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不屈のインラ・ヴォア


 闇に追われていた。ケルラインは朽ち果てた砦の中を駆けていて、それを背後から追う闇が居た

 四肢のある闇だ。ケルラインは埃塗れの廊下を転がるように走りながら後ろを振り返る。其処には輪郭すらあやふやの、黒い何かとしか形容できない物があって、その闇は四つん這いで妙に生々しい動きでケルラインを追ってくるのだ


 荒れた砦の中でただ一人、武器もなく逃げ続けるしかない。ケルラインは人の身の脆弱さを思い知らされる

 如何に鍛えようとも人知を超えた怪物には抗しようがない。人間など、単純な肉体の力で見れば野の獣の大半に劣る


 無様に息を切らしながら走り続け、ケルラインはとうとう城門へと追い詰められた。開閉機構の破壊された鉄の門は今はケルラインを閉じ込める檻の蓋となってしまっていた


 闇がのたりのたりと近付いてきて、ケルラインに生臭い息を当てる。全身から急激に熱が奪われる


 「馬鹿な、成すすべなく、死ぬしかないのか」


 闇が大口を開いた時、左手に柔らかい感触があった

 何者かが己の手を握っている。そう感じた時、ケルラインは目を覚ました



――



 寝台の横に立つインラ・ヴォアがケルラインの左手を握っていた

 温かさを感じた。寝汗をかいている癖に冷え切った肉体に、そこから人の熱が流れ込むようだった


 「許せ、旗手ケルライン」

 「……何だ?」


 起き抜けに掛けられたインラ・ヴォアの言葉にケルラインは疑問を返す

 ケルラインはインラ・ヴォアから謝罪を受ける謂れは無い。何故謝るのか


 「私ではお前を完全には癒してやれない」

 「そのような事を……気にしていたのか。気に病む事ではない。私の心の弱さゆえだろう」


 一体どんな寝言を吐いていたのかとケルラインは恥じ入った。夢の中で訳の解らない物から逃げ惑い、酷い泣き言を聞かれていなければ良いが


 すると暫し考え込み、そうではないとインラ・ヴォアは言った


 「お前を狙うのは竜だけではない。世の理の外側に住まう虚ろの者ども。魔界から地上の光を羨む悪鬼達。いずれも強敵だ」

 「知っていたのか、カルシャの事を」

 「カルシャだけではない。有象無象の者達もお前をよく見ている。現世に住む人間の中にすらそれは居る。お前に真正面から挑む勇気を持たぬ者は、様々な搦め手を使ってくるだろう。最早……夢の中にすら安息は無い」

 「…………この悪夢が何者かの手による物だと言うのか」


 ケルラインは顎を撫でた。汗は何時の間にか引いていた。じわりじわりと流れ込むインラ・ヴォアの熱が、ケルラインに力を与えていた


 「竜の睨みは彼我の魂の距離を縮める。我等は竜と繋がっている。夢の中で竜の目を見なかったか?」

 「……以前は、見た。不気味に笑う目が……多分そうだった。今は違う。闇が追いかけてくる」

 「魔道とは複雑な物だ。私も詳しくは知らない。だがその使い手は竜とお前との繋がりに介入しお前の魂を奪おうとしているのだろう」


 ぞわ、と背筋が冷たくなった。得体の知れない物に狙われる恐怖であった


 同時に笑いがこみあげてくる。解らぬから怖いのだ。ほんの少しでも理屈が解ってしまえば、ケルラインは覚悟を決める事の出来る人種であった


 「不思議な物だ。ハッキリと言われて逆に心が奮い立つ。……元より黒竜と戦う覚悟を決めた時から、安眠は得られぬ物と思っていた」

 「…………ふふふ、……ならばよい、同胞よ」


 インラ・ヴォアは凛々しく笑った。左手を握る力が強くなり、ケルラインは引き起こされる


 全身に酷い倦怠感があった。インラ・ヴォアはそれを見越していたようで、ケルラインの背を支えた


 「じきに日の出だ。それと同時に金の髪の子供が現れる。その子を迎え入れてやれ」

 「……また、唐突だな。どういった事情なのだ?」

 「その子供は西の都市で神官の子として生まれた。人ならざる者の声を聞くことが出来る。これからの戦いの助けとなる」

 「そのような力の持ち主が……。話は分かった。その子供の名前は?」

 「アンヴィケ。お前の新しい武器を持たせている。祝福された戦斧を打ち直し、多少無理矢理ではあったが槍の穂先を取り付けた。目印になるだろう」


 今回インラ・ヴォアが言いたい事はそれで全てのようだった

 何時ものように瞬きの間に消えると思われたが、インラ・ヴォアはケルラインの前に縦の拳を突き出してくる


 「これから先、夜はお前と共に居よう。悪夢を払う一助とならん」


 ケルラインは横の拳で応えた


 「貴公が助けとなってくれるならこれ程心強い事は無い」

 「煽てられるのも悪くはないな」


 凛々しく笑って、インラ・ヴォアは姿を消した



――



 クアンティンの周囲には常に人だかりが出来ている。生え抜きの文官達が様々な資料を持って走り回り、クアンティンは重大な決断を、日に何度も何度も下す

 時には酷く冷酷な決断もある。誰かの反感を買ったり、不満を募らせる結果になったりもする。しかし全ては必要な事だった


 それら全てと真正面から向き合い、尚怯んだ様子を毛ほども見せないから、ケルラインは自分の半分ほどしか生きていないクアンティンの事を王であると言う以上に尊敬している


 「騎士ケルライン、そのアンヴィケと言う子供は……この事態を打開する役に立つのだな?」

 「私はインラ・ヴォアを信じています。アンヴィケという子供の事も信じます」


 渡り廊下で王に付き添いながらケルラインは言った。クアンティンは国中から集った戦士達の簡単な閲兵を直後に控えていたが、様々な裁可を求めて押し寄せる文官達は止まるところを知らない


 「……インラ・ヴォアとも一度話をせねばならぬ。が、自由闊達な気性のようだな、聞くに察するに」

 「参内するように伝えます」

 「それでそのアンヴィケをどう遇すればよい。……ボロフィン、これは私の部屋へ。ここでは無理だ。……騎士ケルライン、そなたに任せればよいのか?」

 「は、其処までは……。何しろ人ならざる者の声を聞くとは……」


 階段の窓から外を見れば練兵場に多くの人間が集まっているのが解る。クアンティンは其処で一度足を止めた


 「つまり死者や精霊の事であろう。神の子が備える力だ。丁重に迎えねばなるまい。既に人を出しているか?」

 「は。気の利く者を選んで兵を出させております」

 「……よし、アンヴィケは私自らが出迎えよう。ケルライン、練兵場へはそなたが行け。火の宝剣はそのまま持て」

 「は? お、御待ちを」


 すたすた歩いていくクアンティンに、ケルラインは追い縋った


 「畏れ多くも陛下、宝剣を持って閲兵を待つ兵の前に立つのは、これは主を定かにするための儀式で御座います」

 「むう? ……私も後で向かう。そなたは先に彼らを鼓舞するのだ。黒竜の猛威を見聞し不安に思わぬ者は居ない」

 「は、…………そういうことでしたら……」


 ケルラインは戸惑いつつも了承した

 何のことは無い。間が悪いのだろう



 それからケルラインは練兵場に集った百五十人の兵士達と面会した。彼らは国の大事に際し、クラウグスの要衝の守りから抽出されて王都に送られた精鋭達で、皆一様にふてぶてしい顔をしている

 とはいっても今この場に居るのは軍団の指揮官とその僅かな部下達だ。王都の外に陣を張る者達を入れたら数は何倍にもなるだろう


 ケルラインは彼らを一目見て、装備が必要だな、と考えた。蛮族や魔物に通用する剣や槍があの黒竜には通用しない。既に王にも進言していた事だがその思いはより強くなった

 火の宝剣は抜かず、壇上にも立たず、敢えて彼等と同じ目線で厳かに話す。ケルラインはクラウグスを守る為に命を賭ける者達に対し、クラウグスの現状を包み隠さず伝えた



――



 昼頃、兵達に簡単な調練を施している時になって漸く練兵場に現れたクアンティンは顔をはっきりと蒼褪めさせていた。連日の激務ゆえ致し方なし、とうとうお体を悪くされたのだとケルラインは焦った


 しかしクアンティンは平素の厳かな状態を崩さず、ケルラインに宝剣を一時返却するように要求すると壇上に立ち、そのまま演説を始めた


 閲兵を終え、兵達を解散させた後、クアンティンはケルラインに自室まで付き添う事を要求した。当然、ケルラインに断る術は無かった



 「皆の者、暫し待機していろ。ケルラインと二人で話がしたい」


 クアンティンは自室に入るやいなや見て解るほどに消沈した。肩を落として大きな息を吐きだし、常のクラウグスの頂点に立つ者としての気配を完全に失ってしまった

 ケルラインはどうすべきか迷った。何故これほどまでに疲れ果てておられるのか。アンヴィケはどうしたのか。疑問なら幾らでも浮かぶ


 「陛下、どうされましたか」

 「そなたに聞きたい事がある」

 「どのような事でも」

 「聖群青大樹騎士団の事だ」


 クアンティンは執務卓に着いた。ケルラインは卓を挟んで直立不動になる


 こうしてみると、年相応の少年に見える。全く不思議な感覚だった。あの優れたクアンティン王が幼く見えてしまうなど


 「何をお聞きになりたいのですか」

 「……聖群青大樹騎士団とはなんだ」


 ケルラインは余りに抽象的な問いに一瞬虚を突かれるが、直ぐに堂々と胸を張る


 「古き時代、竜と戦う為に生まれた戦士団です。……丁度今のように、竜に対し抗う術なく、全ての者が諦観の内に死にゆく中、それでも戦う為に立ち上がった者達の集団です」

 「……己の団の事になると饒舌であるな、そなたは」

 「大言壮語をお許しください陛下。竜狩り騎士団こそクラウグスの騎士団の中の騎士団であります。王命の元に竜を狩り、クラウグスの王威と臣民を守護する事こそ最も貴き使命であり、栄光であります」

 「議論の余地があろう」

 「少なくともそうあろうとしております」

 「栄光の為に死ぬか」

 「……栄光は後です陛下。インラ・ヴォアは言っておりました。竜狩り騎士団はどうしても竜を倒さねばなりませんでした。そうせねばクラウグスが滅びるからです」

 「では……クラウグスの為に……死ぬか」


 クアンティンは目を閉じ大きく息を吸った


 「皆、そうだったか」

 「そうでありました。団長を初め全ての者は各々の事情を持っていましたが、クラウグスの為に尽くす気持ちは本物でした。我等は入団の前にその能力と思想を徹底的に検められます。血筋も駆け引きもありません」

 「一歩間違えれば狂信者の群れか?」


 客観的に見ればそうかも知れなかった。確かにまともな人間は喜んで死地に赴いたりはしない。竜の大顎の前に身を晒したりはしない物だ

 それをする為には理由が居る。命を投げ出すに足る幻想が必要だった


 「狂信者となり竜を倒せるのであれば、私はそうなった事を喜びます」

 「……良く解った、ケルライン。ヒューラックと言う者を知っていよう。聖群青大樹騎士団に所属していた筈だ」


 ケルラインは眉根を寄せた。ヒューラックはケルラインの後輩だった

 謎の多い若者だった。没落した名跡を継いだ稀代の出世頭とも言えるべき経歴だったが、その割には家臣も後ろ盾も持たない貴族としては極めて脆弱な基盤の男だ

 本人も社交界に出たりなどせず、騎士団での活動がその全てであったようだ。何時も物静かで思慮深かったが、意見を強く出す事が無いのでケルラインがその辺りをフォローしていた。関係は、極めて良好であったと思う


 ヒューラックも黒竜との初戦で戦死している。ケルラインが竜の爪で切り裂かれた後、果敢に大剣で打ち掛かり、逆に倒された


 「…………物静かでありましたが勇敢な若者でした。あの者に助けられることもよくありました」


 しかし何故クアンティン王が言ってしまえば一介の騎士であるヒューラックの事を?


 「助けられたか。……本人は全く逆の事を言っていたぞ。そなたはよく同僚を見ていていつも助けられてばかりだと」

 「それは、ヒューラックが、陛下と?」


 クアンティンの目が開かれる。射抜かれるような視線にケルラインは身を固くする


 「そなたらも薄々気付いていたろうがヒューラックは偽名だ。本名はバランティン。我が兄だ」

 「…………!」


 ケルラインはヒューラックの顔立ちや身形を思い出す。確かにヒューラックはハルカンドラのそれに良く似た赤毛だった


 驚きに言葉を失うケルライン。ヒューラックと言う若者について回る不自然さにはそういった事情があったのか

 王家の事情などケルラインの知る所ではない。さぞや複雑な判断があったに違いない


 ケルラインはクアンティンの心中を漸く理解できた。兄は死んだのに俺のような男だけがおめおめと生き長らえた

 悔しいに違いなかった


 「兄はそなたの事を非常に評価していた。兄がそなたの功績を事細かに話す物だから、私は何時しか錯覚していたのだ。そなたが居れば兄が死ぬことはあるまいと思っていた」

 「……バランティン様は」

 「ケルラインが旗を掲げて先頭に立てば、悪魔の軍勢も蹴散らしてみせると言っていた、だから……。だが結果はそなたも知る通りだ」


 ケルライン歯を食いしばって視線の高さを保った。気を抜けば顔を俯けてしまいそうだった

 知らず知らずの内に王を落胆させていた。それがどうしようもない事だったのはクアンティンも、当然ケルラインだって解っている

 しかし割り切れる物ではない。人間の感情は


 「解っている。私が理不尽な事を言っているのは。ケルライン、そなたに……そなたは……」

 「…………」

 「…………済まぬ。忘れよ」


 ケルラインは押し黙ったまま跪き最敬礼した。ゆっくりと立ち上がると極力音を立てないように退室する


 昼の日差しが廊下に差し込んでいた。竜の事などまるで感じさせない穏やかな午後の陽光であるが、ケルラインの心は陰鬱だった


 廊下を足取り重たく進む内に人影を見つける。その人影は窓の縁に手を掛け小さな体を目いっぱいに伸ばして天を見上げていた

 金の髪の少年だった。己の背丈よりも巨大な斧槍を背負っていて、ケルラインは一目で彼がアンヴィケだと気付いた


 アンヴィケはケルラインの方へと振り向くと子供らしからぬ大人びた顔つきで会釈した

 背中の斧槍が余程重たいのか覚束ない足取りでケルラインへと向かって歩き出す。ケルラインはそれに応えるよう、自らもアンヴィケに向かって歩を進めた


 「初めましてケルライン様。僕はアンヴィケ。インラ・ヴォアに導かれてここまで来ました」

 「……よく、私がケルラインだと解ったな」

 「はい。教えてもらいました。……あれこれと身の回りの事をされると落ち着かないので、一人にさせてもらっています」


 教えて、とは言っても、王城にケルラインに似た騎士など結構いる。背は確かに平均より高い方だと思われるが……

 ケルラインの疑問に構わずアンヴィケは続ける


 「クアンティン陛下とお話しされたのですね」

 「……もしや君は陛下に何か言ったのか?」


 その……君の持つ能力をもってして


 発言してからケルラインはやや威圧的な口調になってしまった事を悔やんだが、アンヴィケは物怖じすることなく受け答えする


 「クアンティン陛下がずっとずっと苦しまれていた事に関してお話ししました。それはケルライン様の御同僚に関する事です」

 「ヒューラック……いや、バランティン様か」

 「クアンティン陛下はバランティン様の事に関してずっと悩んでおられました。いつかはバランティン様に何らかの形で謝罪し、報いたいと思っておられたのです。しかしその機会は永久に失われました」

 「……それ以上は止めてくれ。王家の秘密だ。私が聞いてはいけない事だろう」


 アンヴィケは背を向けた。唐突な事だったのでケルラインは何を要求されているのか理解できなかった

 一泊遅れて漸く、斧槍を受け取れと言う事なのだと気付いた。ケルラインはアンヴィケの背に手を伸ばし、しっかりと括り付けられた革紐を解く


 黒い斧槍だ。ずしりと重たく、輝きは鈍い。よくもまぁ子供の身でこの重たい物を運んできたものだった

 握り締めればじわりとした温かさを感じる。闇に追われる夢の終わり、インラ・ヴォアから流れ込んできた温かさに似ていた


 良い武装だった。一目でわかった


 くるりと振り向いたアンヴィケがこれ見よがしに息を吸い込んで大声を上げる


 「しっかりされよ旗手ケルライン! クラウグス存亡の危機を前に、旗を掲げる者が些事に心奪われてはなりませぬ!!」

 「……」

 「と、ケルライン様に付き従い、背後を守ろうとする方が言っておられます」


 アンヴィケは何故か震え涙を流した。この年端も行かぬ少年には何が見え、何が聞こえているのか


 人ならざる者の声を聞く。ケルラインに見えず、聞こえない物は、この少年に何を思わせるのか


 「その物言いは……ヒューラック……か……」


 おぉ、とケルラインは応えた。大きな声で


 「……ならば、やるとも」



――



 「ケルライン様、竜は今王都の近くに居ます」


 夜、ケルラインの部屋に訪れアンヴィケは言った


 ケルラインとしては竜は何処に居ても全く可笑しくないと思っていた。特にあの竜と来たら行動が読めない

 四方八方走り回るクラウグスの騎兵達の情報によれば、東西南北あらゆるところに姿を現しては、悪戯程度に火を噴き、こちらを嘲笑うかのように空を舞い、去っていくのだと言う


 挑発されているのか。その竜が王都近くに居るとは


 「まだ打って出るのは不可能だぞケルライン」

 「インラ・ヴォア」


 部屋の薄暗闇からにじみ出るようにして現れるインラ・ヴォア。アンヴィケは彼女に一礼して言葉を続けた


 「北です。北の空に居ます。ケルライン様とインラ・ヴォアの様子を伺っているのです」

 「……ずっとか?」

 「ずっとです」


 ぞっとする話だった

 ふん、と鼻で笑ってインラ・ヴォアは語りだす


 「見たければ見ていれば良いのだ。我等は万全の準備を整え、最後には奴を打ち倒す。ケルライン、次の戦いだ」

 「どのような事でも言うが良い」

 「今王都には続々と戦士達が集ってきている。私は南東の山脈のドワーフ達に話を付けてきた。遠からず彼等から武器と鎧が届くだろう」

 「本当か? ……それは凄い。戦う相手が竜でも、カルシャの僕達でも、大きな助けになる」


 ケルラインを驚かせるのに十分な内容だった。先王ハルカンドラの時代からドワーフ達との国交は断絶していた

 特に彼等は頑固で機嫌を損ねたら簡単にはよりを戻せない。本当なのだとしたら、インラ・ヴォアは外交上の英雄と呼ばれるに相応しい功績を成した


 「本当だとも。しかしあの頑固者達が武器を運ぶのを守ってやらねばならぬ」

 「解った、それはクアンティン陛下にお話ししよう。……で、お前の事だ。私には何をさせるつもりだ?」

 「我等は三人で聖ロロワナ戦士団の墳墓へと向かう。……どうやら竜は未だ動く心算が無いようだ。ならば我等は先達の神聖なる祭壇に旗を捧げ、助力を乞うのだ。アンヴィケはその助けになる」


 ケルラインはむ、と唸った。騎士団の慰霊碑ならば王城にもあるが、インラ・ヴォアの言い口では他の物があるようだった


 「王都から西、普段人通りは無いが馬で三日と掛からない。……しかしどうやら中は汚染されているようだ」

 「汚染……だと?」

 「そうだ。全く許し難い事だが、ここ数年の内に何者かによって強力な妖魔が召喚されたようだ。それが内部を完全に支配している」

 「妖魔の討伐となれば魔法戦士団か神殿騎士団に助力を頼まねば」

 「そう言った才能を持つ者は希少だ。カルシャが動きを見せたら彼等に抑えてもらわねば。彼等には頼めない」


 そこでアンヴィケが身を乗り出してくる


 「僕が助けます。僕とインラ・ヴォアならば墓所の霊達と対話出来ます。聖ロロワナの戦士達の霊を目覚めさせれば、必ずや手を貸してくれるはずです」

 「……よし、了解した。先達の竜狩り騎士達の墓所が穢されているとしたら、そのままにはしておけん」

 「当然だ。明朝、起き次第準備しろ。素早く行くぞ」


 ケルラインは頷いたが、一言挟んだ


 「王陛下が貴公の参内を望んでおられるぞ」

 「……そうか」


 インラ・ヴォアは鷹揚に頷いたが、受け入れなかった


 「会うのは何時でも出来る。より急を要する事態は幾らでもあるのだ」


 王を軽んじる発言だったが、確かに今は竜と戦う為に如何なる事も素早く行わねばならない時だった



――



 その晩矢張り闇と対峙する夢を見た。違ったのは場所がクラウグスの王城であり、隣にインラ・ヴォアが居た事だった


 インラ・ヴォアは無言のままに拳を縦にして突き出してくる。ケルラインは求められるまま、拳を横にして突き出した


 拳同士が合わさると、体の底から熱が湧き上がってくる


 全身に力を込めて闇を睨み付ければ、あれ程巨大であったそれがじわじわと萎んでいく。闇は四肢で地面を引っ掻き、悔しそうに奇妙な鳴き声を上げながら次第に後退する


 「旗手ケルライン、恐れるな。私と戦友達がついている」


 あぁ、とケルラインは頷いた。武器は無く、全くの無手であったが、少しも恐怖は湧いてこなかった



 何時の間にか目は醒め、ケルラインは天井を見上げていた

 矢張りインラ・ヴォアはケルラインの手を握り傍らに佇んでいる。子守をされているようだ、とケルラインは笑った


 「貴公、眠らずに行くのか」

 「私に眠りは必要ない。私に必要なのは竜狩りの戦いだけだ。さぁ行こう、城門で待つ」


 そう言い放ちインラ・ヴォアはマントを翻す。すると幻であったかのようにその姿が掻き消える


 ケルラインは身支度を整え、クアンティンへの拝謁を求めた



 「ドワーフ達が武器を? 簡単には信じられぬが……、それもインラ・ヴォアの言った事か」

 「は。真ならば大きな助けとなるのは間違いありませぬ」

 「……よし、軍を編成する。ケルライン、そなたはその聖ロロワナ戦士団の墳墓へと向かうがよい。私はその存在を把握していなかったが……そのような古代の遺跡はままあろう」


 クアンティンへの拝謁と要望の取り付けは極めて速やかだった。クアンティンは優れた人物だ。少年と言って差し支えない若き王は、幼いころからその優れた智慧で名を馳せた

 昨日の苦悩、葛藤も、押し寄せる文官達の羊皮紙と共に呑みこんだらしかった。クアンティンは昨日とは全く違う静かながらも覇気に満ちた立ち振る舞いで、ケルラインに一言付け加えた


 「必ずや生きて戻れ、ケルライン。最早そなたは黒竜の討伐に欠かせぬ戦士だ」


 ケルラインは感激した



 そして一行はアンヴィケの体力に気を遣いながらも目的の墓所へ急いだ。アッズワースへの遠征と比べれば楽な道程ではあったが、矢張り身体の出来上がっていないアンヴィケには厳しい旅のようだった


 墓所へは二日目の夜には到着した。其処は大きめの丘で、片側の斜面が何かによって抉り取られ、切り立った小さな崖となっていた。そしてその崖の根の部分に隠し扉は存在した

 一見して墓所とは解らないようになっている。何故このように秘匿するような形で墓所を作ったのか、ケルラインはインラ・ヴォアに尋ねたが彼女は黙して語らなかった


 火を起し、寝床を準備する。墓所へは明朝入ると決めた。深夜の魔の気配の強い時間は避けざるを得なかった


 「ケルライン様」


 寝袋の中で身を丸めるアンヴィケは、火の番をするケルラインに向かってごにょごにょ言う


 インラ・ヴォアは周囲を見てくると言って姿を消した。アンヴィケが居れば悪意を持つ者の接近には気付けるらしいが、インラ・ヴォアはそれで油断したりはしなかった


 「インラ・ヴォアは強い人です」

 「……そうだな、彼女ほど勇敢で責任感に満ちた戦士は他にいまい」


 何せどういった手段を用いたか、数百年の時代を跨ぎこうしてケルラインに助力しているのだ

 その精神力はケルラインにどう足掻いても及ばないと思わせる物だった


 「しかし彼女も無敵にはなり得ません。竜狩りの戦士だって人間なのです。ケルライン様と同じです」

 「何が言いたい?」

 「いえ……僕は……。すみません、余りに出過ぎた事を言いました」


 そういってアンヴィケは寝袋の中に頭まで潜り込んだ

 ケルラインは首を傾げるしかなかった



――



 木の梯子は腐っていた為、インラ・ヴォアは縄梯子を設置した。こういった事態を予想していたのか準備が良い


 内部は確かに長い時間の経過を感じさせる程に古びており、埃が積もっていた。しかし以外にも荒れた部分は殆どなく、精々得体のしれない植物が根を張っている程度だった


 ケルラインとインラ・ヴォアは手分けして蝋燭に火を灯していく。ケルラインは眉を顰めた


 「蝋燭だけが妙に新しい。妖魔を召喚した者は自然に誕生した邪精などではないな……」

 「私が眠りについていなければ何が相手であろうとこのような好き勝手はさせなかった。主神に誓って、壁の小汚い染みにしてやったのにな」

 「何? 貴公、眠りについていたと?」


 言ってなかったか、と光源を確保しながらインラ・ヴォアは言う


 「そうだ。私は戦友達の中から選出され、主神と誓約を交わし長い眠りについた。……黒竜は今日昨日生まれた物ではない。お前とて疑問に思っていたのではないか?」


 墓所の内部は息苦しさで満たされている。通路の向こう側から漏れ出てくる邪悪さをケルラインは感じていた


 インラ・ヴォアと来たらそれをまるで意に介さず話し続ける。ケルラインは光源を確保し終えると、一先ず不測の事態に備えてアンヴィケの傍に付き、インラ・ヴォアと向かい合った


 「当然だ。あれ程の竜が噂一つなく唐突に現れたのだ。裏があると睨む物だろ」

 「私はあれを古き竜と言ったろう。あれは遥か昔、我々が倒しきれなかった存在なのだ。主神レイヒノム、風精ビオ、聖樹ロロワナ、これらの加護を受け、且つクラウグスが滅亡寸前まで総力を振り絞っても駄目だったのだ」

 「伝承の時代の戦いか」

 「そうだ。当時クラウグスの版図は今の三分の一も無かったし、戦士達の絶対数も当然少なかった。今と比べたら神々の授けた加護の力は兎も角、武器の性能もずっと劣っていた」


 我々は勝てなかったのだ。憎々しげにインラ・ヴォアは言う


 「故に封じた。いずれ人々が力を蓄え、多くの勇者達が力を合わせ、竜を打ち倒す時代の訪れを信じた。私はそれに……今この時に備えて眠った。竜と共に、その目覚めと共に再び戦いに身を投じる事の出来るよう」


 当然のように言うインラ・ヴォアに、身体を震わせたのはアンヴィケだった


 「辛くは無かったんですか、インラ・ヴォア。友も家族も死に絶え、誰も自分を知らない時代に目覚め、戦うんですよ」

 「止めろアンヴィケ。それは……嫌な質問だろう」


 ケルラインはアンヴィケの肩を抱きながら言い聞かせる。数日の付き合いで解ったが、アンヴィケは酷く素直で感受性が強い

 死者達の剥き出しの感情、偽りのない真摯な声を聞き続けている為か

 アンヴィケの言葉は酷く直接的で、応えるのが億劫になる事もある。特に、答えが解り切っている時などは


 「……進むぞ、ケルライン、アンヴィケ。早くここを浄化したい」


 インラ・ヴォアは先頭に立って歩き始める



 墓所内は主に洞窟に現れる魔物と邪悪な精霊の住処になっていた。荒れていなかったのは入口部分だけで、奥に進めば進む程墓所は荒らされ、時には棺が暴かれている事すらあった


 「スケルトンの素材にされたか」


 インラ・ヴォアの小さな声には、しかし凄まじい怒気が渦巻いていた


 話によれば、埋葬された聖ロロワナの戦士達は五十名程だと言う。墓所の規模としてはそれなりに大きな物となるだろう


 墓所を半ばまで進んだあたり、死者の霊を慰める儀式を執り行う為の祭祀場からゴブリンを一掃して、ケルラインは溜息を吐いた


 「酷い有様だ。……インラ・ヴォア、こんな風に秘匿されておらず、国の管理下にあれば、彼等の尊厳が冒される事は無かった筈だぞ」


 小鬼の死体を蹴り転がすケルラインは、ハッキリとした怒りを感じていた。この墓所を穢す妖魔は当然だが、同時に偉大な戦士達をまるで太陽の光から遠ざけるようにして埋葬した事実に対してもそうだった


 「あぁ、そうだろうな」

 「そうだろうな、ではない。何故彼らはこんな場所へ追いやられた? 墓守も無く、当然遺族達の供物もなく、献花すら望むべくもない。……余りに哀れではないか。身命を賭して戦った勇者たちが」


 インラ・ヴォアは沈黙した。長く沈黙した末に、ケルラインに向かってありがとうと言った。戦友達を思いやってくれるケルラインへの感謝の言葉らしかった

 結局ケルラインはそれ以上は聞けなかった。納得すべき要素など何一つ無かったが、誰よりも腹立たしいのはインラ・ヴォアである筈だ。それが黙して語らないのだから、何らかの事情があるに違いない



 「二人とも!」


 アンヴィケが祭壇にて蹲る。周囲に耳を澄ましているのだった


 「邪な精霊の声がします。この祭祀場を支配して聖ロロワナの戦士達を縛り付けているんです。……嫌な感じだ。僕を……取り込もうと言うのか……」


 ケルラインはすぐさまアンヴィケの元に走った


 「何処だ。妖魔とはそいつの事か?」

 「アンヴィケを連れて下がれケルライン、すぐ目の前に居る!」


 墓所の天井をすり抜けて、青白い半透明の体を持った妙齢の女が現れる。見た目は人間のそれだが、目には瞳孔が無く、口は耳元まで裂けて狼のような牙を覗かせている

 邪精と呼ばれる存在だった。見た目は人でも話の一切通じない妖魔であった


 ケルラインはアンヴィケを庇い斧槍を一振りする。祝福された戦斧の刃は邪精の青白い体をごっそりと抉り取った

 邪精は身を捩って悲鳴を上げた。その悲鳴が凄まじく、ケルラインは頭の奥底に激しい衝撃を感じると共に平衡感覚を失う

 アンヴィケ共々耳を押え、片膝をついた。インラ・ヴォアが二人を救う為、狙い澄ました矢を放つ


 「出てきたか! この墓所を穢した報いを受けさせてやるぞ!」


 一矢、二矢、続けて放たれる。それらは正確に邪精の頭と胸を貫いた。邪精は矢張り苦しみに身を捩る


 そして大きく浮き上がったかと思うと、両の手を前に突き出して鳴き声を上げた。不明瞭で全く聞き取れなかったが、邪精の呪文らしかった


 突き出された両手から吹雪が迸る。ケルラインは紋章盾を前に突き出した


 「ぐおおお、おぉぉ!」


 盾に生じた激しい衝撃を力任せに抑え込む。周囲の石床に霜が降り、氷柱が幾本も上に向かって伸びてゆく。紋章盾は雪と風を防ぎケルラインとアンヴィケを守った。ケルラインは吹雪が止まるまで耐え、アンヴィケを抱えインラ・ヴォアの方へと走る


 インラ・ヴォアは眩く輝く雷鳴の矢を番えた。それを邪精の方に向け狙いを定めた時、邪精はその矢の力に恐れを抱いたか、墓所の壁をすり抜けて身を隠してしまう


 「臆病者め。ならば狩り出してやるまでだ……。アンヴィケ!」


 ふらふらしながらもアンヴィケはやっと自らの足で立った。ケルラインはアンヴィケを守る為、その傍らで油断なく周囲を見渡す


 アンヴィケが再び耳を澄ます。邪精から何らかの干渉を受けたか顔を蒼褪めさせている。しかし、自分の役目を見失ってはいない


 「応えて下さい……古代の勇敢な戦士様……。何処にいらっしゃるんです……。このまま妖魔の好き勝手にさせて良いのですか……?」

 「ケルライン、アンヴィケは任せたぞ!」

 「インラ・ヴォア、油断するなよ! ……む?!」


 邪精はケルラインの背後の地面から現れた。全身に凍てつく風を纏わりつかせながらケルラインを抱きすくめようとしてくる


 ケルラインは受けて立った。雄叫びを上げ、盾を突きだし体当たりする。神秘の存在には力を振り絞り勇気で満たした咆哮が力を発揮する


 ケルラインは不思議な手応えを盾に得て、邪精を弾き飛ばした。其処にインラ・ヴォアの雷鳴の矢が突き刺さる。邪精はまたもや叫び声を上げながら地中に消えた


 二度目の邪精の絶叫にケルラインは再び平衡感覚を失い、今度は尻餅をついた。インラ・ヴォアはケルラインに手を貸し、強引に立ち上がらせた


 「今ので仕留められんとは」

 「凄まじい悲鳴だ。頭痛がしてきた」

 「気を強くもて。奴らの声は我々から生気を奪う。心が弱ければ呑みこまれるぞ」

 「……背後!」


 邪精は執拗にケルラインの背後を取る。再びケルラインの背後の地中から飛び出し、ケルラインは今度も盾で受け止めた


 「離れろケルライン!」


 インラ・ヴォアが矢を番えた時、ケルラインは邪精の視線が何処に向いているか気付いた。アンヴィケだ

 ケルラインを狙っているように見えて、アンヴィケをジッと見ているのだ。僅かでも隙を見せればアンヴィケが危険だ


 「インラ・ヴォア、良く狙え!」


 ケルラインは邪精を一度突き飛ばし今度は両の手で捕え直す。凄まじい冷気が全身を駆け巡り、直ぐに血が凍えて心臓が痛み、身体が重たくなる

 しかし必死に堪えた。ケルラインは雄叫びで己を奮い立たせ、邪精を捕まえたまま身を捩る

 壁をすり抜けられても、生命体はすり抜けられないのだ


 「ケルライン!」

 「良いからやるのだ!」


 インラ・ヴォアが雷鳴の矢を放った。それは邪精の胸へと突き立ち、激しい稲光を撒き散らす。ケルラインは弾き飛ばされて床を転がった


 邪精は体を振り回して苦悶の叫びを上げる。胸で電流を放出し続けるインラ・ヴォアの矢を抜こうとするが、深く突き立った稲妻は抜けない


 最後には邪霊は天に向かって吠えたて、爆発した。青白い霊体が四方八方に飛び散り、邪精は存在を維持できなくなって完全に消滅した


 「やったか」

 「あぁアレはな」

 「どういう事だ?」

 「まだ居るようだ」


 すぐさまケルラインとインラ・ヴォアはアンヴィケの傍で身構えた

 邪精のおぞましい笑い声が幾つもしている。目の前の石壁、背後の石柱、右手側の地面。そこかしこから笑い声がする


 するすると四方八方から青白い霊体が現れ、ケルライン達はあっという間に囲まれてしまう。部屋の温度が邪精の体温によって急激に下がっていく


 「拙いな」


 インラ・ヴォアが油断なく邪精たちを睨み付けながら漏らした時、アンヴィケが体を震わせながらインラ・ヴォアのマントを引っ張った


 「インラ・ヴォア」

 「どうした」

 「聖ロロワナの戦士達がインラ・ヴォアを探しています。彼等の視界は邪精達によってふさがれ、見えないようなんです」


 邪精の一体がインラ・ヴォアに向けて飛び掛かる。ケルラインは斧槍を一振りしてそれを打ち払った。追い討ちの一矢をインラ・ヴォアが加え、邪精は地面の中に逃げ込む


 インラ・ヴォアは勇ましく叫んだ


 「聞こえるか! 戻ってきたのだ、戦友よ! インラ・ヴォアが戻ってきたぞ! 戦う為に!」


 また一体の邪精が飛び掛かってくる。インラ・ヴォアはそれを拳で迎え撃った

 ケルラインは斧槍を振り回し、邪精をアンヴィケに一体も近づけさせない


 「光を失ったならば我が目を通して見るがいい! 戦いを忘れたなら私が思い出させてやる! もし全部失ったのなら、全部やろう! 我が声に応えよ聖ロロワナ戦士団!!」


 勇ましい声が墓所に響いた。低く野太い声だった


 『懐かしい声だ』

 「聞こえるか! お前達! 私を覚えているか! 私を!」

 『覚えているとも』


 幾つもの声が墓所内から木霊する。邪精達の身震いするような絶叫とは明らかに違う、明確な意思を持った理性ある声だ


 ケルラインの視界の中で邪精が三体集い、一斉に身構えた。飛び掛かってくる心算だ。ケルラインは来るなら来いとばかりに斧槍を引き寄せる


 その時石壁から真白な蛍の光のような物が現れた。それは高速で宙を舞ったかと思うと瞬く間に人型となり、邪精達に踊り掛かった


 「聖ロロワナの戦士達か!」


 瞬く間に邪精を一体斬り伏せる真白な光を放つ人型。長剣を振るう剣士だ。うっすらとした輪郭で辛うじて男だと言う事が解る

 邪精がその剣士に凍てつく腕を伸ばそうとした時、新手が現れる。今度は全身重装備の槍騎士であった。槍騎士は手に持つ槍を思い切り振りかぶり、迷いなく投擲した


 大投槍が二体の邪精を纏めて貫く。凄まじい一撃だった。彼ら以外にもあらゆる場所から光り輝く霊体の戦士達が現れ、邪精達に対抗し始める


 「うぅぅぅ、ううう~! うぅぅ!!」


 アンヴィケが蹲ったまま頭を押えて唸る


 「アンヴィケ! インラ・ヴォア、アンヴィケはどうしたのだ!」

 「流れ込んでくる……! 頭が割れちゃう……! あッ……がッ!!」

 「アンヴィケは耐えるしかない! 我々ではどうしようもない!」

 「何が起きている!」

 「目覚めた聖ロロワナ戦士団の思念が彼の中に流れ込んでいるのだ! 邪精達を一掃し我らが同胞達の怒りを鎮めるまではどうにもならん!」


 仕方なし。ケルラインは斧槍を一振りして最も近くに居た邪精に打ち掛かった


 邪精は冷気を纏った腕で斧槍を受け止めようとするが、ケルラインの満身の力を込めて叩き付けられたそれは邪精の腕をいとも容易く拉げさせる

 霊体を斧槍が抉り取る。邪精の上げる、平衡感覚を奪うはずの悲鳴が、今は気にならない


 咆哮と共にもう一振り。インラ・ヴォアから与えられた斧槍の二撃目で、その邪精は霊体を散らして消滅した。ケルラインは次の目標を探す


 「成程、強い」


 聖ロロワナの戦士達は邪精達を圧倒していた。邪精の操る吹雪の魔法に全く怯まず、生気を奪う絶叫をまるで恐れない

 鋭く果敢に打ち掛かり、或いは矢を射掛け、次第に邪精達を追いやっていく


 「当然であろう! この程度の妖魔如き、竜と比べるべくもない!……ほう、大物が出たか!」


 インラ・ヴォアの勇ましい言葉に釣られて祭祀場の奥に目をやれば、其処に一際巨大な邪精が顕現する所だった


 闇の衣を身に纏い、凍て付く吹雪を完全に支配する青白い霊体の女。裂けた口の中に、矢張り獣の牙が覗いている


 「ダークレイス!」

 「先に行くぞケルライン!」


 インラ・ヴォアが銀のナイフを抜き放ち、素早い動きで投擲した。ダークレイスはそれを胸に受けたが、全く意に介さず右手を突き出してくる


 吹雪が迸った。ケルラインはインラ・ヴォアを庇い、盾を頼みに前へと躍り出る。冷気がケルラインの肉体を侵す


 斧槍を振れ、ケルライン。インラ・ヴォアが叫んだ。ケルラインは意図が掴めなかったが、その声を信じて何もない空間に斧槍を振る


 刃から白い光が溢れてダークレイスの放つ吹雪と拮抗した。ケルラインが目を白黒させる中、ダークレイスの隙をついてインラ・ヴォアが雷鳴の矢を弓に番える


 「やれぃ!」


 雷が放たれた。それはダークレイスの胸に突き立った銀のナイフに直撃し、より強い雷鳴を撒き散らす


 ダークレイスが絶叫と共に身を捩る。周囲に暗い光が撒き散らされ、猛烈な吹雪が墓所内に吹き荒れた


 ケルラインは吹雪の壁を猛然と突き破った。竜の熱線すら超えた事がある。この程度の物、何でもない


 「うおおああ!」


 ケルラインはダークレイスの胸元、稲妻を発し続ける銀のナイフに向かって、斧槍を叩き付ける



――



 冷凍されたゴブリン等の死体を片付け、祭祀場を清める。インラ・ヴォアは祭壇の前に跪き、霊体の戦士達に囲まれながら祈りを捧げていた


 清めてみれば、厳かな墓所であった。造りは簡素で装飾なども無かったが、丁寧に作られているのが良く解った


 魔物の死体を一ヶ所に集め終えた頃合に、ケルラインはインラ・ヴォアに手招きされた

 ケルラインはインラ・ヴォアが祈りを捧げる祭壇へと向かい、其処に集う古代の戦士達の顔を一人一人見詰める


 輪郭も定かではないが、不思議と彼らは見ていて勇気の湧いてくる居出立ちだった。動かぬ時はピクリとも動かず、呼吸せず、話す事も無い。人間味の無い事この上なかったが、堂々と並び立ち胸を張る姿は頼もしい物だった


 「我等の先達よ、お初にお目に掛かる。ケルライン・アバヌーク。貴公らの後継である聖群青大樹騎士団に置いて、旗手を務めている」


 インラ・ヴォアが跪いたまま首だけ振り返り、にっこり笑った。ケルラインに初めて見せる表情だった


 「どうだ。彼等こそ私の誇り。彼らの一員である事こそ私の栄光だ。……例え王城に慰霊碑無く、全ての人と書物から忘れ去られようと、これこそ私の誇りなのだ」

 「あっという間だったが、彼らの勇ましい戦いぶりは確かに目にした。彼等は尊敬に値する戦士達だ」

 「当然だとも。さぁ、我等が団旗をここへ」


 ケルラインは促されるままに腰の革筒からドラゴンアイの紋章旗を取り出して祭壇に捧げた


 アンヴィケが手を差し出してくる。その小さな手に己の手を重ねれば、頭に響くような声が聞こえた


 『歓迎する。戦友よ』


 一際背の高い霊体が進み出てくるのが解った。ケルラインよりも頭一つ分背が高い

 彼が団長か。ケルラインは僅かな緊張を持ってその霊体と向かい合った。霊体は特に何も言ったりはせず、右手を突き出してくる


 縦の握り拳だった。ケルラインは左手をアンヴィケに差し出したまま、右手を前に突き出した

 横の拳で受ける。白い燐光がちらちらと舞った。それきり霊体は踵を返し、居並ぶ霊体たちの列へと戻ってしまう


 「認められたのか、俺は」

 「そうだ。お前が彼等をよく見ていたように、彼等もお前の事をよく見ていた。何よりこの私が認めているのだから間違いない」

 「ふ……、そうか」


 饒舌なインラ・ヴォアの横に並び、ケルラインも跪く。更にその隣にアンヴィケが

 三人で祈りを捧げる。白き霊体の戦士達は高らかに武器を掲げ、燐光となって少しずつ崩れていく

 そしてドラゴンアイの紋章旗に吸い込まれていった。後に残るのは本当に僅かな燐光のみ


 「……これで古き竜狩りと全く新たな竜狩りが手を取り合う事になった。解るかケルライン。こうなった以上負けは無い。それは決して許されない」


 立ち上がるインラ・ヴォア。ケルラインは頷いた

 戦士たちの残した燐光を浴びた体がじわじわと疼く。身体の奥底から熱が湧き上がってくるような、不思議な感覚を覚えた


 インラ・ヴォアはケルラインに向き直り、ジッと目を見詰める。ケルラインは立ち上がるとこちらも居住まいを正す

 アンヴィケは何とも言えないインラ・ヴォアの気配に気圧されたようだった。ケルラインがぐしゃりとその頭を撫でると、一歩引きさがって耳を澄ませた


 「何故、聖ロロワナ戦士団がこのような場所に埋葬されたのか疑問だと言ったな」

 「あぁ」

 「…………ケルライン、……話しておこう。竜狩り騎士団は必要だから生まれた。どんな強敵が相手でも勝利のみを求められ、我等はそれによく応えた。少なくとも全力を尽くした心算だ」


 インラ・ヴォアは昔の情景を思い出しているのか目を閉じる


 「しかし最後の最後に願われたのは、我等の消滅だった」

 「どういう意味だ」

 「愚かにも竜に従属しようと言う者達が居たのだ。……余り知る者は居ないが、亜人達の国にはごく小規模ながら竜信仰と呼ぶべき物がある。大地の母ムカリを知っているか?」


 ケルラインは記憶を掘り起こした。地方領主の三男坊として、必要とされる以上の知識と教養を身に着けている自信があった


 「神々の半分と全ての獣の祖を生んだ豊穣神か」

 「そうだ。そして竜も大地の母ムカリの子とされている。つまりムカリ信仰の亜流と言う事になるな。母ムカリの生んだ最も強く貴き存在として竜を信仰しているのだ」

 「その竜信仰が」

 「我等の支援者達はそれの影響を受けたらしい。……仕方ない事だったのかも知れぬ。我等は多くの竜を狩ったが、あの黒竜はそれらとはまるで比べ物にならない存在だった。余りに絶望的だったのだ。……常人ならば、心を強くもてる筈もない」


 ケルラインは知らず知らずの内に両の手を強く握り締めていた。全身が震えていた


 「当時の王が加担していたかは知らぬ。だが我等は聖木ロロワナを焼かれた。ロロワナはエルフ達の護る大樹で、長く生き、我等と語り合う事も出来た。ロロワナは誓約を交わした者が傷つけば何処に居てもその傷を癒してくれたが、その加護が失われてから我等は圧倒的に死傷者を増やしてしまった。気付けば、同盟を結んでいたエルフ達も何処かへと去っていた。……我等は味方と居場所を失った。まともな墳墓なぞ望むべくも無かった」

 「そんな馬鹿なことがあるか!」


 溜らずケルラインは叫んだ。アンヴィケが身を竦ませるほどの怒声だ


 ケルラインに取って過去の竜との戦いは所詮伝聞でしかない。インラ・ヴォアの言う事が全てだ

 しかしそれが真実なのだとしたら、全ての臣民の矢面に立った戦士達は……


 「守り通してきた者達に裏切られたと言うのか」

 「我等を嬲り殺した所であの竜が満足する筈もないのにな」


 ふん、と鼻で笑って見せるインラ・ヴォアにケルラインは言葉を失う。平然と言う事ではない


 余りに唐突に告げられた竜狩りの真実に身の毛もよだつ怒りを感じた。同時にインラ・ヴォアを初めとする先達に対する憐憫の情


 クラウグスの為に竜と戦い、そしてクラウグスに裏切られ

 それでも尚竜との戦いを忘れず長い時を超えた戦士が居る

 打ち立てた功績は報われず、それでも尚恨み言一つなく力を貸してくれる英霊達が居る


 聖群青大樹騎士団の前身たる聖ロロワナ戦士団が何故こうも無名であったのか解った。何故詳細な記録も慰霊碑すらも無いのか解った


 こんな事が認められるか


 「風精ビオはさぞや私の事を馬鹿にしていただろう。確かにあの時我等は間抜けとしか言い様が無かった」

 「……俺は陰口が好かないと言ったら、直ぐに止めた」

 「ならば馬鹿にはしたのだな?」

 「話を逸らそうとするな。何故そんなにも平然としていられる?」


 インラ・ヴォアはケルラインの真直ぐな視線に背を向けた


 「我等が強いからだ。状況に慣れたのだ。……さ、疑問には応えた。帰路に着くべし」



――



 誰も口を開かぬまま墓所に外に出た。中で妖魔や魔物と戦う内に日は落ちかけ、既に辺りは夕闇に包まれている


 ケルラインもインラ・ヴォアも披露していたが、アンヴィケは特に疲れ果てていた。身体が出来上がっていないのもあったが、妖魔、聖ロロワナの戦士達と、立て続けに人ならざる者の声を聞いたのが大きい


 その体調を気遣って小休止を取る。すると風景に目が行った


 改めてみても寂しい場所だった。整備された街道などではないから人の交通は全くない。野の獣が時折通り過ぎるだけの、本当に人々から忘れ去られたような場所だ

 夕暮れ時だと言うのがその寂しさを助長している。偉大な戦士達の墓所に、ただ風が吹き抜けていくだけとは


 悔しい物だ。ケルラインは心底から思った

 そしてせめて入口に野花を捧げて祈ろうと立ち上がった時、アンヴィケが声を上げる


 「あ……う……! 何かの、声が聞こえる……!」


 アンヴィケを振り向いたケルラインは激しい頭痛を感じた。インラ・ヴォアを見遣ればケルライン同様に頭を押え、眉を顰めている


 ぐらぐらと視界が揺れた。身体が傾いでいる訳ではなかった。視界が変色し、赤黒く波打ち、全く違う光景が見え始める


 ケルラインは丘に居たはずだった。周囲は草原で特に何もない場所だ。それが全く違う光景になっていた


 「なんだこれは。これは何処だ?」


 視界が勝手に動く事に気付いた。人では辿り着くのが困難であろう巨大な山脈の上から遥か下を見下ろしている

 視界の中には禿げた山の斜面と巨大な岩が目立つ。視界は時折上下に揺れ、様々な所を注視している


 ふと、視界の端に黒い何かが映った。ケルラインにはそれがなんなのか一瞬で理解できた


 竜の翼だ。黒き竜の翼、鱗、尾、見間違えるはずが無かった


 ケルラインの怨敵である


 「竜の視界か、インラ・ヴォア、これが竜に近付くと言う事なのか?」

 「煩い、ケルライン、気付かないのか? もっとよく見ろ!」


 何を見ろと言うんだ。ケルラインは幾分か心を落ち着けて視界に注意する


 山脈のふもとを何かの大群が移動していた。ぞろぞろと移動するそれらは黒い波のようで、ケルラインはそれに注視しようと躍起になる

 そしてケルラインの意を汲むように視界の主はそれを見た


 それは死者の群れだった。アッズワースで戦った人間と魔物の死体の混成軍だった


 「カルシャの軍勢」


 ケルラインは必死で記憶を巡らせた。これは何処なのだ

 王都付近にこのような場所は無い。王都は比較的水と木々に満ちた場所に作られている


 禿げた山肌。大きな岩。寒々しいここは、どこだ?


 アンヴィケが呟くように言った


 「これは……南のドワーフ山脈?」

 「奴らの狙いはドワーフの武器か」


 インラ・ヴォアが忌々しいと零す


 視界が再び揺れた。唐突に草原と丘の光景が戻ってくる。ケルラインな一瞬平衡感覚を失って背中から倒れ込んだ


 気付けば息が上がっていた。心臓を握り締められたような苦しさばかりが尾を引く。ケルラインはそれらに耐えて再び立ち上がる


 「王都へ戻る! 大至急だ!」


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