表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/50

21.

モールの空気が変わったのは、あの事件の翌朝だった。盗難騒動とレンの一方的な裁き。サラの出現。その、あまりにも美しい女の姿に、男たちの抑圧された欲望が音を立てて軋み始めた。


「レンが独占してるんだ。女を。俺たちには何もないってのに……」


「何であいつばっか...!」


そんな呟きが、薄暗い通路の陰で囁かれている。誰が言ったのかはわからない。ただ、それを否定する者はいなかった。





「暴動が起きるかもしれない」


警備の巡回から戻ったシュウジは、レンの部屋の扉を静かに閉めながら呟いた。


ベッドではサラが静かに眠っている。

胸の上下がゆっくりとした呼吸を物語っていた。


「……僕のせい?」


レンの声は軽かった。まるで他人事のように。


「違う。俺たち全員のせいだ」


シュウジはサラを見下ろす視線を落としながら、静かに続けた。


「お前が彼女を囲ってることも、俺が見て見ぬふりをしてきたことも、限界に来てる」


レンは黙ってサラの髪を指先で撫でた。その仕草は優しげにすら見える。しかし、そこに宿るものは愛ではなく、執着だった。


「じゃあ、燃やせばいい?」


「やめろ」


その瞬間、シュウジの声に鋭さが宿った。


「タツミが望まない形で、この場所を壊すな。お前は、彼女を自分のものにしているつもりで、何も得てない」


しばらく沈黙が落ちる。


やがて、レンの目が細くなった。


縦に割れた金の瞳孔が、冷たい光を放つ。


「どうすれば……彼女が()()()()()?」


「お前が、ちゃんと守ってみせろ。力じゃなく、意思で」





その夜、モールの奥の物資庫に仕掛けられた罠が反応した。誰かが武器を持ち出そうとしていたらしい。名前は伏せられたままだが、火種は確実に撒かれた。


翌朝。


サラの手を包み込むように握ったレンは、柔らかく笑って言った。


「ねぇ、スノウ。僕が守るから。全部、僕が始末しておく」


その声音は甘く、恐ろしく静かで、そして……血の匂いがした。私の手を撫でながらそう囁くレンの指先は、まるで陶器に触れるような繊細さだった。その一方で、その声の裏に潜むものに、私の背筋はうっすらと冷える。


守る、と言っているのに。


なぜこんなにも怖いのだろう。


「レン…人を、殺さないで」


絞り出すような声で、私は言った。


「……あの人たちが悪かったとしても、もう充分、怖がってる。レンが動くと…もっと、全部が壊れてしまう」


レンはじっと、私を見つめた。縦に割れた瞳孔が、かすかに震えたように見えた。


「でもね、スノウ。君が傷つくの、嫌なんだ。……本当に、嫌なんだよ」


感情のない声でそう言いながら、レンは立ち上がった。





夜。モールの物資庫の一角で、何者かが再び備蓄を物色していた。


「…バレなきゃ大丈夫だって。どうせ、あの女にばっか食わせてるだろうし……!」


「こっちは女の影すら見てねぇのに、あの野郎!」


「毎日ヤりまくってんのかよっ!クソが!」


苛立ちと欲が交じった声。


男たちが手に缶詰を滑り込ませようとした瞬間、背後から足音ひとつ聞こえず、レンが現れた。


「お腹空いたの?」


その声に振り返った男の顔が、恐怖に歪む。


「な、なんでここに……っ」


「君、触っちゃったんだね。僕の場所にあるもの」


「ち、違うっ……!」


言い訳を吐き出す間もなく、レンの腕が動いた。音もなく、ただ一撃。悲鳴が木霊したのは一瞬、次にはもう沈黙しか残っていなかった。


そして翌朝、血で染まった床を前に、住人たちは思い知る。


——このモールは、怪物によって保たれている。⸻





部屋に戻ったレンは、私に何事もなかったように抱きついた。


「ねぇ、スノウ。僕ね、君のために綺麗にしてきたよ。もう誰も、君を見ようとしない。誰も、触れない。安心していいよ」


その言葉に、私は震えながら、微笑んだ。


「ありがとう、でも、レン……」


「ん?」


「私のために誰かを傷つけるの、やめて」


沈黙。長い、長い沈黙のあと。レンは私の首筋に顔を埋めるようにして、ぽつりと呟いた。


「……難しいね。でも、考えてみる」


彼が言う考えるが、一般的な意味ではないことを、私はとっくに知っていた。けれど、それでも彼が「考える」と言ったことが、僅かな救いのように思えた。


――彼は今、ほんの少しだけ「人間」に近づいている。


そんな希望が、刃のような現実の中に微かに灯っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ