表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/50

36.

静まり返った都市区画。湿ったコンクリートの匂いと、壁に張り付いた蔦だけが生の存在を主張していた。


「……おかしい」


シュウジが銃を構えながら、周囲に目を走らせた。


「静かすぎる。足音も、虫の羽音すらもしない」


その言葉と同時に、ビルの屋上から、白い影が複数飛び降りてきた。着地の衝撃音すら、意図的に消されていた。完全な、無音。


「敵だ!」


叫ぶ暇もなく、レンとシュウジの背後から、無数の衝撃弾が放たれる。


「――ッ!」


レンが反応するより早く、右肩に撃ち込まれた特殊弾が電流を走らせた。即座に神経遮断。シュウジも同時に撃たれ、膝をついた。


「く……っ、動け、僕……っ!」


レンが歯を食いしばる。だが、体が思うように動かない。力は残っていても制御が効かない状態だった。


「やめてッ!!」


私が叫んだとき、白装束の兵士たちがタクミに狙いを定めていた。


「来るなーーー!」


タクミが叫んだ。その声が空気を震わせ、兵士たちの数人が一斉に痙攣して崩れ落ちる。けれど、その代償はあまりにも大きかった。


「ッ……か、あ……っ」


タクミが胸を押さえ、しゃがみ込む。その小さな口から、赤い液体が滴り落ちる。


「タクミ――!?」


私が駆け寄ったとき、彼は震える手で自分の喉元を押さえていた。


「だいじょうぶ…母さんは…僕が……」


「もういい…もういいの…!!しゃべらないで!!お願いだから!!」


レンは、痺れた体を無理に動かそうと地面を爪で掻いていた。


「…クソッ、動けよ、頼むから……!!」


シュウジも苦しそうに呻きながら、目だけで彼女の方を追っている。


レンもシュウジも、もう動けない。タクミも重傷。私は、タクミの頭を抱きしめながら震えていた。目の前では、白装束の兵たちが再び歩み寄ってくる。


「お願い…やめて……」


震える声で囁いたあと、私はゆっくりと顔を上げた。目には、涙が浮かんでいる。だけど、その奥に宿るものは――絶望ではなかった。


それは、決断だった。


私は静かに立ち上がる。タクミを背後に庇いながら、真正面を見据えて。血と砂埃の舞う瓦礫の中、私の声だけが不思議と静かに響いた。敵勢力の銃口は、タクミとレンとシュウジに向けられたまま。だが、私が一歩前に出ると、その刹那、空気が張り詰めた。



「みんなに手を出さないで ……私のことは、好きにしたらいいから」



その一言に、敵のリーダー格の男は満足げに口角を吊り上げる。


レンはその言葉を聞いた瞬間、金色の瞳を見開いたまま動けなかった。足が、腕が、身体が全て止まってしまったようだった。


「――あ……」


かつて、あの夜。


レンが、まだただの獣だったころ。誰の痛みも理解できなかったころ。冷たい目で、冷たい声で、彼女が同じ言葉を、タクミを守るために自分に言ったことを、レンは思い出していた。


“この子の安全を保証してくれるなら、好きにしたらいい”


それは守るための言葉だった。犠牲になる覚悟と、あまりに悲しい諦めの言葉だった。自分は、彼女の選択肢を潰し、自分に都合のいい答えを選ばせていたのだ。まさにーー今と同じ状況で。


あのとき、レンはそれを受け入れた。疑問にさえ思わなかった。


そして、今。目の前で、彼女が同じ言葉を、今度は自分のために口にした。そのときの彼女の顔を、今、目の前の彼女の声が――上書きしていく。


「っ、……う、あ……ッ」


レンは、地面に這いつくばったまま、喉から、知らない音を漏らした。それは怒りじゃない。悔しさでもない。


それは――後悔だった。


自分が、あのとき言わせた言葉を。彼女は今、自分の意思でまた口にした。誰かを守るために。


「……どうして……」


唇が震えた。


「どうして、そんなの……まだ言うんだよ……っ」


彼女のその言葉が、彼女が今もまだ、自分を差し出すしかないと思ってることの証に思えて――レンは、心の底から、自分を憎んだ。


胸を焼かれるような痛みに、息を呑む。


レンの声は震えていた。いつもの無邪気な抑揚は消え、掠れていた。それでも彼女は振り返らない。タクミを守るように立ちふさがるその背は、今にも壊れそうなほどに細く、小さかった。


「……違う……やめて……そんなの……」


レンのその声に、私は一瞬だけ振り返り、泣き出しそうな顔を笑みに変えた。そして、小さく口を動かした。


「……私の名前、まだちゃんと伝えてなかったよね」


「……え……?」


「タツミは…この世界で生き抜くために使ってた名前。本当の私は――サラっていうの」


レンの瞳が、大きく揺れた。その名を口にしたサラの声は、あまりにも柔らかく、それでいて、もう二度と届かないような距離にある声だった。


「忘れないでね。タクミを、お願いします」


そのまま彼女は、ふっと微笑んで――前を向いた。そして、兵の手に自ら手を差し出した。


「やめろ……っ!! 彼女は僕の――!」


動けない。力が入らない。自分の手で、同じ言葉を彼女に言わせた。その罪が、今やっと理解できた。


「……君に、そんなこと……強いてたんだ、僕は……!」


嗚咽に近い声が喉から漏れる。連れ去られるサラ。その後ろ姿が、瓦礫の向こうへと消えていった瞬間――


世界が、音を失った。


「……サラ……」


レンが、崩れた声でその名を呼んだ。それは、生まれて初めて知った愛しい人の真名。意味を、過去を、全部ひっくるめて預けられた名前。


血の味がするような喉で、彼はもう一度呟いた。


「……サラ……っ」


でも彼女は、もう振り返らなかった。

名を残して、彼女は去っていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ