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37.

目覚めた瞬間、そこに音はなかった。


白。


ただ、それだけ。壁も床も天井も、ひとつとして影を落とさない真っ白な空間。色彩がないのではない。色を許されていない空間。


体を起こすと、金属製の冷たい床が背に貼り付いていた。しかし、拘束はされていない。代わりに――空気そのものが檻のようだった。心音まで拾われている気がして、深く息を吐くのすら憚られる。


「ここは……」


口にした声は、微かに震えていた。けれど、誰も応えない。返事の代わりに、壁の奥で「何か」が起動する音だけが鳴った。スピーカーから流れた声は、冷たい機械のように整った男の声。


「覚醒確認。脳波安定。筋反応良好」


その無機質なアナウンスのあと、別のトーンの声が、同じスピーカーから重なった。今度は人間の声――それでも、体温を感じさせない静かな声。


ナシフだった。


「気分はどうですか、サラ」


「何でーー私の名前を知っているの?」


反射的に返した声には、はっきりとした棘があった。ナシフからの問いには答えず、私はスピーカーを睨む。私の名前を言って欲しい人は、あなたじゃないから。


「君がさっき言っていたでしょう」


さっきとは、レンに私の本名を告げた時の事を言ってるのだろう。悔しい。やっと本当の名前が言えたのに。あなたにサラなんて。呼ばれたくない。


「意識の回復までの時間、睡眠中の脳波推移から、脳神経に大きな影響は確認されていません。良好な反応です。君の状態は、予想よりも純粋に近い」


純粋ーーその言葉に、思わず背筋が凍った。それはきっと、人間としてという意味ではない。器として混じりけがないという意味だ。


「みんなは…どうなったの……?」


そう訊いたとき、スピーカーがしばし沈黙した。


「現在、君以外の個体に直接的な制圧行動は取っていない。ただし、それは君が協力的である間のみだと理解してください」


私は、拳を強く握りしめた。従順でいることが、皆を守る唯一の手段であるなら――


「ーーわかったわ。何を、させたいの?」


その声は、かすかに滲んでいたが、震えてはいなかった。喉の奥で渦巻く恐怖を、必死に押し殺していた。


ナシフの声は淡々と続く。まるで数値報告のように。


「君は、感染後の自然回復を遂げた適応体でありながら、他の女性型個体と異なり、妊孕性を維持している可能性が極めて高い。自己修復パターン、内分泌機能、子宮内膜の状態推測より、外科的検査を必要とせず、受胎可能状態であると判断しました」


「……検査もしていないのに……」


呆然と呟いた私に、ナシフはあっさりと返す。


「無意味です。君の構造は既に解析済みです。本来なら、君のような構造は生まれない。感染後に妊娠能力を保持して生き延びた女性個体など、記録上は一件も存在しない」


沈黙が流れる。しばらくして、ナシフは報告書を読む様に語り出した。


「女性宿主の致死率は100%に近似。特に第14日目以降に観察される進行パターンでは、

・生殖器官の急性壊死

・ホルモンバランスの崩壊

・子宮組織の不可逆的破壊

が共通して確認されている。そのため、適応体が仮に感染から生還したとしても、妊孕性を保持する女性個体の存在は、統計的にゼロに収束する」


女性を殺す病だと認識はしていたが、まさかここまで徹底的に女性へ攻撃するウイルスだったとは。我が身に起こったかもしれない事実に、背筋が冷える。


「つまり、それが意味するのは――君が感染適応体との交配を自然に成立させうる唯一の例かもしれない、ということです」


一瞬、息が止まった。


「……それって……つまり……」


「試すということです。適合体を君と接触させ、妊娠が成立するかどうか。君の体が、感染によって破壊されずに受胎できる器かどうか――この世界の未来を作れるかを、ね」


私の指先が、かすかに震えた。だが、唇を噛んで、視線を落とさなかった。


「……誰と?」


「適応体の中でも、最も安定した遺伝因子を持つ存在です。Specimen R-13。君にとって、馴染み深い相手です」


「馴染み、深い?」


「見ればわかりますよ、彼は交配実績もあります」


その言葉が、私の中で何かを凍らせた。体が、指先から熱を失っていく。


「視覚的理解を促進します」


モニターが点灯する。そこに映ったのは――白い女性。そして、隣には……レンに酷似した、白い男性。その二人は、全くの無表情だった。


その映像を見た瞬間、私は一歩後ずさった。


二人に対し「開始」とどこかから声がかけられると、二人は突然性行為を始めた。それはあまりにも、事務的な作業だった。


生命に対する、命に対する冒涜だった。私はその映像を見て嫌悪感しか湧かない。途中から気分も悪くなってきた。映像の二人は、行為中一切表情が変わらなかった。そのことが、逆に現実のことと思えなかった。


「……何これ……何を見せてるの……」


「女型の模倣体と、適応体の模倣体。それが成立するなら、本物の組み合わせも成立すると仮定できます。これは観察の前提です」


「そんなことのために……私を……?」


「君は、例外だ。理論上、存在しないはずの妊娠可能な女性型適応体。よって、我々の観測に値します。人間として扱われたいと考えるならば、それは君の自由だ。我々は、ただ記録し、分析し、使用するだけです」


その言葉に、私は――声を失った。


でも、泣きはしなかった。


自分の腹に、手を当てた。


「…絶対に……私の中に、あなたたちの未来なんて…宿らせたりしない……」


ナシフは、無感情に答えた。


「抵抗は予測済みです。君の感情も、データとしては価値がある」


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