39.
私の身体が、強引に引き寄せられた。無言のまま背中に回された両腕は、妙に優しかった。痛みはない。むしろその抱擁は、温もりを知っている誰かが、大切なものを包むようにそっと閉じる腕だった。
「やめて…」
呻くような声が喉から漏れる。けれど、その声さえ空気に吸い込まれて消えていく。目の前にいるそれは――あまりにもレンに似すぎていた。
髪型も、目元も、声も。皮膚の温度も、息のかかり方すらも。ただ、違っていたのは色。彼の皮膚と髪は、まるで私のように白化していた。
鏡のようだった。レンに似た姿を纏いながら、私と同じような欠損と痕跡を抱えた存在。
「やだ…違う……」
その腕をほどこうとしても、力が入らない。ホルモン調整による力の低下――ナシフの仕込みだった。
R-13は、私の耳元にそっと口を近づける。
「君が欲しい」
その囁きが、あまりにも自然に優しくて――私の心が、恐怖と錯覚の狭間で揺らいだ。
「ダメ…それは、あなたじゃない……!」
声は震えていた。けれど、体が覚えていた。かつてレンと、何度も重ねた体の温度。腰に回された手。肩を抱き寄せる角度。耳の後ろをなぞるような、指の動き。それは再現された記憶ではなく――記憶をなぞって侵食する快楽だった。
R-13の手が、私の首筋を撫でる。薄く息を吹きかけるように、唇が肌に触れた。
「ヒッ……や、やめ……ッ……!」
頭では拒絶している。でも体が、本物と同じ反応をしてしまう自分に、涙が滲んだ。体が震えたのは恐怖のせい?それとも、あの人の温度を思い出したから?
ーーこんなの、レンにしか許せないのに。
その瞬間、はっきりと気づいた。
「レンにしか、こんなこと……ッ」
震える喉から漏れた声が、涙とともにこぼれる。自分の中にずっとあった「好き」という気持ち。でもそれを認めることは、この終末世界では、あまりにも危険すぎた。
でも――
目の前の偽物によって、体を支配されかけたその瞬間に、本物への想いがはじめて、輪郭を持ったのだ。
「――私は、レンのことが、好き」
呟いた声が震えていたのは、その想いに気づくには、あまりにも遅すぎたという痛みのせいだった。
R-13は、反応しない。ただプログラムに従い、キスの真似をしようと、顔を傾けてくる。その唇が触れる直前――
「――来ないで!!!」
私は、残っていた力のすべてを込めて突き飛ばした。R-13の身体が少しよろめく。でも、それだけ。彼はすぐにまた私を抱き締め直した。まるで、どれだけ拒絶されても求め続けるレンのように。
でも――それも偽物だった。
それは執着ではない。感情の欠落した、ただの再現だった。思わず顔を背けた瞬間、R-13の手が私の腰を掴んだ。逃げ道を塞ぐように。それは、交配の初期動作が、プログラム通りに始まったことを意味していた。
私は必死に顔を背けていた。涙は止まらなかった。本物じゃない――そう何度も心の中で叫んでいるのに、その抱擁も、その息遣いも、あの人に似すぎていて。
「お願い……もうやめて……」
ふと、R-13の動きが止まった。
その目が、真正面から私を見つめた。金色の瞳――けれど、あの鋭い光ではない。空洞の中に、なにか小さな揺らぎが生まれたような気がした。
「……泣かないで」
それは、誰の命令でもない。誰のデータにも存在しない。プログラムに存在しない言葉だった。
私の身体がびくりと跳ねた。
「え……?」
「君が泣くのは……ダメ。わからないけど……やだ」
呟く声は不自然だった。発音も、文法も、どこか幼い。でも、確かにそこには――自我が、芽生えかけていた。
「……君の涙、熱い。……僕の中に、何かが動く。どうして……こんなにも、欲しいと思うんだろう……君の全部が」
R-13は、私の涙に触れた指を見つめていた。その目が、揺れていた。まるで、何かを思い出そうとしているかのように。
「君に触れるたび……何かが、叫んでる。僕じゃない僕が……君を求めてる」
私は、目を見開いた。
それは――レンの中にある狂気の執着。奪うようにしてでも、繋がっていたいという暴力的なまでの愛情。それが、R-13という器に、遺伝子として刻まれていたのだ。
「お願い、やめて……あなたは、彼じゃない……」
「……でも……僕は……君に触れたい、もっと、深く、強く……」
その瞬間、観測室の警報が鳴った。
「模倣体R-13において、予定外の言語出力および感情波を検出」
「予想外の神経活性パターン。海馬領域に一時的自己認識兆候――確認」
ナシフの眉がピクリと動いた。
「まさか……この段階で自我が? 冗談だろう……」
けれど、その予兆は止まらない。R-13は、私の肩に額を押し当て、震える声で呟いた。
「僕の中の何かが…… 君に言ってる……名前を……教えて、って」
私は涙を溜めた目で、見つめ返した。その彼は――レンではない。でも、たしかに今、私を誰かとして見ていた。そして気づいてしまった。その視線が、あの人と同じ求める目だということに。
「……違う……あなたは、私のレンじゃない……!」
「……でも、“僕”は……君を、欲しいと思った……」
その言葉とともに、再びR-13の手が、私の頬に添えられた。けれどそれは、さっきまでの無感情な交配動作ではなく――私の意思を確かめるかのような、ためらいのある動作だった。
「……レン、たすけて」
私が小さく呟いた声は、全てを押し殺していた。
それでも、その声が。
確かに、どこかで――本物に届こうとしていた。




