24.
レンは、自分でも理由のわからない感情に包まれていた。
焦燥。孤独。奪われる恐怖。
そして、そのすべてを壊してしまえばいいと囁く、本能。
彼女と過ごすようになってから、レンの中に宿っていた渇きは、より濃く、鮮明になっていった。彼女が笑うたび、タクミに微笑むその顔が胸を裂いた。
「タクミは……いらない」
ぽつりと、そんな言葉がこぼれ落ちる。けれど次の瞬間、自分で吐いたその言葉に、レンは息を呑んだ。
いらない? それなら、どうして——
「邪魔だと思うくせに、殺す気になれないなんて」
頭を抱えながら、ベッドの端で膝を抱える。金の瞳孔が縦に裂けたまま、闇を見つめていた。
⸻
朝。冷たい床の感触。重たい身体。私はそれでも、誰よりも先に目を覚ました。私はいつものように、タクミが寝ている部屋へ行く。もう習慣となった、タクミと別々の就寝。それでも朝になれば、またあの太陽みたいな笑顔を、私に見せてくれると、そう思っていた。
「……タクミ?」
声をかける。だが、返事がない。部屋の中には、きちんと畳まれた毛布と、空っぽの空間。その布団は冷め切っていた。
嫌な汗が、背中を這い落ちる。
いつからいない?
昨日寝る前には部屋にいて、額にお休みのキスをしたのに。
「いない……っ」
重いジャケットの前を掴み、ぐしゃりと皺を作る。私は思わず廊下へ飛び出した。
「タクミ!!どこ!?」
このモールは、子どもが1人で歩くには危険すぎる。だがあの子は、勝手に部屋を出たりしない。部屋の外がどれだけ危険か、タクミは幼いながら理解していたのだから。
声を張り上げながら、近くの部屋を片っ端からの探す。焦燥と恐怖が胸を締め付け、酸素が入ってこない。朦朧とした視界の中、誰かの腕に引き止められる。
「タツミ、落ち着け」
「シュウジ……」
「まだ裏のほうを見ていない。俺が見る。お前はここで――」
「無理!!探す!!タクミは、私が……!!」
わかっている。
自分が焦れば焦るほど、選択肢を狭めていくことを。でも、止まれなかった。この地獄の世界で、あの子をひとりにするなんて。脚が縺れそうになる。耳が鳴って、目の端が白く染まっていく。
「どうしたの?探しもの?」
そのとき、不意に空気が変わった。呼ばれた声に、反射的に顔を上げた。
立っていたのは、レン。黒い服の上下に、足音もなく近づいてくるその姿。見慣れた、けれど――なぜだろう。その瞳が、いつもより深くて、暗くて、何かを湛えているように思えた。
「レン!タクミを見なかった!?」
悲鳴に近い声だった。
体からどんどん熱が失われている感覚がする。もう、タクミに、会えないかもしれない。そんな最悪な事態さえ、頭に過り始めた。
「……ああ、タクミ?」
レンは、あまりにも軽く口にした。
「僕と遊んでたけど?」
「……え?」
私の足が止まった。
時が止まったようだった。
「朝早くに目が覚めたからさ、連れて行った。君が眠ってるの、起こすの悪いでしょ? 静かに出たよ」
「…それ、いつ?」
「まだ暗い時。外は静かだったけど…うーん、そうそう。タクミ、疲れて途中で寝ちゃったから、物置の部屋に寝かせておいたんだよ」
「レン…! なにしてるのよ!!」
怒声が響いた。レンはきょとんと目を丸くし、次いで困ったように笑った。
「怒ること? だって、僕はただ……」
そのとき、私は理解した。
レンは、タクミを「物」として扱っていた。僕の持ち物に、勝手に触られたくなかった。ただそれだけで、彼はタクミを連れ出し、そしてーーー
「もしかして……タクミを、隠したの?」
そう問うと、レンは悪びれもせず唇を少し尖らせて言った。
「だって……君、最近タクミばっかり見るから。僕のこと、見てくれなかったでしょ?」
ーーー凍りついた。
レンは笑っていた。
だけどその笑みの奥で、確かな寂しさと、怒りと、幼児のような独占欲が渦巻いていた。
「僕のものなのに、どうして他の人にばっかり笑うの?だから少しだけ、僕の近くに置いただけなのに……」
「レン……あなた、気づいてないの?」
「なにが?」
「あなたがしたことは――誘拐よ。監禁よ。タクミは、あなたが怖くて、泣いてたのよ!!」
しん……と静まり返る。レンはしばらく黙っていた。
「心配しすぎだよ。だって、家族でしょ?」
その一言に、私の心臓が大きく脈打った。
ーーー
シュウジはそのやりとりを見て、レンの瞳の奥にあるものを読み取った。
これは、警告だ。
——僕のものに入り込みすぎるな。
ーーー
私は混乱する頭をいったん切り替え、シュウジと共に倉庫へ直行した。倉庫の中では、隅で丸くなって寝ているタクミがいた。
「タクミ!!」
タクミを揺り起こし、体に異常はないか丹念に調べる。着衣に乱れはなく、体も傷ついていないようだ。
「...母さん?」
状況のよくわからないタクミをしっかり抱きしめた。息は上がり、腕は自然と震えて止まらない。良かった、本当に良かった。
「無事だったでしょ?」
いつもと変わらぬ調子のレンが、ドアにもたれながら部屋の中をのぞいていた。レンを視界に入れた瞬間、タクミの小さな体は震え出した。その顔は明らかに怯えていた。
「…母さん、あのね、レンが……」
私はタクミの肩を引き寄せ、そっと抱きしめた。
「……レン、今日は……一人でいて。お願い」
その言葉を聞いた瞬間、レンの顔が凍った。
「……僕を、置いていくの?」
「今は、タクミを安心させたいの」
「——じゃあ、僕は? 君の家族だよ?」
声が震える。
それは怒りではなかった。絶望だった。
けれど私は、あえて目を背けた。今、レンに正面から向き合えば、何かが壊れる気がした。静かに踵を返し、タクミを抱いてその場を去る。
レンのもとに残されたのは、ただただ静寂と、張り詰めた空気だけだった。
レンの両手が、震えながら自分の腕を抱きしめた。
「ねぇ、僕は……いらないの?」
誰にも聞こえない声が、モールの暗がりに吸い込まれていった。




