[第十話]看病の花
「38.7度か...」
体温計の数値を確認して、俺はため息をついた。
昨晩から体の調子が悪く、朝起きても良くならなかったため、熱を測ったところしっかりと38度台。
この場合は病院に行くのが妥当なんだが、俺は無職。病院代もケチりたい。
無職は金はなくても時間はあるところが長所だ。
1日か2日も寝ていれば、まあ治るだろうと思い、俺はベッドの上でゆっくりと目を閉じた。
「たけ〜!おはよーう!今日は何して遊ぶ〜?」
何も知らないまるおが、勢いよく扉を開けて部屋に入ってきた。
「今日は体調が悪いから、お前1人で遊んでろ」
「え、そうなの?たけ、大丈夫ー?僕、何かしようか?」
「そうだな、じゃあ、おかゆ、、、」
一瞬、こんなときにおかゆを作ってくれる同居人がいればな、と淡い期待をしたが、こいつに料理なんて任せた場合、皿は何枚割れるかわからないし、キッチンもどれだけ汚されるかわからない。
うちのコンロはIHだから、あいつの茎に燃え移る心配はないと思うが、あいつの体は無事でも俺のキッチンは無事では済まないだろう。
「いや、何もしなくても大丈夫。1人で好きなことして過ごしてくれ」
まるおはまだ心配そうにこちらを見ていたが、「分かった!」といって部屋から出ていった。
俺は再びゆっくりと目を閉じた。
............が、高熱で気持ち悪くて、なかなか眠れない。
熱が出ると、いつも子供の頃を思い出す。
俺の両親は共働きで、いつも忙しそうにしていた。
両親は、俺が具合が悪いと言えば必要以上に心配して、仕事も休んで看病してしまうため、
俺はいつも忙しい両親に申し訳なくて、体調が悪い時は両親にはバレないように隠していた。
しかし、さすがに高熱が出た時は、立つこともままならず、隠すことはできなかった。
両親は俺が高熱を出したことを知ると、2人とも仕事を休んで、1日中ずっと家にいてくれた。
自分は大丈夫だから気にせず仕事に行って、と伝えても
「あなたより大切なものはない」と言って、そばにいてくれた。
体調が悪いと、決まって父さんがおかゆを作ってくれた。母さんは料理は苦手で、料理は父さんの担当なんだが、これがまあ、絶品で。
具合が悪くない時でも食べたいくらい美味しいんだ。
あの味はどうやって作っていたのだろう。
自分が大人になってから同じ味を作ろうと挑戦したが、上手くいかなかった。
具合が悪くて眠れない夜は、眠れるまで母さんに手を握ってもらっていた。
俺の熱がうつるから離れて、と言っても、母さんは変なところで頑固なんだ。話を聞いてくれない。体調が悪くて不安な時は、俺が寝付くまでずっと手を繋いでくれた。
父さんも繋ぎたがっていたけれど、父さんはすぐ寝落ちするしイビキが酷いから、母さんに「あんたはさっさと部屋で寝なさい」っていつも言われてたな。
俺は、ふと自分の手を見つめた。
...大きく、なったな。子供の頃よりも、見違えるほど。
もし、今、母さんと手を繋ぐことが出来たとしたら、俺が母さんの手を包むくらい、大きくなっているのだろうか。
俺はもう、すっかり大人になった。
それなのに、働きもせず、毎日を適当に過ごしているこの姿を、
両親は一体、どんな気持ちで見守っているのだろうか。
あんなに優しくしてもらった両親に、俺は本当に、何も返せてない。返せなかった。
...両親のことはあまり思い出さないようにしてたのに。
俺は急に色々なことが不安になって、自分の右手を、自分の左手で強く握りしめた。
すると、左手の上から、ちょこん、と見慣れた茎が乗ってきた。
「うわ!まるお、お前いつのまにそこにいたんだよ!」
部屋から出ていったと思ったまるおは、いつのまにか俺のベッドの目の前にいた。
「少し前からいたよー!手を握ってどうしたの?僕も握ってあげるね!」
まるおは、自分の茎を俺の人差し指に絡めて、ぎゅっと強く握りしめた。
ふと、母親のことを思い出して、俺はなんだか恥ずかしくなって、まるおの茎を振り払った。
「さ、触んなって!...お前、1人で遊んでろって言っただろ?」
「だって、1人でトランプしても、楽しくなかったよ。たけがいないと、楽しくないよ...。早く、体調良くならないかなって思って、また戻ってきたの!」
すると、まるおは急にあの“梅干し顔”をしながらこちらを見つめ始めた。
「な、おま、な、なにしてんだよ!?」
「だってね!たけ、体調が悪くて苦しそうだから...この顔してる時はね、たけ、たくさん笑ってたから!また元気になるかなって...」
まるおは心配そうにこちらを見つめている。
こいつと過ごした時間は、当然、俺の人生の中ではごくわずかな時間だ。それでも俺はこいつのことをある程度“分かったつもり”でいたが、
まるおがこんな風に俺を心配して、元気付けようとする心を持っているということを、俺は知らなかった。
「あ...じゃあ、キッチンの1番奥にペットボトルがあるだろう。水があるはずだから、それを一本取ってきてくれないか。」
「うん!任せて!たけも水が好きだね!僕と同じだ!!」
まるおは嬉しそうに笑い、走って水をとりに行った。
水だけならあいつ1人でも大丈夫だと思ったが、キッチンの方向から“ガチャン”“バンッ!!”など、怪しい音が聞こえてきて、一気に不安な気持ちが押し寄せる...
帰ってきたまるおが持っているのは、水ではなくお茶のペットボトルだった。
「たけー!見つけたよ!はい、これあげる!随分と濁ってる水が好きなんだね!!」
「......あ、ありがとう」
まあ、水ではなかったけど、飲み物を持ってきてくれただけ感謝しよう。
「たけ!たけ!他には、何か僕ができること、ある?」
「え?あぁ、そうだな...」
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俺の熱は、インフルエンザだった。
3日間寝込んでも熱が下がらなかったため、病院代をケチっていた俺でも、さすがに治らないんじゃないかと不安になり、病院で診察して薬をもらった。
普段は健康を意識した生活などしておらず、カップラーメンばかり食べたり、運動もろくにしていない、というだらしない生活習慣のせいで体力も免疫も落ちていたのか、俺のインフルがよくなるのに、1週間もかかってしまった。
その間、まるおはずっと俺のそばにいた。
まるおは、日中は鉢から出て過ごしているが、寝る時は鉢に戻って寝ている。一日中、24時間ずっと土から離れていると体調が悪くなるから、という理由があるらしい。
まるおの鉢は本来リビングにあったが、この1週間でまるおは自分の鉢を俺の部屋に移動させて、寝る時も一緒に過ごしていた。
俺が体調が悪くて眠れない夜は、大きなモニターで一緒に動画やテレビを見たり、
新しい曲をたくさん聴いて、次はカラオケでどの歌が歌いたいか、など話していた。
そして、まるおはなんと、初の料理に挑戦して、俺におかゆを作ってくれた。(なお、味はゲロマズだったが、まるおがずっと見つめてくるため、しかたなく食べ切った)
そして、まるおは、洋服を洗って干すということを覚えてくれた。
洗濯物の干し方もまあ酷いもんだったが、料理よりはマシなレベルだった。
ゲームのコントローラー操作も覚えられなかったが、俺がベッドの上でまるおの操作を見ながらアドバイスしたら、まあ、相変わらず酷いもんではあるが、一通りの操作は問題なくできるようになった。
『どうせあいつには何もできない』と決めつけていたのは、俺の方だったのかもしれない。
そうして俺の1週間はインフルであっという間に過ぎ去った。
朝、目が覚めてまるおに声をかけようとすると、まるおの花びらが目の前でひらりと、1枚、散った。
そうか、熱が出てすっかり忘れていたが、まるおと出会って、今日でちょうど、2ヶ月経っていたのか。
突然、俺の心臓が、今まで聞いたこともない音で、バクバクと鳴り始める。
まるおといられるのは、残り3ヶ月。
やっと3ヶ月。
じゃない。
あと、残り、たったの3ヶ月。
もう熱は引いているはずなのに、俺は感じたことのない気持ち悪さに襲われた。




