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41.

「サラ――!!」


その名前を叫びながら、僕はただ、崩れ落ちるように膝をついた。拘束された扉の向こうに、彼女は消えた。小さな背中をまっすぐに向けたまま、振り返ることもせずに。


「なんで、なんで君は……」


呟く声は震えていた。嗚咽でもなく、叫びでもない。ただ、言葉にしないと自分が崩れてしまいそうなほど、その胸の奥は、焼けるように痛んでいた。


「……君は、ほんとうに馬鹿、だ」


その言葉は、呆れたような声で。でも、どこか優しげに微笑むような調子で――けれど、そこに温度はなかった。


「なんで……そんな顔、するの。なんで、僕なんかのために、あんなふうに笑うの」


膝をついたまま、僕は動けなかった。足に力が入らない。腕も震えてる。息も、ちゃんと吸えてるのか分からない。君の背中が、まだ焼きついている。小さくて、痩せてて。それでも――誰よりもまっすぐだった。


「君はさ、本当に変だよ。僕のこと、怖がってたはずなのに。何度もやめてって言ってたのに。なのに、どうして……お願いなんかするんだよ」


自分の存在は、奪うことしかできなかった。ただ力で、ただ欲望で、「手に入れればいい」と思っていた。


僕に、託すなんて――そんなこと、しちゃいけなかったんだよ。


僕は、誰にも頼られたことがなかった。誰かを守ったこともなかった。与えられたのは暴力で、返したのも暴力だった。けれど、あの人は――そんな自分に、信頼なんて渡してきた。


何の見返りもなく。

何の保証もなく。


――「みんなに手を出さないで。私のことは好きにしていいから」

――「タクミをお願いします」


あんな小さな身体で。あんな優しい声で。どうしてあんな終わりの言葉を、あの人は口にできたのか。


「君は、全部ひとりで背負って。僕の知らないところで、ずっと……」


気づかなかった。いや、見ようとしなかった。君がどれだけ怯えていたか。どれだけのものを抱えていたか。小さな背中に。すべてを――詰め込んでいたなんて。


「僕……なにも、できなかったんだね」


空虚な笑いが漏れる。なんだろう、これ。息が詰まるみたいで、胸が苦しくて。でも涙は出ない。


「スノウ、じゃなくて……サラって言ったよね」


その名前を、君は最後の最後で、僕だけに教えてくれた。


「僕は……」


ふと、掌を見た。何も持っていない。何も掴めていない。

君が、僕に遺したものは――重すぎて、柔らかすぎて、形をしてないから、どこにも仕舞えなかった。


「ねえ、君は…なんで、僕を選んだの……?」


もういない相手に問うその声は、あまりにも静かだった。感情の欠片すら感じさせない声で、ただ、壊れかけた時計のように繰り返していた。


「ねえ、サラ……守ってって、言ってほしかったよ」


声が潰れる。彼女の背中が、焼きついて離れない。小さくて、傷だらけで。本当は怖かっただろう。震えていただろう。それでも、誰よりも強くあろうとした。母親として。人間として。


僕は、両手で頭を抱えた。震える指先が、こめかみを掻きむしる。


「……なんで……僕は…!」


今まで、誰も自分にそんなものをくれたことはなかった。優しさも、名前も、信頼も。


与えられたのは檻と番号だけ。

与えたのは暴力と破壊だけ。


それなのに――


「なんで、君は……!」


誰かに何かを託されたことが、こんなにも痛いなんて、知らなかった。こんな胸の奥が、張り裂けそうになるほど痛むなんて――


「返してくれよ…サラを……」


声にならない声。流せない涙。自分は泣き方すら知らなかったのだと、この時ようやく知った。そんな僕の耳元に、微かに残るのは、あの人の最後の声だった。


僕は、空を見上げる。遠いどこかに、あの人がまだ見ている気がして。


「ごめん…サラ…」


その言葉は、生まれて初めて――誰かのために絞り出した謝罪だった。痛みが、この胸の奥で、静かに燃えている。それは、怒りじゃない。欲望でもない。


――「君を、奪い返す」ためだけに芽吹いた、感情という名の、真実の力。


そしてその瞬間。僕の胸に、熱い光が点った。


それは、奪うためじゃない。守るための力――


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