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街を見た。
自分で食事の支度をしたり、時には外食をしたり。風呂の準備をしたり、時には銭湯や温泉に行ったり。
旬の魚が美味い地域や、天麩羅が美味い店もあった。
初めて入った温泉は天文台の大浴場と研究室のシャワー室しか知らない俺にとっては新鮮なもので、けれど外の世界はそういったものばかりだった。一々驚く俺に、瑠璃は楽しそうにこれはあれはと教えてくれる。
「翡翠さん」
何度もそう呼ばれた。
「瑠璃」
お互いの名を。
そう、呼ぶことさえ。
今では珍しい。
「あなた」
瑠璃は俺のことをそう呼ぶようになった。
「一緒に暮らさないか。静かな場所で、二人きりで」
幾つかの街を巡って、旅をして、色々なものを見て、俺はいつだったかそんな提案をして。
やっぱり瑠璃は笑って。
そうして、二人きりで過ごし始めた俺達は、お互い以外を名前で呼ぶことがなくなって。
瑠璃は俺のことをそう呼ぶようになった。
明確に言葉にすることはなくとも。体を重ねることはなくとも。
俺と瑠璃はただ側にいて、話したい時に話したいことを話すだけの他人だ。
食事の支度は瑠璃が。掃除と洗濯は俺が。食材の調達は二人で。瑠璃が培ってきた技術を教えてもらいながら、今では俺も一人で狩りにさえ行けるようになった。自給自足で足りなくなれば、少しばかり街に出て何日か働いて戻ってくる。
そんな生活が十何年か続いた。
「お前は変わらないな」
「あなたが変わったのよ」
魔女と人間の、時の感じ方は違う。
俺はシワが増え、白髪も増えたが。瑠璃は何も変わらない。ずっと、会った日から変わらず、昔のままだ。
「俺はこれから歳を取って、老いて、そうやって、お前を置いて行くんだろう」
「そうしたら私は首元に刃を突き立てて、あなたの最期の日を繰り返す」
「それだって長くは続かない。必ず終わりが来る。そうなった時、お前を一人にするのが怖いんだ」
「だったらどうすれば良いの」
瑠璃は泣きそうな目で俺を見ていた。
「子供を、作るとでも言うの」
「お前が寂しくならないなら、それも良い」
「魔女は卵生なの。天使も悪魔も、大元を辿れば龍に行き着くから。人の姿を真似る魔法を得て、そうして龍に戻れなくなった悪魔の果てが私達よ」
「問題があるのか。見た目は同じ人間だろ」
「あなた、魚と人間が子供を作れると思ってるの?仮に子供が生まれたとして、人間に寄ればあなたのように先に逝ってしまう。そんなのはもう嫌。大切な人を亡くすのはいつかのあなたで十分。それすら、私にとっては耐えられない程、苦しいのに」
「だったら、俺が死なない方法でも探すか」
「そんなモノがあれば、あなたに会うまでの私の旅路のどこかで巡り合っている筈よ。あなたの人生の何倍も長い間、旅をしてきたんだもの」
ずっと。
ずっと言えなかった。
溢れるようにそう吐き捨てる瑠璃は、見た目の差も相まって幼い子供のように思えた。
「変なこと言ったな。今、一緒にいられる時間を大事にした方が有意義だ」
「私はその後も生きて行くのに?あなたが死んでから後悔するのは嫌」
「だったら何ができる」
瑠璃は一瞬黙って、喉を小さく動かした。
唾を飲み込んでいるんだろうと思った。
「私に考えがある。一年だけ、あなたの時間を私にちょうだい」
一年。俺にとっては、少しだけ長い時間だった。
「良いよ」




