8.
「……君、名前ないの?」
ふいに、レンがそう訊ねた。それは本名を知ろうとする問いではなかった。あくまで、ここでの呼び名が不便だという、事務的な確認のようだった。
私は答えなかった。否――答えることができなかった。本当の名は、サラ。けれど、ここでそれを名乗ることは、まだ私自身を守っているという最後の線を、完全に手放すことになる気がした。
沈黙を肯定と受け取ったのか、レンは、少しだけ顎を傾けて、目を細めた。その口元には、愉しげな歪みが浮かんでいた。
「……じゃあ、僕が決めていい?」
私の返答を待つこともなく、レンはつぶやくように言った。
「君の名は、今日から“スノウ”だ」
その声色に、明らかに嘲りが混じっていた。
「色が抜けてて、肌も白くて、それなのに、汚れてないフリしてる」
静かに言われたそれは、まるで“壊れやすい純白の標本に貼りつけられるラベルのようだった。
「でも、雪って……すぐに汚れるし、溶ける。……可愛いよね。壊れやすくて」
レンの指先がまた、頬の空気をなぞる。触れていないはずなのに、皮膚が焼けるような熱を帯びる。
「嫌?……そうか。じゃあそれで決まりだね」
私はその名を否定する言葉を飲み込んだ。だって、それを否定することは、彼の興味を手放すことでもあり、同時に――タクミの安全を失う危険を孕んでいたから。
そしてレンは、そんな私の沈黙をまた肯定と解釈する。
「いい子だ、スノウ」
その言葉には、まるで獲物を気に入った飼い主が小動物を撫でるときのような、酷薄な優しさが混じっていた。
私は目を閉じた。深く、静かに。
――スノウ。
その名前が、胸に刺さる。
けれど。その名前は、私のものじゃない。私は、まだタツミでありサラだ。大丈夫、私はまだ、大丈夫。タクミがいる限り、負けない。
サラ 反抗的な目をしてる
私は スノウ じゃない