三話:信頼と信用
「魔術は、“使える”というより“成立させる”ことが重要だ」
その言葉が、ずっと頭の片隅に引っかかっていた。
フェイン=アルグレイン。私たちのクラス担任にして、《アルセリオ魔術学園》の教師。
授業の質は高い。論理的で、わかりやすく、丁寧で、質問にも真摯に答えてくれる。……私も含めて、生徒の多くが、彼の授業を「信頼」している。
でも。
魔術の“成立”が重要?
術式が正しく組めていれば、それだけで魔術になる?
――そんなわけ、ない。
私はこの学園で、魔術を“使う”ことにすべてを懸けてきた。
魔力の巡りを感じ、術式を感覚で繋ぎ、世界に干渉する。魔術は「発動」して初めて意味を持つ。
術が出ないなら、それはただの“お絵描き”だ。
いくら理論が正しかろうと、魔術を成立させる魔力がなければ、意味がない。
……そう思っていた。
今日の実技演習でも、フェインはやっぱり術を発動させなかった。
美しく、精緻な魔方陣。意味のある式。高度な配置。
でも、そのどれもが“動かない”。
なのに彼は、何食わぬ顔で言うのだ。
「術式の形は見せられたと思う」
(それだけで、十分だって言いたいの?)
内心、少し苛立っていた。
……私は、ずっとあの人の授業を信じてきた。けれど、“魔術師”としての彼の姿を、私はまだ一度も見たことがない。
私は教師に「魔術師であってほしい」と、どこかで無意識に願っている。
ただの理屈屋じゃない、本物であってほしい――と。
放課後。私は訓練場の端でひとり、術式の反復練習をしていた。
昼間の実技演習では成功した。けど、あの時、なんとなく術が走ったのは、半分以上“感覚”だった。再現性は、まだない。
「……エン・グレイヴ、フレア・スパーク」
ぽつりと呟き、術式を展開する。
火の粒がゆらりと浮かび、すぐにかき消えた。
だめだ。術式の安定が不十分。さっきはうまくいったのに、今はまるで力が抜けるようだった。
(……やっぱり、“成立させる”って、どういう意味なんだろう)
少し離れた場所で、誰かがチョークで地面に線を引いているのが見えた。
見るまでもない。フェインだ。
また、誰にも見られない場所で、ひとり魔方陣を描いてる。
たぶん……研究か、練習か。でも、どうせまた“動かない”。
私の胸に、うっすらとした違和感が残る。
“動かない魔術”に、何の意味があるのか。
なのに――どうして、あの人はいつも、そこに真剣なんだろう。
「……馬鹿みたい」
そう口に出した自分に、私は驚いた。
それが誰に向けた言葉なのか、わからなかった。
帰り道、教室の窓を通して見えたのは、教師席の椅子に座ったまま眠っているフェインの姿だった。
開いたままの魔導書、筆記の途中で止まった文字。
肩を少しだけ落として、それでも崩れない姿勢。
夢を見るでもなく、ただ、目を閉じている。
(……魔術師としては才能がない、か)
そう、何度も自分に言い聞かせてきた。
けど、本当にそうなんだろうか。
――魔術を“使えない”くせに、
どうしてこの人は、こんなに……“魔術師”なんだろう。
わからなかった。納得もできなかった。
でも、わからないからこそ、目が離せなかった。
教師としては、信頼してる。
でも、魔術師としては……きっと、まだ私はこの人を“信じていない”。
そのことに気づいたとき、私はほんの少しだけ、怖くなった。