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幾星霜の標  作者: 櫻城 琥珀
自由
15/16

15

街を見た。

自分で食事の支度をしたり、時には外食をしたり。風呂の準備をしたり、時には銭湯や温泉に行ったり。

旬の魚が美味い地域や、天麩羅が美味い店もあった。

初めて入った温泉は天文台の大浴場と研究室のシャワー室しか知らない俺にとっては新鮮なもので、けれど外の世界はそういったものばかりだった。一々驚く俺に、瑠璃は楽しそうにこれはあれはと教えてくれる。


「翡翠さん」


何度もそう呼ばれた。


「瑠璃」


お互いの名を。

そう、呼ぶことさえ。

今では珍しい。


「あなた」


瑠璃は俺のことをそう呼ぶようになった。


「一緒に暮らさないか。静かな場所で、二人きりで」


幾つかの街を巡って、旅をして、色々なものを見て、俺はいつだったかそんな提案をして。

やっぱり瑠璃は笑って。

そうして、二人きりで過ごし始めた俺達は、お互い以外を名前で呼ぶことがなくなって。

瑠璃は俺のことをそう呼ぶようになった。

明確に言葉にすることはなくとも。体を重ねることはなくとも。

俺と瑠璃はただ側にいて、話したい時に話したいことを話すだけの他人だ。

食事の支度は瑠璃が。掃除と洗濯は俺が。食材の調達は二人で。瑠璃が培ってきた技術を教えてもらいながら、今では俺も一人で狩りにさえ行けるようになった。自給自足で足りなくなれば、少しばかり街に出て何日か働いて戻ってくる。

そんな生活が十何年か続いた。


「お前は変わらないな」

「あなたが変わったのよ」


魔女と人間の、時の感じ方は違う。

俺はシワが増え、白髪も増えたが。瑠璃は何も変わらない。ずっと、会った日から変わらず、昔のままだ。


「俺はこれから歳を取って、老いて、そうやって、お前を置いて行くんだろう」

「そうしたら私は首元に刃を突き立てて、あなたの最期の日を繰り返す」

「それだって長くは続かない。必ず終わりが来る。そうなった時、お前を一人にするのが怖いんだ」

「だったらどうすれば良いの」


瑠璃は泣きそうな目で俺を見ていた。


「子供を、作るとでも言うの」

「お前が寂しくならないなら、それも良い」

「魔女は卵生なの。天使も悪魔も、大元を辿れば龍に行き着くから。人の姿を真似る魔法を得て、そうして龍に戻れなくなった悪魔の果てが私達よ」

「問題があるのか。見た目は同じ人間だろ」

「あなた、魚と人間が子供を作れると思ってるの?仮に子供が生まれたとして、人間に寄ればあなたのように先に逝ってしまう。そんなのはもう嫌。大切な人を亡くすのはいつかのあなたで十分。それすら、私にとっては耐えられない程、苦しいのに」

「だったら、俺が死なない方法でも探すか」

「そんなモノがあれば、あなたに会うまでの私の旅路のどこかで巡り合っている筈よ。あなたの人生の何倍も長い間、旅をしてきたんだもの」


ずっと。

ずっと言えなかった。

溢れるようにそう吐き捨てる瑠璃は、見た目の差も相まって幼い子供のように思えた。


「変なこと言ったな。今、一緒にいられる時間を大事にした方が有意義だ」

「私はその後も生きて行くのに?あなたが死んでから後悔するのは嫌」

「だったら何ができる」


瑠璃は一瞬黙って、喉を小さく動かした。

唾を飲み込んでいるんだろうと思った。


「私に考えがある。一年だけ、あなたの時間を私にちょうだい」


一年。俺にとっては、少しだけ長い時間だった。


「良いよ」

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