五話:戸惑いの正体
夕焼けの空の色は、目にしみるように澄んでいて――それなのに、私の胸は妙にざわついていた。
あのとき、ミリア=グランディール、第六魔導が言った。
「フェインは、その中でも、たぶんいちばん、神に近い人間」
“神に近い”。
魔術師として、天上に立つはずの彼女が、まるで当然のように、敬意を含めてそう言った。
私は、何度も心の中でその言葉を反芻する。
フェイン=アルグレイン。才能がない。魔術を発動するところも見たことがない。
そのくせ、講義では堂々と“魔術とは干渉権だ”とか、“才能より理解が先行する”とか、あたかも自分が世界を測る秤であるかのように語る。
私はそれに、いつも納得しきれていなかった。
でも、それは――私の中にある“偏見”なのだろうか。
翌日、教室はいつも通りに静まり返っていた。
ミリアが巻き起こした喧騒も、まるで嘘だったかのように、何事もなかったかのように。
けれど私は、自分の中に変化があることに気づいていた。
フェインの話す一言一句が、昨日までと少し違って聞こえる。
魔術理論の前提。
干渉値の階層構造。
世界因果律への接続構文。
言葉だけなら、私には到底理解できない内容ばかりだ。
でも――聞いてしまう。
目をそらせない。
「――この構文式は、才能によっては決して発動できない。だが、意味を理解し、世界との接続点を見抜けるならば……成立させることはできる。そういう術式も、あるんだ」
“使える”ではなく、“成立させる”。
その言葉に、私はやはり少し引っかかってしまう。
――だって、それを目にしたことがないから。
けれど、そんな疑念に満ちた思考を、遮るように、隣から小さな声が囁かれた。
「ねえ……先生、ほんとに魔術使えないのかな?」
視線を向けると、隣の席の男子が小さく笑っていた。
「昨日のアレ見てたらさ。なんか、ああいう人と並んで話せる時点で、ただの人じゃないって思えてきて」
「……確かに」
素直に肯定の言葉が出てきた自分に、少し驚いた。
そうだ。ミリアだけじゃない。ユナさんもそうだ。
あの人は、フェインを特別な目で見ている。
護衛の立場であるはずなのに、どこか主従ではない距離感。敬意と、親密さと、少しの“信仰”のようなもの。
私だけが――彼のすべてを信じられずにいるのかもしれない。
放課後、私は足が勝手に職員棟のほうへ向かっていた。
フェインの講義は終わっている。もう彼は研究室に戻っているだろう。
別に、話しかけるつもりはなかった。ただ、何かを、知りたくて。
けれど、角を曲がった先で、不意に立ち止まった。
扉の前。ユナがいた。
まっすぐな背筋。凛とした空気。
彼女はノックもせず、ただそこに立っていた。
私は気づかれぬように、その場を離れた。
――私には、まだ、あの場所に踏み込む資格がない。
その夜、寮のベッドの中で、私は天井を見つめていた。
魔術の才能。
術式の正確さ。
構文の完成度。
私はずっと、そういうものが“魔術師”を形作ると思っていた。
でも、ミリアは違うことを言った。
フェインは、“神に近い”と。
じゃあ――私は、いったい何を見ていたんだろう。
私の中の“常識”が、ゆっくりと音を立てて崩れていく。
そして、不意に思う。
あの人の言葉の、続きを聞きたい。
理解したい。
ただ、信じるのではなく、ちゃんと納得して、心から頷けるようになりたい。
私はまだ、フェイン=アルグレインという教師の“入口”に立ったばかりなのかもしれない