10.(タクミside)
シュウジは黙ったまま、金属製の階段を上がっていた。背後に足音が一つ、ぽつりぽつりとついてくる。まだ幼さの残るその足取りは、時折、止まりかけるように弱々しい。
タクミ――その子どもは何も言わなかった。けれど、その沈黙には意味があった。それは、ただの不安や怯えではない。
「……タツミ、戻ってくる?」
ぽつりと、タクミが呟く。階段の途中で、シュウジは足を止めた。振り返ることなく、短く答える。
「戻る。レンに殺されでもしない限りはな」
それが慰めになるとは思っていなかった。けれどタクミは、それ以上何も言わなかった。
――レン。
その名を口にするだけで、このモールの空気は一瞬ひきつれる。明文化された掟など存在しない。あるのはレンの意思だけ。全員がそれを理解していて、誰もそれを口にしない。
シュウジは階段を上り切り、無造作にドアを開ける。小さな元スタッフルームの一角――タクミのために仮に用意された空間だった。ブランケットと、壊れかけのロボット玩具。水の入ったコップと、棚の上に並べられた空の缶。
「腹減ってるなら言え。少しくらいなら、どうにかする」
タクミは小さくうなずく。そして隅の床に腰を下ろした。しばらく、無音が部屋に満ちた。
「……なんで助けてくれるの?」
不意の問いに、シュウジは一度まばたきをしただけで、表情は変えなかった。
「助けてるつもりはない。頼まれただけだ」
「レン、って人に?」
「ああ。……アイツに頼まれたってことは、断れないってことだ」
少しだけ、シュウジは目を細めた。その表情は無機質で、感情が読み取れない。だが、無関心ではなかった。
「貸しと借り。それだけだ」
「レンに?」
「ああ。……タツミ、あいつ変わってるだろ。男のくせに、歳も読めねぇし、無口で、感情も薄い」
シュウジはそう言って、壁にもたれた。
「レンが興味持ったのも、その異物感のせいだろ。……ある意味、タツミも危うい。だから、お前は俺が見てる。それだけだ」
タクミは静かに膝を抱えた。その瞳は、年齢にはそぐわないほどに鋭かった。
本当は、言いたい。
「タツミは母だ」と。
けれど、それを口にしてしまったら、もう元には戻れない。この世界では、真実ほど危険なものはない。
そして彼は気づいている。
レンという男が、もうすでに――
母を、誰のものでもない場所から、自分のものへと引き込もうとしていることを。
ゆっくりと、タクミは目を閉じた。
沈黙だけが、ふたりのあいだを埋めていた。
シュウジとタクミ