を積んだ魔術士だっていうのか!?」
リュエルが一歩男に歩み寄る。
「ひっ!」
男が悲鳴を上げた。その目の前にリュエルは先ほどの物を置いた。強い太陽の光に、眩しく反射する。大銀貨だ。
「代金ですから」
「……え?」
困惑する男をそのままにして、変わらない静けさを横顔に湛え、リュエルは肩でまどろむ伴獣に呟いた。
「トゥキ、行きましょう」