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二話:遠い背

演習場に、風が吹いていた。


 ユナは、今日もまた教室の外からその様子を見守っていた。

 この場所に立つのは、彼女に与えられた「護衛」という役目の一部だ。教師の身に危険が及ばぬよう、一定の距離を保ちつつ行動を共にする。


 けれど本当のところ、彼女がこの位置に立ち続けているのは――単に、あの男の授業を見るのが好きだからだった。


 「魔術の循環とは、“思考と魔力”の対話だ。力任せでは成立しない。術式は、その意図と過程を理解することで、はじめて意味を持つ」

 

 そして、少し間を置いて、フェインは静かに続けた。

 

 「魔術は、“使える”というより“成立させる”ことが重要だ。ただ火を出せばいいんじゃない。理屈を持たない力は、やがて自分を裏切る」

 

 演習場の中央で、フェイン・アルグレインが生徒たちにそう語る。

 やや癖のある口調ではあるが、威圧感はない。むしろ静かで、どこか温かい声色だった。


 彼の言葉の意味は――正直に言って、ユナにはよくわからない。

 「魔術」とは、“知るべき”ものではなく“防ぐべき”ものであったのが、彼女のこれまでだった。


 けれど。


 言葉に籠もる熱量や誠実さは、理解など必要としなかった。


 (……やっぱり、すごい人だ)


 ユナはそう思った。戦場で出会ったわけではない。偶然、行き着いた町の酒場で、彼に声をかけられたのが始まりだった。自分を「東の英雄」と知ることもなく、名も、過去も問わずに――ただ、「人手が足りないんだ」と言って、笑った。


 だからこそ、彼のそばにいることに意味があると、そう感じたのだ。


 


 生徒たちの演習が始まる。次々に展開される術式の光景は、ユナにとっては未知の景色だった。


 炎が舞い、風が流れ、地が揺れ、水が形を変える。

 魔術――それは世界をねじ曲げる力。恐ろしく、同時に美しく、どうしようもなく人間のものであった。


 (……私には、できない)


 そう思いながらも、ユナは目を逸らさなかった。

 できないからこそ、見て、覚えて、守らねばならない。


 「次。君、やってみてくれ」


 フェインの声に応じて、赤毛の少女が前に出た。名は知らない。ただの一生徒の一人。けれど、その姿勢と歩き方は、周囲の生徒よりほんの少しだけ、強く見えた。


 少女が放った術は、熱をまとった火球。構えに迷いはなく、魔術そのものにも確かな輪郭があった。


 「……君は“感覚型”だが、術式の安定性は高い。よく修正できてる。昨日の講義が役立ったなら嬉しいよ」


 フェインの言葉に、少女はふいと視線を逸らした。

 その態度が反抗的だと感じる者もいるだろう。けれどユナには、わかった気がした。


 (……素直になれないだけ。認めてほしいのに)


 


 そして最後に、フェイン自身が演習の中央に立った。


 彼が魔術を行使できないことは、知っていた。生徒たちの多くも知っているのだろう。けれど、それでも彼は毎回、こうして自ら術式を描き出す。


 その姿勢を、ユナは心から尊敬していた。


 チョークが石畳に触れ、線を描くたびに生まれる模様は、どれも計算され尽くしていた。まるで詩のようで、剣舞のようでもあった。


 しかし。


 「……《エン・グレイヴ:アース・シフト》」


 術式は、発動しなかった。


 静かな沈黙。誰も笑わないし、誰も驚かない。ただ、風が通り抜けていっただけだった。


 それでもフェインは、ほんの少し肩をすくめて言う。


 「……まぁ、いつも通りだな。実演にはならなかったけど、術式の形は見せられたと思う。あとは各自、反復あるのみだ」


 言い訳も、虚勢もなかった。あるのは、教師としての誇りだけだった。


 そして、その背を見つめながら、ユナはふと思った。


 (……この人は、自分の弱さを隠さない。だから強い)


 


 演習後、人気のなくなった場内で、ユナはそっと声をかけた。


 「……先生、今日も……すごかったです」


 フェインは振り返らず、苦笑だけを浮かべた。


 「そうかい? 生徒に見せられない魔術師って、教師としては半人前だよ」


 「いいえ。……先生の言葉は、伝わってます。私には難しいけど、でも……伝わってると思います。あの子にも」


 「“あの子”?」


 「赤い髪の……少し、気が強そうな子。今日、火の魔術を見せてくれた」


 「ああ。彼女は優秀だよ。伸びしろもあるし、なにより……悔しさを知っている」


 フェインは静かに空を見上げた。

 その横顔に、ユナはまた心を動かされる。


 (……私は、この人の背を守りたい。ただ、強いからじゃなくて――)


 (……この人が、誰よりも“人間”だから)


 


 そうして今日もまた、何事もなく一日が終わった。

 けれどその中には、確かに、小さな想いの種が芽吹いていた。


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