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黒い咆哮  作者: 要徹
3/11

Roar 3

 ローは心地よい夢の中を泳いでいた。

 何者にも邪魔されることのない最高の空間。

 だが、その空間に異物が紛れ込んだ。

 それは、彼が今でも鮮明に覚えているあの時のことだった。

 そう、彼が群れを追放された時のことだ。

 

 白銀の世界で二匹の狼が何やら話をしている。

「この間ロムス達だけじゃなくローを狩りに連れて行けって言われたもんで、仕方なく連れて行ったんだけどな、これがまた下手くそなんだ」

「そりゃあそうだろう。あいつは黒い。穢れた存在に何か出来るなんて期待する方が馬鹿なんだよ」

「本当にな。あいつはこの群れに必要ないんだよ。それに比べて、ロムス達の優秀なこと」

 群れの狼たちが愚痴をこぼしていると、啜り泣く声が聞こえてきた。その啜り泣きはローのものだった。ローはその会話を陰で聞いていた。心が締め付けられ、心臓をナイフで抉られたかのような痛みと苦しみを味わった。さっきまで話をしていた狼たちはローの存在に気付くと、そそくさとその場を後にした。

「ねえ、僕を一人にしないでよ」

 誰も彼のその言葉に耳を傾けない。皆が彼を避けて歩く。完全なる黙殺。なまじ暴力を奮われるよりも黙殺というものは辛い。肉体的に傷つくことは決してないが、精神は着実に削られていく。

「ねえ、お父さん」

 父すら何も応えない。すべてはこの群れの秩序を守る為だった。

アルファにとって、彼を追放しない、これ以上の譲歩はありえなかった。我が息子だからといって優遇してしまえば群れの長としての立場がない。

「兄さん」

 彼の兄である二匹もローを避けた。黒い毛色は病気だと、黒は穢れた色だと彼を蔑んだ。逆に自分たちは、白は神に近しい神聖な存在だと信じてやまなかった。それは群れの狼たちすべてに言えたことだった。

 ローは誰もいない、光の一筋も射さない場所で一人涙を流した。

自分は生まれてこないほうが良かったのではないか、自分の存在意義はあるのか、と嘆いた。ローは忌々しい色を消そうと、爪で自分の体を傷つけ始めた。これさえ消えてしまえば皆は無視しなくなる、避けなくなる。そんな淡い期待を抱いて。だが、その色は鮮血の色でも消えることはなかった。黒は赤よりも色が強い。

「やめなさい! 何をそんなに悲しんでいるの」

 悲しみに包まれた空間に温かな声が響く。アルファの妻となった狼、ローの母親の声だった。彼女はローの希望だった。いつも母親に慰められてきたローにとって、母親という存在はなくてはならないものになっていた。ローはいつも素直に母親と接してきたが、今日は少し嘘をついた。

「何でもない」

 そうは言うものの涙声だ。ローの精いっぱいの虚勢であり、嘘だった。母親を心配させたくない一心でついた嘘だった。彼女は傷だらけになったローに近づき、傷口を舐めた。ほのかな鉄の味が彼女の口内に広がる。

「あなたは何も気にすることはないのよ。お父さんも、お兄さんたちも、群れの皆も、本当に大事なことをわかっていないの」

「父さんも、兄さんも、群れの皆も正しいんだよ。僕は何も出来ないんだ。この間だって狩りに連れて行ってもらったけど、何も出来なかった」

「そう」

 母親はローの毛を舐めてやった。これが慰めになるとは思えないが、ローの悲しむ姿は母親として放っておけるものではなかった。

「でもね、狩りが出来なくてもいいじゃないの」

「いいわけないじゃないか! 母さんに何が分かるっていうのさ!」

「私には何も分からないわ。でもね、これだけは分かる」

 母親の声は美しい旋律となってローの心に響きわたった。

「あなたは何も悪くないわ。色なんて重要なことじゃない。狩りなんて出来なくても、あなたにしか出来ないことがきっとある。真っ黒なあなただからこそね」

 そんなことありえるわけがない。ローは瞬間的にそう感じた。そして、感情の赴くままに母親を突き放した。

「もう僕のことは放っておいてくれよ!」

 そこから去っていくローを母親は悲しげな瞳で見送っていた。その光景を見ていた狼たちは、陰で親不孝者、とローを罵った。


 翌日、母親は三匹の子供たちにこう告げた。

「ロー、ロムス、レムス。今日は私が狩りを教えてあげる」

 母親は満面の笑みを浮かべて三匹の子供たちを見つめた。真っ先にその言葉に不満を覚えたのはロムスだった。

「なんでローまでついてくるんだよ。こいつ、前に狩りに行った時も足を引っ張ったんだぜ。とんだデキソコナイだ」

 たったこれだけの言葉でローの心は引き裂かれた。じわりと涙が溜まっていく。母親はそれを舐めとってやると、ロムスを叱った。

「ロムス! なんてことを言うの。あなたも上手く狩りを出来ないでしょう? それなのにローを見下すなんて」

「そのデキソコナイよりは上手いよ。連れて行ってくれた仲間たちも僕たちを褒めてくれていたよ。ローに出来ることなんて何もないんだ。いや、一つだけあるかな。めそめそと泣くことだ!」

「う、うわああああん」

 ローはとうとう泣き出してしまった。群れの狼たちもそれを聞いてはいたが、誰一人として彼を庇おうとはしなかった。

「やめなさい! ほら、ローも泣かないの」

 母親はローにすり寄り、彼を慰めた。ロムスはそれを鋭い目で睨みつけた。ローはその視線が怖くて仕方がなかった。

「どうしてそんなデキソコナイばっかり! 僕らの方が綺麗だし、狩りも出来るのに! どうして母さんは僕たちの価値に気付いてくれないのさ!」

 ロムスは不快感を露わにした。何故穢れたローが母親の愛情を一身に受けられて、白という神聖な色をしている自分たちが愛を受けられないのか、不思議でたまらなかった。

「綺麗ですって? あなたは勘違いをしている。重要なことは色や狩りが出来る出来ないじゃないのよ」

「じゃあ何だって言うんだよ!」

「あなたには言っても分からないわ。さあ、この話はやめにして狩りへ出掛けましょう」

 母親はロムスをもう一度舐めてやると、聖母のような笑顔を浮かべた。ローはその笑顔を見ると、自分がちっぽけなことで悩んでいるかのように思われた。不思議と、彼の中に自信が満ち溢れていった。

「うん。ありがとう、母さん。僕、きっと狩りが出来るようになるからね。それから僕にしか出来ないことを探すよ」

「ふふ。じゃあ行きましょうか」

 母親とローの姿に、ロムスは鋭い眼光を浴びせていた。

「さあ、ロムスもレムスも。あなたたちが嫌いなわけじゃないのよ。皆大好きよ。早く行きましょう」

 嫌々といった風な面持ちで二匹も母親について行った。


 四匹が山を登っていると、天候が崩れ始めた。出発当初には青く清々しかった空が、今や不吉な灰色の空と化している。灰色の空を舞台にして、雪が踊りを始めた。もうしばらくすれば舞台は盛り上がり、吹雪となるだろう。

「まいったわね。これ以上ここにいたら危険かもしれない。今日は中止よ。群れに帰るわ」

 母親のその言葉に一番落胆したのはローだった。せっかく決意を新たにしたにも関わらず、出だしで雪という小石に躓かされてしまった。

「お前がいるからこんなことになったんだ」

 ぼそっとロムスが言い放った。母親には聞こえていなかったが、ローの耳にはしっかりと届いていた。その言葉に少し傷ついたが、母親の言葉を頭の中で反芻して心を落ち着かせた。

 山を下っていると、とうとう吹雪が起こり始めた。みるみるうちに視界は悪くなり、白銀の世界のせいか前後左右の区別がまったくつかなくなった。

「母さん!」

 ローが母親を呼ぶが、まったく返事がない。どうやらはぐれてしまったようだ。ローは不安に駆られ、そこらじゅうを歩き回った。一刻も早くこの孤独からくる不安を消し飛ばしたかった。視界は白で塞がれ、何も見えない。きっとこの吹雪の先では母親が助けを求めている。そう考えてローは進み続けた。

 吹雪が次第に止み、視界が開けてくる頃。ローは仄暗い物体を白い舞台の上で発見した。恐る恐る近寄ると、息も絶え絶えの母親が転がっているではないか。

 ローは思わず駆け寄って傷を舐めた。だが、それは無駄だった。ローは助けを求めて吠えた。彼の口には、多量の血液が付着していた。

 ローの助けに気付いたのか、ロムスとレムスが後からやってきた。二匹の姿は雪が付着したのか、恐ろしいまでに全身が真っ白だった。母親のなれの果てを見た彼らもしばし言葉を失っていた。そして、彼らから発せられた最初の言葉は、母親を想う言葉ではなかった。

「ロー! お前、親の肉を喰らうのか!」

 ローは慌てふためいた。自分はやってない、そんなことを何度も何度もロムスに言った。しかし、ロムスから帰ってくる言葉は、決まってこうだった。

「汚らわしい! もうお前なんかといられない!」

 ロムスとレムスはさっさと山を下っていった。彼らの去った後には、悲しみと虚脱感、母親の肉塊だけが残された。ローは、そこで母親の死を悲しみ続けた。

 しばらくの後、ロムスとレムスがその場に帰ってきた。群れの狼たちも全員連れられている。僕はやっていない、そう言おうとしたが、狼たちの視線がローに突き刺さり、彼の言葉を塞いだ。母親の死体を中心にして沈黙がすべてを包んだ。その沈黙を破ったのは父親のアルファだった。

「ロムスとレムスからすべてを聞いた。お前が私の妻を殺したのだな? どうしてこんなことをしたのだ」

「父さん! 僕は母さんを殺してなんかいない! 僕が見たときにはお母さんは死んでいたんだ!」

「なら、お前の体にまとわりついている血はどう説明する?」

「これは母さんを助けようと思って傷を舐めた時に付いたものだよ!」

「見苦しいぞ、ロー」

 群れの狼の一人が口を開いた。

「ロムスとレムスはお前が殺したと言っている。誰がそれを疑うんだ。それに、お前は昨日母親と何やら争っていたじゃないか」

「それは」

 ほうら見ろ、といった顔で群れの狼たちがローを睨みつけている。

「追放だ! こんな危険なやつを仲間として置いておくなんて考えられない!」

「俺もそう思うぞ! そもそもあの人間たちと同じ色をしているんだ。まともなわけがない」

「穢れたものは群れから立ち去れ!」

「いや、立ち去るだけだなんて生ぬるい! 今すぐそいつを食い殺してしまえ!」

 狼たちが口々にローを責め立てた。ローは何度も弁明をしようと試みたが、すべて怒声にかき消された。すべての憎しみを帯びた声がローに集中砲火を浴びせる。狼たちの怒りのボルテージは最高潮だ。もう生きていることすら出来ないかもしれない、とローは覚悟した。

「皆、黙るんだ」

 アルファのその一言で集中砲火は止んだ。その代わりに、ローに一本の言葉のナイフが刺された。そのナイフは、剣よりも鋭く、強力なものだった。

「ロー。お前を群れから追放する」

 群れの狼たちから、何で殺してしまわないのだ、と不満の声が湧き上がる。アルファのこの決断は、我が息子を守る最後の愛情だった。殺せ、という声が未だやまない。

「私の決定は絶対だ。異論は認めない」

「父さん!」

「生きていられるだけでありがたいと思うんだ。さあ、早くここから去れ!」

 アルファは大きく吠えた。まるでローのことを息子ではなく、敵と見ているかのように。周囲の狼たちも、それにつられて吠えた。

 恐ろしくなったローはその場から逃げだした。そして、どこまでも駆けていった。僕は悪くない。そんなことをいつまでも考えながら。そして黒い自分に、母親を殺される前に発見できなかった自分に罪悪感を覚えて。


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