1.
あれから、五年が経った。
カレンダーはもうとうに止まり、テレビも、インターネットも、街のざわめきも消えた。情報を知るためのツールは、社会が崩壊した後では意味のないものになってしまった。
感染症が広がり始めたのは、ちょうど桜が散る頃だったと記憶している。あの頃、街にはまだ人の気配があった。マスクをした顔がすれ違い、薬局には長蛇の列ができ、誰もが「これはすぐに収まるだろう」と、どこか楽観していた。
私もそうだった。
でも――現実は、あまりにも速く、容赦がなかった。
ウイルスの名前は、今では誰も口にしない。ソレは、あまりに多くを奪いすぎた。正式名称は長くて、専門家の間でも呼び方が統一される前に、言葉を失った。人はただ、「あの病」と呼ぶようになった。その名も持たぬ災厄は、まるで人類そのものに罰を与えるように広がった。
だが――奇妙なことに、それは女性だけを、より深く蝕んだ。
初期症状は微熱、倦怠感、関節の痛み。だが、女性はそこから急速に悪化し、高熱、出血、神経症状、多臓器不全へと進行していく。全体の致死率、約92パーセント。その中でも女性の死亡率は約98パーセント。罹患後に生き残った人たちも、無事では済まなかった。40度を超える高熱が長時間続いたことによる脳機能低下、脱水や他の合併症による死亡などがおこり、人類の数はほんの僅かまで減ってしまっていた。医療は無力だった。薬は効かず、ワクチンも間に合わず、病院は瞬く間に死の収容所と化した。
私は、看護師だった。
地獄のような日々の中で、ひたすら誰かの手を握り、最後の呼吸に寄り添い、名前を呼び続けた。けれど、私が救えた命は……いくつあったのだろう。もしかすると、一つもなかったかもしれない。
母が死んだ。
父が死んだ。
弟も死んだ。
同僚も、友人も、隣に住んでいたおばあちゃんも。
みんな、この世界から消えた。
気づけば、私は一人だった。いや、正確には――一人ではなかった。息子がいた。タクミ。
あのとき、まだ三歳だった彼は、何が起きているかもわからず、ただ私の胸の中で泣いていた。誰かを亡くすことの意味も、母親の苦しみも、あの小さな手には背負いきれない。それでも、私には彼しかいなかった。彼を生かすことだけが、私の生きる理由になった。
その一年後、私は感染した。
突然だった。倒れる直前まで、私はタクミのために、水を汲みに行く途中だった。熱が身体を這い上がり、視界がゆがみ、世界が揺れた。「終わり」だと、悟った。
でも――私は、死ななかった。
熱は、数日で下がった。血管が焼けるような痛みも、体の痙攣も、やがて消えていった。タクミが、泣きながら何度も私の頬を叩いていたのを、うっすらだが覚えている。彼が、私をこの世界に繋ぎ止めてくれた。
そして、鏡の中の自分を見た時――私は、自分の変化に言葉を失った。
肌は白く、血の気も色素もすっかり抜け落ちていた。髪は淡雪のように色を失い、瞳は硝子のように透明に近づいていた。そして、輪郭さえもどこか幼く、しなやかになっていた。まるで……20歳そこそこの少女のような顔。だが、それはもう「私」ではなかった。私は、45歳の女。母親。ただの人間だったはずだ。
そして私は生き延びた。
けれど人間かどうかは、わからない。
こんな見た目では、タクミと引き離されるかも知れない。そんな恐怖から私は、生き残った女性のための専用のシェルターの噂は耳にしていたが、向かわなかった。正直、本当に安全かどうかわからない場所に向かうリスクは負えない。
体の線を見えないように工夫し、夫が着ていた厚手のジャケットとズボン、手袋を身につけた。口元を布で覆い、濃いめのサングラスをかけ、フードを深く被った。どうやら身長も少し伸びたようで、幸いなことに女だとバレずに過ごすことができた。
この世界で色のない私の姿は、異端であり、標的だ。一部の人間たちは、生き残った女性を「資源」と呼び、あるいは「呪い」と呼び、あるいは「神」と呼び――その目は、等しく欲望と恐怖に濁っていた。
だから私は、フードを深くかぶる。顔を覆い、目を隠し、声を潜める。そうして今日も、タクミと二人で、廃墟の影を歩く。
私がどれほどの「奇跡」であれ、
どれほどの「変異」であれ、
この手を離さない限り、私は――母親だ。
それだけは、譲れない
サラ
サングラスを描き忘れた
もうちょっと髪を隠したかった(AIの限界)
強い女主人公。私の憧れです。