七話:不穏
会議室の空気は、冷えていた。
集まったのは、学園の主要教員と防衛担当、そして魔術連盟から派遣された監察官。
議題は当然、先日起きた“事件”についてだった。
――校外演習区域に現れた、規模不明の魔獣群。
生徒に死傷者はなかった。
だが、本来“安全区”であるはずの演習場に、それほどの魔獣が侵入すること自体が、前代未聞だった。
「これは明らかに、結界の機能不全です。管理部署の不備と言われても仕方ありませんな」
眉根を寄せて言うのは、学園の警戒陣を管理する構文術科の主任、ガルド=リナウス。
常に無駄のない構文を好む男で、自身の仕事に対する責任感も強い。
「管理ミスにせよ、外部からの干渉にせよ、何かしらの“原因”があるはずだ。現時点ではまだ不明、で間違いないか?」
魔術連盟から派遣された監察官が、低く問う。
「はい。構文結界に明確な“破損”や“強制突破”の痕跡は見つかっていません。ただ、演習場の一部に“地脈の揺れ”が観測されています。通常の魔術行使による反応とは異なるもので……」
報告を続けるガルドの声を聞きながら、私は黙ってノートをめくっていた。
――地脈の揺れ。
自然の魔力の流れが不安定になる現象。
特定の条件下では魔獣を引き寄せる誘因にもなり得る。
だが、通常の“揺れ”では、群れが一斉に移動するような規模にはならない。
「フェイン=アルグレイン、君の見解を聞かせていただきたい」
ガルドの声に、顔を上げる。
「現場の様子から判断するに、単純な偶発ではないと考えています」
一瞬、会議室に重い静寂が落ちた。
「……つまり、意図的な誘導であると?」
「それが“誰か”によるものか、“何か”の現象によるものかは不明ですが。少なくとも、自然発生的なものではない。
加えて、魔獣の群れに統率性が見られたのも気になります。通常、魔獣は単独行動を基本とするはずです」
「術式で操られた形跡は?」
「ありませんでした。むしろ、逆に――“術式を拒む気配”があった」
いくつかの教員が顔をしかめる。
術式を“拒む”。
それはつまり、“理の外側にある”魔術的現象の可能性を意味していた。
「お前、根拠はあるのか?」
そう問うたのは、防衛術師科の副主任、カイロスだった。
実戦経験豊富な魔術師で、才能も申し分ない。
だが、才能を持たぬ私には、どこか警戒心を隠さない人物でもある。
「構文は残っていなかった。術痕もわずか。けれど、空間の“歪み”だけが微かに残っていた。つまり、これは――」
私は黒板に簡略な図を描いた。
「構文の発動ではなく、“干渉の痕跡”です。
つまり、“魔術による操作”ではなく、“魔術そのものが通じない環境”が一時的に生成された可能性がある」
再び、沈黙。
「……空白領域か」
誰かが、呟くように言った。
それは通常、深層地帯――魔術文明圏の外縁や封印領域でのみ観測される現象だ。
この学園の敷地内で、そんな“術の効かない空白”が発生したなど、ありえない――いや、“ありえなかった”はずだった。
「フェイン。その推測は……今後の学園運営に大きな影響を与える。言葉を選べ」
「ええ、承知しています」
私は静かにノートを閉じた。
「ですが、“起きてしまった事象”を都合よく解釈することが、未来の危機を防ぐ道にはならない。
我々が扱っているのは、魔術です。理の上に築かれた体系である以上、理の“例外”を見逃してはいけない」
その言葉に、誰も即座に反論はしなかった。
それが、わずかながらの手応えだった。
会議は慎重に終わった。結論は保留。調査継続の通達のみ。
けれど、私の中では、ひとつの仮説が膨らみつつあった。
――魔術が通じない領域。干渉を拒む“空”。
あの時、自分が放った術が、奇跡的に成立した理由。
もし、あれが“空白に穿たれた一点の座標”だったとしたら。
誰かが、空白を作ろうとしている。
この学園の中に、外に。理の外を引きずり込もうとしている。
ならば――
「……やはり、見なければならないか。あの場所を」
その言葉に応じる者はいなかった。誰も、応じようとしなかった。
風は止んでいた。どこかで軋む木の音がした。それが風によるものか、何か別のものなのかは、誰にもわからない。
足元に細かな砂が舞う。けれどそれは地を這うように流れ、決して空には昇らなかった。
誰かが咳をした気がした。けれど振り返る者もいない。
あの場所――名も形も今は口にされないそこに、何があるのか。何があったのか。それすらも、もう定かではない。
けれど一つだけ、確かなことがあった。
そこを見れば、何かが終わる。
それが何なのかは、まだ誰にもわからないまま。






