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決戦前日



 竜狩り騎士団、聖群青大樹騎士団とは不思議な物で、竜を強く警戒し憎みながらも、同時にその強さを讃えてもいる


 竜狩りの騎士達に長く歌われてきた様々な戦詩の中にもそれは現れている。長く竜を追い続ける内に竜に近付いていく生粋の竜狩り達は、矢張りその類稀な生命としての強靭さに惹かれるのであろうか



 鳴けよ竜。お前が我等と大地に残す傷に、時として愛しさすら覚える

 轟けし咆哮。天地よ砕けよ。名誉あるお前に。名誉ある我等に

 我等の胸はお前の為に震え、お前の心臓は我等の為に脈打つ

 血が燃えるならば血よ燃えよ



 ケルラインは朝焼けの中で斧槍を強く握り締めた。ただ一人きり、朝露の輝く古ぼけた城壁の上でドラゴンアイの紋章旗を掲げ持つ


 風が鳴く。何処かでビオが飛んでいる


 「鳴けよ竜。轟け咆哮、砕けよ天地、……か」


 唐突に背後に人の気配が現れた。足音高く石床を踏むその人は、胸を反らしてケルラインの隣に立つ


 インラ・ヴォアだ。彼女も歌うように朗々と詩を発した


 「お前の牙に大剣を。お前の息に大盾を。お前の瞳に紋章旗を」

 「髪を……どうした」

 「私の髪を気にする余裕があったか」


 からから笑うインラ・ヴォアは腰まであった筈の見事な銀髪を失っており、今やうなじに掛かる程しかない。余程乱暴に切り取ったのか側面の毛髪は不揃いで、大樹から垂れ下がる蔦のようになっている

 が、笑うだけであった。そんな事よりも、と言葉を続ける


 「竜が近付いている。ビオとアンヴィケは見事に奴を誘き寄せている」


 ケルラインは眉根を寄せた。インラ・ヴォアを相手に表情を隠しても仕方が無かった


 「……そうだな、血を吐きながら。……あれしか方法は無かったのか? アンヴィケをあれ程苦しませる事が……」

 「ケルライン、誰もが血を吐き、運命を呪いながらそれに殉じている」


 ケルラインは主神の祭壇の前で瞳を閉じたアンヴィケの姿を思い出す。ケルラインには想像も及ばない世界だが、常人に見えぬ物を見、聞けぬ物を聞くビオとアンヴィケには、竜と繋がる秘術があった

 今それを持ってして、黒竜を誘い出しているのだ。敵は翼を持ち風よりも早く大陸を横断する怪物だ。追って追える相手ではない


 だから誘き出す。しかしそれはアンヴィケにとって多大な負担となっている。竜と繋がったアンヴィケの心身は、繋がった物の強大さに押し潰されそうになっているのだ


 「戦士達だけではない。クアンティン王は総動員令を発した。年端も行かぬ子供たちからすら兵を取り、商人達からは物資を徴発し、難民の移動を完全に掌握し、一部国土の防衛すら放棄して、黒竜との戦いに注力したのだ」

 「解っている」

 「誰もが戦っている。夜の闇より深い絶望を前にして、それでもお前や私達を信じているのだ。アンヴィケも同じだ」


 誰もが未来の為に戦っている。老若男女の別なく、武器を取り、物資を掻き集め

 恐ろしい数々の強敵を前にそれを熟知して尚も恐怖と悲鳴を呑みこみ

 そうだ、誰も彼もが



 誰も彼もが、恐れて尚も



 言いたい事は解っていた。ケルラインとてクラウグス存亡を掛けた大事を前に必要な事は必要なだけ行う覚悟がある


 しかし、ケルラインは子供を率いた事は無いのだ。無垢な瞳をケルラインに向け、全てを投げ出して使命を果たそうとする、ケルラインを信じ切った純粋な好意の塊を


 「…………」

 「早ければ今日明日にでも黒竜は現れる。準備は?」

 「万全の状態で始まる戦いなどない」

 「そのような話をしているのではない」

 「では、万全だと答えよう。今のクラウグスが各戦線を維持したまま捻りだせる最大限の戦力、最精鋭達が集った。誰も彼もふてぶてしい面構えだ。万全だとも……死ぬ準備は」


 何を迷い、何に苦悩する。アンヴィケの献身を無駄には出来ない。高潔な意思でもってその役目を果たそうとする姿に、安易な同情を掛けるなど余りに無礼な振る舞いではないか

 振り払おう。死ぬには良い日だ。ケルラインは朝の太陽に手を翳した



 タジャロ要塞。クラウグス王都から北西に三日の距離にある、百年ほど前の戦で廃棄された要塞だが、黒竜との決戦に際し改修され、最低限の機能を取り戻している


 集うはクラウグス全軍から抽出された最精鋭四百名。各方面軍から選抜され十分な休養と装備を与えられた戦士達で、王自ら率いる親征軍以外でこれだけの練度の者達をこれほどの規模で招集するとなるとちょっとやそっとの事ではなかった



 カルシャを打倒してもそれで脅威の全てが無くなった訳では無い

 竜の動きに呼応する亜人マヌズアルと彼が使役する魔獣

 その動きを活発化させ、山野より忽然と出でてはクラウグス各所を脅かすゴブリン等の魔物

 大陸の人の手が入らぬ、未だ闇深き場所から竜の咆哮に惹かれて彷徨い出る邪悪な精霊

 カルシャの率いていた死霊の軍団も完全に消え去った訳では無く、未だ各地で猛威を振るっている


 今やクラウグスは正真正銘総力戦の状態にある


 敗北は許されない。このケルラインを筆頭とするタジャロ要塞に集った四百名で竜を討てなければ、王国の士気は完全に崩壊し、戦線は綻び


 そして滅ぶだろう。愛しき故郷、美しき祖国が



 そうはさせない



 「良い日であるか。……この期に及んでは私も生きて戻ろうとは思っていない。全身の血が流れて消えても奴の鼻面に雷の矢を叩き込んでやる」

 「誓うぞインラ・ヴォア。最後の最後まで戦う事を。例え死しても、多くの戦士達がそうであるように、ドラゴンアイの紋章旗の元に舞い戻る事を。お前と共に戦う事をだ」

 「言うな。今更決意表明されずとも、お前の事はよく解っている」


 インラ・ヴォアは縦の拳を突き出してきた


 「ケルライン、兄弟よ。共に勝利の栄光と……名誉ある死を」

 「弓の姉妹よ。共に勝利と、名誉ある死を」


 ケルラインはそれに横の拳を打ち付け、そして解いた掌でインラ・ヴォアの白い指をも解かせ、絡みついてゆく


 強く握り合う。じわりと互いの熱が互いに流れ込む


 それを確かめていた時、インラ・ヴォアは言った


 「名誉を分け合うべき兄弟達は多いぞ。お前に会わせたい者が居る」



――



 インラ・ヴォアが向かったのは倉庫の一角であった。各地から徴発され、大急ぎでタジャロに掻き集められた物資が乱雑に放り込んである


 その中で男が一人、壁に背を預けて眠っていた。フードつきの藍色のマントに灰色の魔獣の革鎧

 魔法戦士団の正規装備だ。足音に気付き目を覚ましたその男は、のたりと鬱陶しそうに顔を上げる


 疲れ果てていた。男はインラ・ヴォアを視界に入れるや否や難しい顔をして俯いた


 「出たか死神、疫病神め」

 「心外だな」


 インラ・ヴォアは嫌味を物ともせずに言い返した


 「私はそんな奴等よりもずっと怖いぞ」

 「……御託はもう沢山だ。……貴公がケルライン殿か?」


 名を呼ばれ、ケルラインは男の前に立つ

 疲れ果てた様子を見かねて手を差し出せば、男はそれを握ってよろめきつつも立ち上がる


 「済まん。戦いには間に合わせよう。……今は、貴公に渡す物がある」


 言いつつ、マントの内側に手を突っ込む男。どうやら背中に何か隠していたらしい


 取り出されたそれはびっしりと包帯が巻かれた一抱えほどもある板状の物だった。恐らくは、盾


 無言で男は包帯を引き千切る。中から現れたのは矢張り盾だ。深い青の塗りの上に、翼を丸く掲げた鳥の様な印が描かれていた


 「この盾を、どうか。竜のブレスを跳ね返すのに必要だ。……この盾を手に入れ、マヌズアルのクソッタレから守り抜くのに多くの者が犠牲になった。俺の率いた百人隊は……全滅した」

 「……感謝する。貴公らの助けを決して忘れない」

 「そこの疫病神は酷い奴だ。あるかどうかも解らない盾の為に俺達を魔物の巣窟となっていた洞窟に突撃させた。其処にマヌズアルが現れ更に激戦に……。撤退しようとしても部下達の尻を蹴っ飛ばして絶対に許さず、本当に酷い奴だ」


 インラ・ヴォアに視線を向ける。常ならば何か言われて黙っているような女ではないが、この時ばかりは神妙にしていた


 「私を見るな。カルシャを討った後、お前は軍団の編成の為に王や王都から離れる訳には行かなかっただろう。竜の急襲も警戒する必要があった」


 ぼそぼそと言う


 ケルラインは厳かに盾を受け取った。普段使っている竜狩り騎士の紋章盾より重たい


 「エルフの勇者の盾だ。聖木ロロワナから剥がれ落ちた成熟しきった樹皮を元に、特殊な鉄を用いている……のだそうだ、そこの疫病神によればな。エルフの妙技は全く恐ろしい程の物だ。ブレスだけでなく、魔法も嘘のように跳ね返す」

 「火には?」

 「強いとも。だから俺は生き延びた」


 言い終えて男は沈黙した。何か言いたい事があるようだと察したケルラインはじっと待った


 男は手を差し出した。ケルラインも応じるように手を出して、強く握り合う


 男は泣いていた。握った手は震えている


 ケルラインには解る。覚えているのだ。僚友達が全滅し、たった一人目覚めたあの夜を

 だから、解る


 「頼む、どうか……、竜狩り騎士よ」

 「あぁ」

 「俺の部下達は……、その盾の為の犠牲は……、無駄ではないと……」

 「あぁ、証明する。必ず」

 「頼む……無駄死にではないと……お願いだ……」


 男の体から青白い燐光が滲み出るようにして現れた

 最早見慣れた光だ。それはケルラインの腰に装着された革筒の中、ドラゴンアイの紋章旗へと流れ込んでいく


 男が信頼し、男を信頼した魔法戦士達の魂が男に付き従っていた。今までずっと男と、盾を守っていたに違いない


 「約束したぞ、竜狩り騎士、同胞よ。さすれば俺も、決してこの命を惜しまない」


 それ以上言葉にならないのか、男は尻もちつくように座り込んだ


 「もう行ってくれ。先程も言ったように、戦いには間に合わせる。身体を癒す秘薬があるから、少し休めば何とでもなる」

 「ベッドを使わないのか」

 「一人で考えたい事がある。……他意はない」


 掛ける言葉も無く、ケルラインは背を向けて歩き出す。じわりと両の肩に力が籠る。また一つ託された。その重みがケルラインの内なる力を湧き立たせるのだ

 やらねば、と言う使命感


 インラ・ヴォアは足を早めて隣に追いついた。何処か満足げであった


 「彼に会わせたかったのか」

 「本当は勝手に教えては駄目なのだろうが、奴はシャンタルと言う。大陸を駆けずり回り、要人救出から遅延戦闘まで何でもこなしてきた魔法戦士団の長だ。或いは……密偵や暗殺者の真似事も。影の英雄と言っていい」

 「知っていた。あのような男が何人もいて、それぞれが力を尽くして、クラウグスの最後の一線を守り抜いてきたのだと」

 「実際に会ってみると更に違う物だろう?」

 「あぁ」


 言葉少なめにケルラインは応答する。倉庫は地下にある。地上へ戻るための階段を上り切った時、其処に一人の青年が待っていた


 随分と若いが革鎧は傷だらけでよく使い込まれている。歴戦の傭兵と言うに相応しい風体だったが面付きは朗らかで、素直な少年そのものだった


 インラ・ヴォアが青年を手招きした


 「会わせたい者はまだ居る」

 「彼か。もっと余裕をもって語らいたい物だが」

 「こうして間に合っているだけ僥倖と思うべきだ」


 竜との戦いにか


 そう言い返す前に、青年が右手を肩の高さまで上げて敬礼していた


 「ケルライン殿とお見受けいたしますが」

 「その通りだ。君は……傭兵か?」

 「バルマンセと。元は赤銅の牡鹿戦士団に居ました。今は義勇兵達の纏め役をしています」

 「義勇兵……と言う事は」


 クラウグス南西部ダニカス方面で大規模な義勇兵の団結が行われたことはケルラインも知っている。彼等は正規軍の支援が殆ど無い状況にも関わらず邪悪な精霊や死霊の軍勢相手に勇戦し、戦えない者達を大陸中央部へと脱出させた


 そして、甚大な被害を受けた。未だ犠牲となった者達の把握すらも出来ない状況だが、最も死傷者を出したのはこの方面の戦域だろう、とは騎士達共通の見解だ


 「済まぬ」

 「今必要なのは謝罪などではありません、決して。……これを」


 ケルラインの口を突いて出たのは謝罪の言葉だった。仕方のない戦況ではあった。誰にも余裕は無かった

 しかし本来護られるべき民草が騎士達の代わりに立ち上がり、その結果半分以上の者が戻らなかった

 言い訳は出来ない。ケルラインの正直な感想である


 「主神から神託を授かり、これをお届けに参りました。インラ・ヴォアにも助力してもらい、漸くです」


 ケルラインの謝罪を一言で切って捨てたバルマンセは黒い布を差し出してくる

 手に取って広げれば、それはマントだった。酷く古びており、端の方は破れていたり、擦り切れていたりする。装着する為の留め具部分も非常に古い


 しかし奇妙な迫力がある。しっとり濡れた感触で手に吸い付くようだった


 「このマントは只事ではないな」

 「大きな力を秘めていますが来歴は……。主神は教えてくださいませんでしたし……」


 バルマンセはちらりとインラ・ヴォアを見る


 「インラ・ヴォアも。……恐らく知らぬ方が良い事なのでしょう。兎に角、竜と戦う為ならばどんな物でも使っていただきたい。貴方の義務です」

 「……何処で手に入れた? 神殿に納められていた品か?」

 「神殿と言えば神殿ですが、何の神殿かは。何せ大層古い物でしたので。……まぁ、異形のスケルトンを祀っているような神殿ですので碌な物ではないでしょう。……カルシャとか言う田舎者にもう少し早く身の程を教えてやってくれていたら、このマントの入手も大分楽になっていたのでしょうが」


 ふ、とケルラインは笑う。毒でも皿でも食ってやろうと言う気分に、ずっと前からなっている


 迷わず聖群青大樹騎士のマントを外し、黒いマントを翻らせた。抑え金具で止めた瞬間、身体が軽くなる

 ハッキリと解るほどの変化だった。得体のしれない大きな存在が、酷く親しげにケルラインに寄り添ってくるのを感じた


 神か悪魔か。レイヒノムもこのように奇怪な贈り物を下さる事があるのだな

 ケルラインは目を細めるだけで僅かな疑問を抱く事もしなかった


 バルマンセが人を食ったような、山の狐のような意地の悪い顔をする。この傭兵は急に雰囲気をがらりと変える


 「下らぬ事だと私は思っていました」

 「何がだ」

 「誰かの為にと言う奴です。人は一人です。己の一生は己の為の物で、そして己の力でのみ切り開かれる。誰かに……誰にも任せられない大事です。そういう綺麗事は余裕のある御偉い騎士様方にお願いしようと」

 「独立独歩の気概は賞賛に値する物だ」

 「でも…………始め、死者の群れに襲われていた少女を助けました。その娘を助けたら次が居ました。それを助けたらまた次が。次には次が、そしてその次が」


 バルマンセが拳を突き出す。掌中から鎖が垂れ下がっていた。ペンダントか何かを握り込んでいるらしい

 ケルラインは無言で手を差し出し、それを受け取った。泥や煤で汚れた主神の聖印であった


 ケルラインは感謝の言葉を述べ、ペンダントを首に掛ける


 「本当は途中で止めたかったんですが、何故か出来なかった。多くの仲間と共に赤銅の牡鹿の長、金の鬣ロンブエルは勇敢に戦い、その末に主神に召されました。今は私を守ってくれているでしょう」

 「……戦士バルマンセ、君と、会う事叶わなかった君の戦友達に敬意を表する」

 「竜狩り騎士ケルライン殿、貴方の言葉に心から感謝します。王様にそう言われるより価値がある。……あっ」


 バルマンセはハッとして、バツ悪そうにインラ・ヴォアを見遣った


 「インラ・ヴォア、今のは無しだ。……気の迷いだ」

 「素直でないな」

 「違う。……もういい、笑うな」


 ケルラインには良く解らない遣り取りだったが、インラ・ヴォアは満足げに笑っていた


 バルマンセは気を取り直してケルラインに向き直る。そして真面目くさった顔をしたかと思うと、再び敬礼した


 「私の役目は終わりです、ケルライン殿。後は戦うだけ。……叶うなら、黒竜を討ち果たした暁には……安らかな眠りを得たいものです」

 「…………バルマンセ、私は決して君の死を願ってなど居ないが、それが本当に必要な事なのだとしたら……。君の魂に、誇りと名誉あれ」


 二人は拳を打ち付けあう。その瞬間、バルマンセの体から青い光が溢れた


 光はバルマンセを慈しむようにその肩の上を回遊し、竜狩りの旗へと吸い込まれていく

 吸い込まれる直前に、大柄な男の姿形を取った。男はサムズアップして、妙に男臭く笑った、ような気がした


 バルマンセは歯を食い縛って上を向いた。じわりと痛む両の眼から涙が毀れないようにしている


 「レイヒノムでもラウでもウスガンでもウルルスンでも何でも良い。……全てが終わった時には仲間たちの魂を、美しき天上へと導いてくれ。困難の連続であった彼等の一生を評価し、栄光と安らぎを与えたまえ」


 ケルラインは泣き出しそうに震えるバルマンセの声に堪らなくなり、右手で拳を作り天に掲げた

 ケルラインに習うようにインラ・ヴォアも続く


 「戦友に!」

 「勇気ある行動に!」


 バルマンセは応えずに踵を返す。涙を見られたくない、彼の意地である


 「二人とも、有難う。出撃命令は何時如何なる時でも大いに結構。我等は義勇兵ですが、心は皆と同じです。……同じなのです」


 歩き出す背中を二人は静かに見送った。その後、インラ・ヴォアがしたり顔で語り出す


 「あの小僧、相当な捻くれ者だったのだぞ。騎士なんて馬鹿の集まりだ。格好よく死ねればそれで満足な、無責任で知能の足りないろくでなしだとな」

 「……成程、彼なりの理論があるようだ」

 「解ったのさ、奴も。誰だって死ぬのが好きな訳がないが、何か大きな物事の為に、どんなに嫌でも死なねばならぬその瞬間と言うのを、悟ったのだ」


 報いることが出来るのだろうか

 ケルラインは呟いた


 魔法戦士シャンタル。義勇兵達の長バルマンセ

 彼等だけではない。彼等を始めとする多くの者達。筆舌に尽くし難い苦境、困難に見舞われ、しかし無言で耐える者達。祖国と王陛下と同胞達を信じ、夜を徹して戦い続ける者達



 眠らず、語らぬ者達の


 その献身に

 忠誠に

 勇戦に

 滅私に


 何より、犠牲に


 「お前は王ではない。王が考えて下さろう。……王都へと帰られた筈だな?」

 「当然だ。憤怒の形相であられたが、進言を容れて下さった。……あの方さえ御無事ならクラウグスは滅びぬ。何度でも立ち上がるだろう」

 「勇敢な少年王だ。だが命には軽重と後先がある。彼が先頭に立てば戦士達はこれ以上ない程奮い立つだろうが……そうして頂く訳には行かぬ」

 「陛下は重く、ずっと後と言う事だ」

 「その通り」


 そしてインラ・ヴォアは話を切り上げ、アンヴィケの様子を見に行こうと言い出した

 行動の早い女だから即座に歩き出す。ケルラインが着いて来る事を毛程も疑っていない


 ケルラインは少し黙考して、ずんずん進んで行くインラ・ヴォアの後を追った


 僅かな間、沈黙が続く。城壁に出れば少し冷たい風がケルラインの頭を冷やす


 そしてその冷たさがケルラインを後押しした


 「風が水を孕み、良い日だな。……インラ・ヴォア、少し、待て」



 誰もが戦っている。今更だ

 そしてインラ・ヴォアも言うまでも無く

 だが彼女へは、誰が報いる


 何をもってして?


 「我等はクラウグス、そして何よりも王陛下にお仕えする事を至上の使命とする」


 インラ・ヴォアは立ち止まるが、振り返らない

 城壁の上に吹く風が不揃いな銀の髪を揺らす


 「何だいきなり」

 「そして王陛下も、不遜な言い方だが責務を帯びておられる。数多ある重き責めの中の一つが、我等の功に報いて下さる事だ」

 「余分な事を考えるな。私の事など特に」

 「クラウグスを恨んではいないか。竜と戦う心の陰で」

 「私を疑うのか? ……ではお前ならどうだ、考えてみるがいい」


 ケルラインは呻き声を上げた。容易には結論を出せない問いかけだった


 忠誠を捧げそれを証明し、任務にあたりこれを完遂し、名誉と栄光を得てそれを後の時代まで伝える

 王国騎士の多くが思い描く理想の生き方だろう。しかしそれこそ陛下がその功績に報いて下さることが前提になっている


 インラ・ヴォアは、どうだ。ケルラインには彼女の胸中までは推し量れなかった

 彼女達は多くの者を守ったに違いないが、彼女達に報いてくれる者は、最後には無かった


 ケルラインは矢張り呻く


 「俺には解らん。……お前が蔑ろにされたら決して許せないだろうと、……多分、それだけだ」

 「無邪気な奴。……状況と言う物がある。人がやる事には大体の場合意味があるだろう? 我等の身に降りかかった凶事も、当時の情勢を考えれば妥当だったのかも知れぬ。……それが正しくて、良い結果を齎したかは全く別の話になるが」

 「納得出来ていると?」


 口に出した以上、中途半端に終わらせる心算はケルラインには無かった。どれほどインラ・ヴォアが応え辛かろうと、決着を得る心算であった


 インラ・ヴォアは早口になり、肩をいからせる。怒っているのではなく、焦っているのだとケルラインは考えた。ケルラインの言葉は、予想以上にインラ・ヴォアを追い詰めている


 「……答え難い。私は戦士の宣誓に置いて、正義と真実の遵守を誓っているからな。……ケルライン、聞いてどうする。もし私がクラウグスを許せないと言ったら、お前は私とクラウグスのどちらを取る」

 「クラウグスは祖国、お前にとっても」

 「諭すような事を言うな。祖国に裏切られた愚鈍な私に酷な質問したのはお前ではないか。…………今しがた言ったな、私が蔑ろにされたら許せないと」

 「許せない」


 インラ・ヴォアが振り返る。今まで決して見せなかった物憂げな表情だ


 常に勇ましく、恐れを知らず、敵と見れば猛然と襲い掛かり、己の身に降りかかる苦難に少しの気後れも見せなかった女が


 ケルラインだけに疲れ果てたような、寂しげな顔を見せた


 「馬鹿者、本当に無邪気で馬鹿。お前のように不器用な奴はそんなにいない。……ならば私か、クラウグスか。私は間違っていた心算は無い。間違っていたのは世界の方だ。私は信念と同胞達への忠誠の為、今の言葉を覆せない」

 「そんな事は要求しない。この件に関わらず、何に置いても間違っている方を正すだけだ」

 「それでするりと片付くのなら、人間は黄金の時代を永遠に継続させ、地上は神々すら一目置く楽園となっているだろう」


 ケルラインはインラ・ヴォアの肩を掴んだ。吐息の触れる距離でその黄金の瞳を覗き込む


 「お前の気持ちを」


 インラ・ヴォアは焦ったように言葉を紡ぐ。有無を言わせぬケルラインの迫力に気圧されている


 「…………確かに私は……クラウグスを恨んでいる。五百年前のあの時、彼等がもっと賢明で理性的であったなら、勇敢であってくれたなら、ロロワナ戦士団は後顧の憂いなく戦えた。どんなに絶望的な戦いでも、背後から切りつけられるような惨めで寂しい死を向えずに済んだ筈なのだ。」

 「竜とは相容れない。竜の行動を見れば解る。それ以上に我々は奴と繋がっているのだ。奴は戦いと殺戮を楽しみ、それでは飽き足らず我儘この上なく強敵を望み、己の強さと傲慢さを証明し、自己陶酔に浸りたくて仕方がない。戦うほかない。勝利か、滅亡かだ。お前は間違っていない」

 「解っているならばもういいだろう! ……私は偽りなく答えた! 次はお前だ!」


 ケルラインは頷かなかった


 「選びなどしない。二度言うが、間違った方を正すのみ。何に置いてもだ」

 「無理だ。竜に屈しようとしたことが知られればクラウグスの威信に大いに傷がつく。誇りのみ失われるのではなく、実際の統治にも大いに影響がでる」

 「王陛下は絶対に我等を見捨てたりなどしない。過ちがあればそれを認め、正して下さる。俺はクアンティン陛下を信じている」

 「……私に何を求める。お前は今、私の古傷を抉っているんだぞ。私を痛めつけて楽しいのか」

 「お前も信じろと言っている!」


 ケルラインは全身にじわりと汗を掻いていた。何故だか悔しくて、悲しくて、仕方が無かった


 「ロロワナ戦士団の名誉を復活させ、その戦いを正しく評価していただこう。彼等の墓所を新たに整え、憂いなく天に昇れるように」

 「これから死ぬ我々が、どうやってそれをする」

 「陛下に手紙をしたためた。ガモンスク将軍にも根回しは済んでいる。若く忠実で熱意ある王城の騎士達にも」

 「……そんな事、何時の間に。……しかし結局人任せか」

 「だから信じろと言った。陛下とクラウグスを信じろ。……お前の戦い方は余りに孤独だぞ。報われぬと思い込んだまま戦うのは」


 ケルラインは右手で拳を作り、インラ・ヴォアの胸へと押し当てる。革鎧の上からでも心臓が熱く、断続的に叫んでいるのが解る


 インラ・ヴォアも痛い程握り込んだ拳を解き、ケルラインの手を慈しむように撫ぜた。震える声でケルラインに応える


 「……信じよう。お前の言う事だから。お前を信じて、お前の信じるクラウグスを信じよう」

 「受け入れてくれて感謝する、インラ・ヴォア」

 「それは……可笑しな謝意だな。……だがお前の気持ちと言葉は、少なくとも私への慰めになった。戦友達にも」


 インラ・ヴォアは身を寄せた。クラウグスの厳かな朝の陽光と冷たい風の中で二人は抱き合った

 これまで銀の髪が隠していたうなじから草原の若葉の匂いがする。インラ・ヴォアは嘘偽りのない女だが、そういった意味合い以上に彼女の心の奥底まで踏み込んだ気がした


 そして今、何よりも近くにいる。溶け合ったようにすら、感じた



 インラ・ヴォアはケルラインの胸に額を押し付け、ぼそりと言う


 「私の、髪を気にしていたな」

 「教えてくれる気になったのか?」

 「隠したかった訳では無い」


 インラ・ヴォアは腰のポーチから青い布を取り出した


 「これだ」


 インラ・ヴォアはそれをケルラインに押し付けた。銀糸で刺繍の施されたスカーフだった

 刺繍の内容は弓を構えるケンタウロスで、何処かの武家の家紋と見て取れる。ケルラインは銀の刺繍に指を這わせる


 その艶やかな光沢と感触には覚えがあった。ベッドの上で、これを手櫛で梳いた


 「この刺繍はお前の髪か」

 「……何だその顔は。言っておくがな、私は死後、レイヒノムの戦士の座に名を連ねる事が決まっている」

 「それは……この上なく名誉な事だ」

 「だろう? つまり私は神の戦士。その私の魔力を込めた髪で刺繍した。必ずやお前に加護がある。……本当はこんなに切る必要は無かったのだが」


 こういった事は、不得手で。インラ・ヴォアは詰まらなそうに言った。そう言った事を学ぶ余裕は、これまで彼女には無かった


 ケルラインが壊れ物でも扱うかのような丁寧な手付きでスカーフを首に巻くと、インラ・ヴォアは満足げに頷く


「ルーベニーからは太古の竜狩りの鎧を得ただろう。私はお前に斧槍を手配し、多くの犠牲を強いてエルフの勇者の盾と謎多き魔力のマントを準備させた。そのスカーフは、私からの最後の贈り物だ……」

 「俺には過ぎた武具達だ」

 「今のお前の姿はクラウグス史に残る如何なる勇者にも劣らない。以前も言ったかも知れないが、敢えてもう一度お前を称賛しよう。旗手ケルラインこそ、クラウグスで最も偉大な戦士だ」


 お前の次にな。その言葉をケルラインは伝えずに置いた


 インラ・ヴォアは言葉を続ける。眼には煌めく物が溜っていた

 黄金の瞳が輝きを増している


 「きっと私の人生は、多くの者から見れば碌でもないそれだったのだろう。戦いばかりの」

 「俺も似たような物だ」

 「しかし私はそもそも戦いの中で生まれ、竜狩りの仲間達と、時を超えた先ではお前にも出会えた。背を預けるのに不足ない、勇敢で高潔な男。……今私は私の生まれた意味を知っていて、支え合う同胞にも恵まれた。こんなに嬉しいことは無い」

 「俺も……まぁ似たような物だ」


 インラ・ヴォアはケルラインの顰め面を少し眺めて笑う


 「照れているのか。可愛い奴だな」

 「そうではない」

 「おい、ケルライン」


 唐突に背を向けるインラ・ヴォア

 ケルラインは言葉を待った。風に揺れる銀の髪を眺めていた


 「一度しか言わぬから、忘れるな」

 「言え」

 「好きだぞ」


 ぶっきらぼうに言うとインラ・ヴォアは勝手にずんずん歩いて行ってしまう


 ケルラインは鼻を鳴らして後を追う。先程インラ・ヴォアから掛けられたからかいの言葉を、聞こえぬように言い返した


 「照れているのか。可愛い奴」


 最初から最後まで、あの女傑にはやられっぱなしだ

 ケルラインは苦笑した



――



 アンヴィケの汗は止まらない。祭壇の前に跪くアンヴィケから伝う汗は小さな水たまりになるほどだった


 レイヒノムの祭壇は淡く光り続けている。身体を小さく変異させ、アンヴィケの肩に留まるビオは、癒しの風をその小さな体に送り続けている



 ケルラインは膝を着いてアンヴィケの手を握った。アンヴィケはケルラインとインラ・ヴォアを見ると、にっこり笑った


 「…………インラ・ヴォアの陰りが払われました。ケルライン様、有難う御座います」


 インラ・ヴォアは言葉を詰まらせる


 この小さな少年に常に思い遣られていたのだと、改めて理解したのだ


 「アンヴィケ」


 どのような言葉を、とケルラインは思う

 どのような言葉を、掛ければいい


 辛くない筈がない。この少年は祭壇の前で祈る中、一度は少なくない量の血まで吐いた。代われる物ならば代わってやりたかった


 全て承知の上で行っているのだ。慰めはその決意を侮辱する事になる。安易な激励の言葉は、その辛さを味わう事許されないケルラインには、とてもではないが掛けられない


 ケルラインの手を握りながら、アンヴィケはやっぱりにこりと笑う

 ケルラインは意を決した。アンヴィケは子供ではないと、漸く納得したのだ


 「戦えアンヴィケ。お前の決意を、竜狩りの旗は見届けるぞ」


 ビオが高い声で鳴いた。風は続いている



 アンヴィケは発光する祭壇に縋りつくようにしながら目を閉じた。顔は蒼褪め、ともすれば絶命しているようにも見える


 「ケルライン様」

 「どうした」

 「ケルライン様、僕は……」


 握り締めた手に力が籠る


 「僕は嬉しいです」

 「アンヴィケ……!」


 思わず声が震えた


 「僕の……僕の父はサヴァンの街の神父でした……。父は、僕の力を……恐れていました。悪魔の力だと、僕は悪魔の子だと……」

 「そんな訳があるか。レイヒノムに掛けて、その男は聖職者である資格がない」


 憤ったインラ・ヴォアが鼻息荒く怒りを露わにする


 「僕は怖くて……、そして、誰もが僕を怖がって、信じてくれなくて……、僕は……」

 「俺は信じる。インラ・ヴォアも。どのような力を持とうと問題ではない。アンヴィケ、お前が力を尽くしたことを俺達は知っているからだ」


 にっこり笑ったアンヴィケの両の瞳から涙が溢れた


 「ありがとう、御座います。……インラ・ヴォアが、初めて言ってくれたんです。……恐れることは無いって。王都に導かれて……、ケルライン様にお会いして……」


 アンヴィケの体から青い白い光が零れ始める。それは少しずつ、少しずつ竜狩りの旗に吸い込まれていく


 思わず声を上げかけたケルラインを、ビオの冷ややかな声が止めた


 「騒ぐなよケルライン。アンヴィケの言葉を聞いてやるのが、君の最も重要な役目じゃないのか。……安心したまえよ、アンヴィケには僕が着いているのだから」


 嘴でアンヴィケの頬をくしくしと突くビオ。それによりアンヴィケは僅かに生気を取り戻す

 ケルラインは漸く安堵した。風精ビオがアンヴィケを守ると言うのなら


 「ケルライン様は……見ず知らずの僕を信じて、使命を与えてくれました……。嫌われ者の僕に、生きる意味をくれた……。僕は、クラウグスの為に、誰かの為に、戦えることが……、未来の為に、戦えることが……」

 「お前はこの戦役に従事する戦士達の中でも敵う者がない程の戦士だ。お前は……それを自分で証明した。もう子供扱いなどしない。お前は立派な俺達の戦友だ」


 アンヴィケはケルラインの胸に取りすがった。黒金の鎧の内側にすっぽりと包まれてしまう程、アンヴィケは痩せ細っている


 その小さな少年が、純粋無垢な瞳をケルラインに向けている



 「僕は……誇らしいです」



 青白い光が溢れ部屋を埋め尽くす。主神の祭壇は光を増し、ビオは高らかに鳴いた


 光は空中を踊りまわり、水が流れ込むように竜狩りの旗に吸い込まれていく


 光が完全に消え失せた時、ケルラインは心臓が握り潰されるかのような重圧を感じた


 息もできない程であった。遠方から雷鳴のような竜の咆哮が聞こえた、気がした


 「……聞こえたかケルライン、人間達を取り纏めろ。竜はこちらへ向かうだろう。恐らく明日の昼前には戦いが始まる」

 「アンヴィケは」

 「後の事は任せてくれて構わない」

 「信じたぞ」


 それだけしか言えなかった



――



 主神の祭壇の間を出て、ケルラインは何も言わず城壁上へと向かう


 天空を睨み付け、太陽に旗を掲げた。それにインラ・ヴォアが寄り添う


 「兵達に伝えなければ」

 「あぁ」

 「ケルライン。これで漸く決着がつく」

 「そうだな」

 「……私を恨むか?」

 「何故だ」

 「お前の傷を癒し、無理に魂を留め、戦場へと引き摺り戻した。お前だけでなく、多くの者に苦戦を強いた」

 「それが必要だったのだろう」

 「必要だったとも」

 「目を閉じるがいい」


 ケルラインはインラ・ヴォアに言いつつ彼女に向き直る


 素直に目を閉じたインラ・ヴォアの顎を捉え、素早く口づけた


 「もう馬鹿な事を言うなよ」

 「……報いよう。アンヴィケ、シャンタル、バルマンセ、……多くの同胞達に、勝利をもって」


 ケルラインは再び天空を睨み付けた。この空の遥か彼方に黒竜がいて



 そして黒竜もケルラインを睨み付け、こちらを目指している。ケルラインにはようく解った


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