表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/50

1.


あれから、五年が経った。


カレンダーはもうとうに止まり、テレビも、インターネットも、街のざわめきも消えた。情報を知るためのツールは、社会が崩壊した後では意味のないものになってしまった。


感染症が広がり始めたのは、ちょうど桜が散る頃だったと記憶している。あの頃、街にはまだ人の気配があった。マスクをした顔がすれ違い、薬局には長蛇の列ができ、誰もが「これはすぐに収まるだろう」と、どこか楽観していた。


私もそうだった。


でも――現実は、あまりにも速く、容赦がなかった。


ウイルスの名前は、今では誰も口にしない。ソレは、あまりに多くを奪いすぎた。正式名称は長くて、専門家の間でも呼び方が統一される前に、言葉を失った。人はただ、「あの病」と呼ぶようになった。その名も持たぬ災厄は、まるで人類そのものに罰を与えるように広がった。


だが――奇妙なことに、それは女性だけを、より深く蝕んだ。


初期症状は微熱、倦怠感、関節の痛み。だが、女性はそこから急速に悪化し、高熱、出血、神経症状、多臓器不全へと進行していく。全体の致死率、約92パーセント。その中でも女性の死亡率は約98パーセント。罹患後に生き残った人たちも、無事では済まなかった。40度を超える高熱が長時間続いたことによる脳機能低下、脱水や他の合併症による死亡などがおこり、人類の数はほんの僅かまで減ってしまっていた。医療は無力だった。薬は効かず、ワクチンも間に合わず、病院は瞬く間に死の収容所と化した。


私は、看護師だった。

地獄のような日々の中で、ひたすら誰かの手を握り、最後の呼吸に寄り添い、名前を呼び続けた。けれど、私が救えた命は……いくつあったのだろう。もしかすると、一つもなかったかもしれない。


母が死んだ。

父が死んだ。

弟も死んだ。

同僚も、友人も、隣に住んでいたおばあちゃんも。


みんな、この世界から消えた。


気づけば、私は一人だった。いや、正確には――一人ではなかった。息子がいた。タクミ。


あのとき、まだ三歳だった彼は、何が起きているかもわからず、ただ私の胸の中で泣いていた。誰かを亡くすことの意味も、母親の苦しみも、あの小さな手には背負いきれない。それでも、私には彼しかいなかった。彼を生かすことだけが、私の生きる理由になった。


その一年後、私は感染した。


突然だった。倒れる直前まで、私はタクミのために、水を汲みに行く途中だった。熱が身体を這い上がり、視界がゆがみ、世界が揺れた。「終わり」だと、悟った。


でも――私は、死ななかった。


熱は、数日で下がった。血管が焼けるような痛みも、体の痙攣も、やがて消えていった。タクミが、泣きながら何度も私の頬を叩いていたのを、うっすらだが覚えている。彼が、私をこの世界に繋ぎ止めてくれた。


そして、鏡の中の自分を見た時――私は、自分の変化に言葉を失った。


肌は白く、血の気も色素もすっかり抜け落ちていた。髪は淡雪のように色を失い、瞳は硝子のように透明に近づいていた。そして、輪郭さえもどこか幼く、しなやかになっていた。まるで……20歳そこそこの少女のような顔。だが、それはもう「私」ではなかった。私は、45歳の女。母親。ただの人間だったはずだ。


そして私は生き延びた。


けれど人間かどうかは、わからない。


こんな見た目では、タクミと引き離されるかも知れない。そんな恐怖から私は、生き残った女性のための専用のシェルターの噂は耳にしていたが、向かわなかった。正直、本当に安全かどうかわからない場所に向かうリスクは負えない。


体の線を見えないように工夫し、夫が着ていた厚手のジャケットとズボン、手袋を身につけた。口元を布で覆い、濃いめのサングラスをかけ、フードを深く被った。どうやら身長も少し伸びたようで、幸いなことに女だとバレずに過ごすことができた。


この世界で色のない私の姿は、異端であり、標的だ。一部の人間たちは、生き残った女性を「資源」と呼び、あるいは「呪い」と呼び、あるいは「神」と呼び――その目は、等しく欲望と恐怖に濁っていた。


だから私は、フードを深くかぶる。顔を覆い、目を隠し、声を潜める。そうして今日も、タクミと二人で、廃墟の影を歩く。


私がどれほどの「奇跡」であれ、

どれほどの「変異」であれ、


この手を離さない限り、私は――母親だ。


それだけは、譲れない























サラ






















挿絵(By みてみん)


サングラスを描き忘れた

もうちょっと髪を隠したかった(AIの限界)


強い女主人公。私の憧れです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ