12.
「……母さんは、どこ?」
ぽつりと落ちたその声に、シュウジの手が止まった。タクミの視線はじっとドアの向こうを見据えている。あれから丸一日、タツミの姿を誰も見ていなかった。
「母さんって……」
思わず口に出しかけて、シュウジは言葉を飲み込んだ。
あいつが女?……冗談だろ。
いや、確かに男にしては細身で小柄だと思っていたが。だが、今考えると、確かに声は女、と言われても違和感がない。落ち着かせるようにタクミの頭を軽く撫で、彼を部屋へと押し戻す。鍵を掛け、シュウジは足早にあの部屋へと向かった。
静かだった。だが、それがかえって異様だった。
ドアを開けた瞬間、鼻をつく生臭い空気に眉をひそめる。
空気が重い。レンの部屋に満ちるのは、熱と湿気、そして……明らかに「事後」の空気だった。部屋の奥、ベッドの上。そこにいたのは、白い肌をさらに蒼白に染めた――女だった。
その身体には、レンのものと思しき鬱血痕や歯型が、痛々しいほど刻まれていた。視線の先にある彼女は、目を閉じ、ぴくりとも動かない。
「……あいつ、本当に殺ったのかよ……」
思わず口の中で呟いた瞬間、視界の端で動く影。
「ん?シュウジ?どうしたの?」
レンだった。顔だけこちらに向け、いつもの無邪気な笑みを浮かべている。だが、瞳の奥には、尋常でない熱があった。
「……生きてんのか、そいつ」
短く尋ねると、レンは薄く笑った。
「生きてるよ? ほら」
レンが腰を深く穿つと、レンといまだ繋がったままのサラは、声にならないような小さな吐息が漏れた。
「……水と食事だ」
シュウジは、持ってきた水と缶詰を机に置く。だが、レンは顔を上げずに言った。
「えー、いらなーい」
「普通の人間には必要なんだよ、水も食事も」
「え?あ、そっか」
何でもないことのように笑うレンの姿に、シュウジは言い知れぬ不快感を覚えた。
「……そいつ、少し休ませてやれ。このままじゃ、死ぬぞ」
レンは唇を尖らせ、不満げにため息をついた。
「それは困るなあ。せっかく、こんなに気持ちいいのに」
その言葉にゾクリとした。冗談ではないのだと、レンの目が語っていた。しぶしぶと彼女から身を離し、ソファに腰を落ち着けるレン。その顔はまるで子どものような幸福感に満ちていた。
だが、シュウジと目が合った瞬間、その笑みは凍りつく。
「……ダメだよ、シュウジ。スノウは僕のだからね」
その一言に、背筋を冷たいものが走る。全身から発せられる異様な圧に、思わず視線を逸らした。彼女身体が視界に入らぬよう、壁を見つめながら、シュウジは低く告げた。
「……タクミが騒いでる。そろそろ限界らしい」
レンは、ふふっと笑った。あどけないその声が、底知れぬ狂気の響きを持っていた。
「……ああ、そうだ。誰かが騒いでるって言ってたっけ」
気の抜けた声でそう言ったレンは、まるで“その名前”に記憶がないようだった。シュウジは呆れを隠そうともせず、眉間に皺を寄せながら吐き捨てる。
「ちっこいガキだよ。……タツミの連れで、名前はタクミだ」
「……タクミ?」
レンは繰り返すように小さく呟き、指で自分のこめかみをぽんぽんと軽く叩いた。
「……あぁ、あの子か。いたねぇ、そんなの」
タツミ――スノウの身体を離れてなお、レンの意識には、まだ彼女の温もりがまとわりついているようだった。けれどその名を聞いたとたん、何かに引っかかるように、レンの眉がピクリと動いた。
「……タツミに、タクミ。名前、似てるね」
ぽつりと、他人事のように言った。その瞬間、シュウジの目つきがほんの僅かに変わったのを、レンは逃さなかった。
「……で?」
「……で、じゃねぇよ」
シュウジは小さく息を吐くと、室内に漂う異様な空気を振り払うように、静かに告げた。
「……母さんはどこだってさ。ずっと、そう叫んでる」
レンの動きが止まった。
ほんの一瞬、まるで想定外の言葉に脳が追いつかないかのように、固まる。
「……母さん?」
小さく呟いたその声には、あのレンらしくない、ほんの僅かな困惑がにじんでいた。
「タツミって、女だったんだろ?」
シュウジはわざと感情を抑えた声音で問いかける。レンは、宙を見上げたまま首を傾げた。
「……ねぇ、それ、君の推測?」
「……タクミの言葉だよ。あのガキがそう言ったんだ。母さんはどこって」
沈黙が落ちる。しばらくして、レンはゆっくりと目線をタツミ――いや、スノウの眠るベッドに戻し、何かを噛み締めるように、静かに笑った。
「へぇ……ほんとに?」
そう言った彼の声は、どこか嬉しそうで、でもどこか薄ら寒いものだった。
「……会わせてやるのか?」
慎重に問いかけたシュウジに、レンは面倒くさそうに手をひらひらと振った。
「うーん……まぁ、いいんじゃない?気まぐれだけど」
レンは立ち上がり、まだ裸のまま、軽く肩を回すように伸びをした。金色の瞳に、どこか楽しげな色が灯っている。
「見たいなぁ、その顔。ねぇシュウジ、君が連れてきて。ここに、タクミを」
その声音は柔らかく――それゆえに、危うい。レンが興味を持った。
そのことに、シュウジは底知れぬ不安を感じずにはいられなかった。
かわいそうなサラ