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13.

ガチャ、と控えめな音が廊下に響いた。


その瞬間、タクミの小さな体がピクリと揺れた。シュウジの後ろから覗き込むようにしながら、戸の隙間から覗く暗い室内に、緊張した視線を送る。


次の瞬間、その瞳に母の姿が映った。


「…母さんっ!」


弾かれたように、タクミは走り出した。迷いも恐れもなく、ただ一直線に。ベッドの縁に縋るようにして、その白く冷たい指先に触れる。


「母さん、母さん…!目を開けてよ!どうして返事しないの、起きてよ…!」


泣きながらの必死の呼びかけに、母の長い睫毛が微かに震えた。ぼんやりと開いた瞳。視界は滲み、霞んでいた。それでも――あの声だけは、聞き違えようがなかった。


「タクミ…」


乾いた唇が、息のように名を漏らす。見慣れた顔が目の前にある。頬に涙を流すその表情に、母はかすかに微笑んだ。どこまでも柔らかく、限りなく優しく。


それは、確かに母の顔だった。


タクミの髪にそっと手を伸ばそうとした時だった。


――ズキン。


鋭い痛みが、わき腹をえぐった。


「っ、く……っ」


呻き声とともに、母の体が小さく震えた。驚いたタクミが、より強くしがみついてくる。


「うっ...ぐぅ......っ!」


ベッドの脇でその一部始終を眺めていたレンが、ふいに「あ」と声をあげた。


「そういえば、夢中になってたから忘れてたんだけど……もしかしたら、肋骨、折っちゃったかも」


何でもないことのように。思い出した、という調子で、呑気に。


その言葉を聞いた瞬間、シュウジの顔から血の気が引いた。


「おい、お前…」


レンはまるで責められているとは思わず、ただ不思議そうに首を傾げていた。


「だって、やわらかいんだもん。壊れそうなくらい。…あ、だから“スノウ”って呼んでるんだよ」


唐突に、レンは視線をサラに戻しながら言った。


「真っ白で、冷たそうで、触れたらすぐ溶けそうで……でも、ちゃんと僕の手の中に落ちてくる。ね、ぴったりだと思わない?」


嬉しそうに笑うその顔は、どこか幼さを含んでいて、余計に恐ろしかった。


「……タツミだ。あいつの名前は」


シュウジが低く言い放つ。


「えー、でも僕が気に入ってるのは“スノウ”なんだよ。ほら、名前って印だろ?君のもの、っていう」


「ふざけんな…」


シュウジは拳を固く握りしめた。母は痛みをこらえながら、タクミに囁く。


「もう、大丈夫よ。ここにいるから…あなたを、守るって…約束したもの…」


その言葉に、タクミの目から再び涙がこぼれた。彼女の声が弱々しくても、そこに込められた強さに、シュウジは一瞬だけ息を飲んだ。タクミの小さな手が、そっと私の肩に触れた。だがその瞬間、私の体がびくりと跳ね、喉の奥でかすれ、呻き声を漏らす。


「…母さん?」


声が揺れる。怯えと困惑、そして何より、理解不能な現実への恐怖。タクミの目に映ったのは、明らかに壊された母だった。肌は青白く、浮かぶ無数の痕跡は、どれもが痛々しいほどに赤黒く腫れていた。


こんな姿を、タクミは知らない。


母はいつも毅然としていて、誰よりも優しかった。でも今、その姿はまるで――「自分の知らない誰か」だった。


「どうして……何があったの?母さん!」


震える声でそう呟いたタクミの視線が、レンへと向けられる。あどけないながらも、その目には本能的な恐れが宿っていた。


レンは、私の傍らで膝を抱えながらタクミを見つめていた。金色の双眸は、まるで好奇心だけで構成されたような無垢さで。


「ねぇ、君がタクミ?ふぅん……ほんとにスノウはお母さんなんだね」


まるで玩具を観察するような声だった。タクミの名前に興味を示し、そして、その関係性をようやく理解したというように、レンは楽しげに微笑む。


「へぇ…スノウにも、君にも、絆ってやつがあるんだ。いいね。僕にはないけどさ」


その言葉に、シュウジの目が鋭く細められる。レンのその笑みが、まるで何かを壊す予兆のように見えたからだ。


「……いいか、レン」


シュウジの低く押さえた声が響く。


「お前が何をしようと、俺は見なかったことにしてきた。だが…これ以上、この子まで巻き込むな」


「え、なに?怒ってるの、シュウジ?」


レンは悪びれもせずに首を傾げる。その仕草の全てが、無邪気という名の異常で彩られていた。


「僕はただ、スノウの全部を知りたいだけなのに。タクミといると、スノウは母親の顔になる。それを…見たかっただけだよ?」


その瞬間、タクミの体が小さく震えた。レンの笑顔が怖かった――自分では説明できないけれど、母を壊したのは、間違いなくこの男だと、そう思えてならなかった。

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