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次の電車は何分後でしょうか

味のしないティラミス

作者: 中山翔太
掲載日:2013/02/03

※話の中にティラミスは一切出てきません


そんな現実逃避

 ボールを蹴る鈍い音がした。それを追いかける子供の歓声と一緒に。

 子供のころよく通った近所の小さな公園で、小さな子供が駆けずり回るのをぼんやりと眺めていた。思えば僕にも、こうしてボールを追いかけていた時代があった。明日の事など考えもせず。…いや、考えても今日と同じ明日以外の姿など想像できずに。ただ、目の前のボールに触れる事に全神経を集中させていた。

 もう何年も思い出すことさえなかったこの場所に、どうしていまさら足を運んでいるのかを説明しようとすると、時間を少し戻さなければならなくなる。

 妹の岬が家を訪ねてきたのが二日前の昼過ぎ。容赦のないインターフォンの連打が、日曜日の醍醐味である二度寝と朝寝坊を全力で満喫していた僕をたたき起こした。文句の一つでも言ってやろうと勢いよく開いた扉の先に立っていたのは、化粧が少し濃くなってはいたが幼い頃から変わらないよく知った顔。結婚してから会う機会がなかったから丸三年ぶりの再会だというのに、久しぶりの再会一発目の台詞が「ごめんうちの子預かって」だった。詳しい事情はまったく説明されず、辛うじて手に入れた情報は、浩太という名前である事、生まれたのは結婚して直ぐ(出来婚ではなかったはずなのだが)で今年で五歳になる事、サッカーが最近のマイブームであること。以上。

 早口でそれだけ説明すると、外に待たせていたタクシーに飛び乗って何処へと走り去ってしまった。後に残されたのは唖然とする僕と、「お世話になります」と馴れた感じで頭を下げる五歳児だけだった。

 正直、あいつの息子とは思えなほど浩太は出来た子供だった。父親もわりとぽやんぽやんした奴だったから、早い段階で自立しなければならないと悟ったのだろうか。とにかく手の掛からない子供であることだけは確かだった。

 その日はお互いの自己紹介と近所の散歩で一日が終わった。問題は次の日からで、(押しつけられたも同然であったとしても)一応は子供を預かった身、ほかの誰かに世話を頼むというのも少し気が引けてしまった僕は、結局会社に一週間の有給を出すことにした。もちろんそのまま説明するわけにもいかない(というより説明できるだけの情報もない)ので、「妹が倒れて息子の世話をしてやらなきゃならなくなった」と真っ赤ではない嘘をつく羽目になったのだけれど。

 内心ラッキーと思った部分が無いでもない。先輩、同期、後輩と立て続けに会社を辞めていったせいもあって、僕自身働く意欲のようなものが窓際に置かれたロウソクの火のようにゆらゆら揺れていた。けれど理由もなく長い間休みをもらえるほど人数的な余裕はなかったし、何よりそれを言い出すだけの度胸も僕の中にはなかった。そんなタイミングで大義名分が出来たのだから、会社への電話を切った僕に申し訳なさそうな視線を向ける浩太に言った「気にするな」という一言に嘘はなかったのだが。彼はその一言をどう受け取ったのか、遊びに行きたいもおなかが空いたも、夜中になっても眠いとすら言わず(最後には寝落ちていたが)、ただ黙々と持ってきた本を読んで過ごしていた。それが昨日一日の話。

 それが浩太なりの遠慮だと気づいたのは、岬が残していった「サッカーがマイブーム」という数少ない情報の一つを思い出した今朝のことだった。まだ眠っている浩太を起こさないよう押入の中をひっくり返して、しまい込んだまま存在すら忘れていたサッカーボールを掘り出す。這いだすように布団からでて、目をしょぼしょぼさせたままパンをかじる浩太にボールを見せた瞬間のあの顔は多分一生忘れない。「子供はいいよー」と言っていた友人の言葉の意味が少し判ったような気がした。

 かくして、僕は数年ぶりにこの公園へと足を運ぶことになったのだ。

 久しぶりに走り回ることになるかなと思っていたのだが子供の順応力の恐るべき事、浩太はあっという間に地元の子供たちと意気投合してしまって、僕の役目は数分で終わりを告げてしまった。

 うごめく固まりになってボールを追いかけるその隙間からぽーんとボールが飛び出す。固まりのままそれを追いかける。またまたボールが飛び出す。以下繰り返し。パスとかシュートと言うより、単にボールを蹴ることが目的のようにしか見えなかったが、彼らはそれで満足のようだった。

 そういえばと思う。ボールに触れることだけが目的だったのは彼らだけではなかった。そう、昔は僕もこんな調子で毎日ここを走り回っていたのだ。ゲーム性とか、勝ちとか、負けとか、そう言う物を越えた場所で、ただたボールに触れることだけを目指して、固まりになりながらボールを追いかけていた。

 さほど長い期間ではなかったとは思う。クラブ活動でサッカーを始めた奴もいたし、何より勝つことにこだわり始めるとそのままではだめなことが嫌でも判った。闇雲にボールを追いかけるのをやめて、少し先にいる味方にパスを出す事を覚えて、ボールを持っている敵を追いかけるよりパスをカットする方が効率的だと気づいて、玉遊びは急速に試合へと進化していった。楽しむことをやめたわけではなくて楽しみ方が変わっただけの事なのに、今になってそれを思うとなぜか少し寂しいような気がした。

 妙な感覚だなと思った。ついさっきまで忘れていたくせに、たまたま思い出しただけの事に「寂しい」なんて。

 「妙だな」とは思っても「そういうもんじゃん」とも思う。多分、そう言った物はそこらじゅうに転がっているのだ。どんなに大切に感じていた物も、それが古いものであればあるほど信じられないくらい静かに、次々と心の一番上から底の方へと追いやられて、最後には注意して見なきゃ判らないほど小さく押しつぶされて、思い出からただの記憶へ変質していく。それでも消えて無くなってしまったわけではないから、時折それによく似た何かに刺激されてその欠片がふわっと浮かび上がってくる。それに触れたとき、かつて自分がそれを大切に思っていたことを思い出すのと同時に、今の今まで忘れてしまっていたことを自覚してしまうのだ。そこにあるのは、過去の自分と今の自分の持つ決定的な差違。それを自覚できてしまう今の自分では、どう足掻いてもそこに戻ることは出来ない。それがどうしようもなく「寂しい」のだ。

 一際大きな歓声が上がった。どうやらどちらかのチームが得点を決めたらしいことは判ったのだが、そもそもゴールが何処に作られていたのかが判らない。とりあえず浩太に視線を送ってみると、彼は満面の笑顔を浮かべてガッツポーズを決めて見せた。どうやら彼がゴールを決めたらしい。

 ちょっとした事故がおきたのは、彼がそのままこちらへ駆け出した直後だった。よほどテンションが上がっていたのか、自分の進行方向に向かって歩いてくる少女に気付かずにそのまま衝突。慌てて駆け寄ると、しりもちをついた浩太のシャツには大き目のシミが広がっていた。女の子の落としたジュースをもろにかぶったらしい。地面にぺたんと座り込んでいる浩太とは対照的に、女の子の方は呆然と立ち尽くしていた。とりあえず怪我をさせたわけではなさそうでほっとしたが、シャツのシミを見つめる女の子の顔は「とんでもない事をしてしまった」と言う焦りがありありと浮かんで、気の毒なほど青ざめていた。

 「えっと…だいじょうぶ?」

 とりあえず、と浩太に手を貸しながらそう訊ねた僕の声で我に返ったのか、女の子は「ごめんなさい!」と勢いよく頭を下げた。腰あたりまで伸ばされている髪が、重力にしたがってさらさらと流れた。

「こっちは大丈夫だよ。ほら」

 安心させようと浩太の手を引っ張ってみせる。が、なぜか浩太の方の反応が鈍い。まさかどこか怪我でもと一瞬不安になったが、そうではなかった。ほんの少し赤くなったその横顔は、先ほどのゴールの興奮とは違う熱を孕んでいる。握り締めた手の温度も、心なしか上がっているようだった。ああ、そうか。笑ってしまいそうになるのをどうにか飲み込んで、もう一度手を引っ張ってみる。相変わらず鈍い動きではあったがようやくこっちを向いた浩太は、これまたゆっくりした動きで僕に焦点をあわせるとひとこと「大丈夫です」と答えた。

 少し遅れて駆け寄ってきた女の子の母親が何度も頭を下げながら「ホントいつもボーっとしてる子で」とか「クリーニング代を」とか言うのを、じゃあその代わりに、とさえぎって、もう一度女の子と浩太を交互に見る。青ざめた顔と、熱に浮かされたような様子に変わりは無い。僕は女の子に視線を合わせて一つ(生まれて初めて)ウィンクしてみせた。

「じゃあその代わりに、こいつと友達になってくれないかな」



 日はすっかり傾いていた。うっすら浮かんだ雲を透過した、折り重なるような橙色の光が僕と浩太の歩く土手沿いの道を明るく染めていた。まだぼんやりした様子の浩太を横目で盗み見て、何で忘れてたんだろうな、と思う。記憶の奥底に追いやられていたのはボールを追いかけている最中の感覚だけではなかったではないか。

「なんで友達なんですか」

 浩太が不満そうな声でたずねてきた。どう答えるべきかわからず「…迷惑だった?」と聞きかえす。

「そういうわけではないですけど」

 ……浩太があの感覚をどう解釈したかはわからないが、僕には「一目惚れした」ようにしか見えなかった。だとしたら、あのまま分かれてしまうのはもったいないと思ったのだ。


「昔、あそこで会った女の子を好きになった事があったんだよ」

 本当に、どうして忘れてしまえていたのかわからない。雷に打たれたような?違う。もっともっと鈍く、春先のまどろみのように抗いがたい感覚だった。多分最初で最後の一目惚れ。思い返すと、さっきの女の子に似ていたような気もする。

「その人とはどうなったんですか」

「初めて会った日が最初で最後だった。それっきり」

 友達になるどころか、声を聞くことすらなかった。それから何ヶ月もたって、もう会える可能性なんて無いとわかっているのに公園に行ってみたりもした。ぼんやりするたび、風に揺れる長い髪がまぶたの裏でちらついた。それほどまでに心奪われていたのに。今日の今日まで、思い出すことが出来なかった。

 浩太もいずれ忘れてしまうのだろうか。そう思ったら、どうにかして関係を繋いでやりたくなった。岬が、こいつをいつまで俺の家においていくつもりなのかはわからない。もしかしたら明日にだって迎えに来るかもしれない。出来上がってしまった縁が、浩太を、あるいはあの女の子が寂しさに苛まれる結果を生んでしまうかもしれないという考えが脳裏をよぎらない事もなかった。

 それでも、忘れないで欲しいと思ったのだ。

「…さよなら」

「え?」

 思わず口からこぼれていた。もしかすると、涙の代わりだったのかもしれない。

 言葉の意味を図りかねた浩太が、不安げな視線で僕を見ていた。

「なんでもないよ。それより、明日も公園行くか?」

 視線を正面に戻した浩太が小さく、けれどしっかりと頷いた。


 

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