4.
部屋の扉を開けた男は、無言だった。
夕暮れが入り込む廊下で、彼の姿は妙に影が濃かった。黒髪をセンターで分け、無駄のない動きでこちらを見下ろす。中肉中背よりもやや高く、痩せすぎず、厚すぎず。――けれど、彼の目には光がなかった。
「……お前が、タツミだな」
私はゆっくりと頷いた。声を出さなかったのは、タクミが私の後ろに隠れるようにして立っていたからだ。
「俺の名前は、シュウジ。レンから、お前とその子を頼まれてる。……特に子どものほうな」
タクミの肩が一瞬震えた。シュウジはそれを見て、眉ひとつ動かさなかった。
「悪いが、あんたはすぐに来いってさ。レンのところに。……その間、ガキは俺が預かる」
その言葉に、私はタクミを背にかばうようにして一歩踏み出した。
「預けるつもりはない。私は……」
「……命令だ、タツミ」
シュウジの口調は冷たくも怒気があるわけでもなかった。ただ、それが覆せない事実であることを、当然のように告げてきた。
「……レンって、あの黒髪の……」
私はあえて名指しを避けた。
「そうだ、あのレン。お前に興味を持った。あいつが誰かに興味を持つってのは、俺がここに来てから初めて見た」
私の心臓が、すっと冷えていく。
「信用しろとは言わねぇよ。でもあんたが断わっても、どうせ連れてかれる。だったら……ガキは、俺が見ておく。手は出さねぇ。あいつから頼まれてる」
どうしても、信じられなかった。けれど、今は時間を引き延ばす猶予もなかった。私がタクミの手を取ると、小さな手が、かすかに震えていた。
「タクミ。ちょっとだけ、待ってて。この人がついてるから、大丈夫。すぐに戻る」
タクミは首を横に振った。ぎゅっと私の手を握る。目が潤んでいた。
「だいじょうぶ。ちゃんと……帰ってくる」
私は言葉を選んで、そう告げた。――タツミではなく、母として。
シュウジは、簡易地図を見せながら、行くべき部屋を教えてくれた。幸いなことに、この部屋からとても近く、道筋も極めて簡単であった。
「……あんた、レンとどういう関係?」
私が問うと、彼はほんの一瞬だけ笑った。だがそれは、乾いた取引き人の顔だった。
「ただのギブアンドテイクだ。あいつが欲しいものを俺が持ってて、俺が欲しいものをあいつが持ってる。……それだけだ」
それだけ――けれど、それがどれほど不穏な響きを持つか、私はすでに知っていた。
教えられた通りに歩いた廊下の先――そこは、モールの地下へと続く通路だった。鉄骨が剥き出しの階段を降りると、やがて目の前に広がるのは、煌々とネオンの名残が浮かぶ、かつての娯楽の殿堂。
「……ゲームセンター……?」
私は思わず声を漏らした。
壁際には壊れた筐体が並び、クレーンゲームのアームだけが空を切っていた。けれど、その奥には仕切りが作られ、布や板で区切られた空間がいくつもある。ここが、レンの部屋、シュウジが教えてくれた通りだった。扉の前で、私は一度だけ息を整えた。ドアの向こうには、“支配者”がいる。
レン。
私に「匂いがする」と言った、あの男が。
――今、この檻の鍵を握る者が、私を待っている。
シュウジってこんなの
シュウジいいですよね。好きです。