殺人鬼との対峙
冴島は電車を降りると、スマフォの地図に従って指示された住所に歩いていた。
歩いていると大きな区画で仕切られて、様々な倉庫が立っていた。
ようやく見えてきた待ち合わせ場所は病院だった。
いや『以前は』病院だったと言うべきだろう。地図上に『病院』だとは書かれていない。廃業してかなり年月が経過していると思われた。
肝試しで使われるのか、塀には入ったら罰せられるとキツく警告が書いてある『立ち入り禁止の看板』がついていた。
冴島は細い道に回り込むと、塀をよじ登って中に入った。
敷地のアスファルトは、ところどころひび割れ、そこから雑草が生えていた。
次第に傾いてくる夕陽が、倉庫の影に沈むと、一気に周囲が暗くなった。
病棟の建物の窓から、灯りが見えた。
スマフォか何か、小さなLED灯。
冴島は灯りの見えた窓を見上げ、さらに良く見るために後ろに下がった。
「!」
外に向かっていた灯りが内側を向くと、遠音の顔が照らし出された。
タオルで猿ぐつわをかまされている。
声が出せない状況で、傍にいる誰かに怯えている。
冴島はフロアの数を覚えると、建物に入った。
光の届かない屋内は、外よりさらに暗かった。
何かある、冴島はそう思って、冴島はスマフォの灯りをつけた。
そこは待合室だったようで、据え付けられた椅子が三列に並んでいる。
奥を見ようとスマフォを動かす。
奥に上のフロアに上がる階段があった。
ただ、違和感がある。
違和感が何か確かめるため、もう一度スマフォを動かす。
分からない。
だが、何度かやっているうち、椅子と椅子の間に細い線が張ってあるのに気づく。
「きっと、これだけじゃないわよね」
と、独り言を言うと、冴島はさらに考える。
遠音本人には術をかけたことはバレていない、はずだ。だから、男と私を合わせろと言われただけだ、と思っている。だが、男にしてみれば、突然知らない人間と会わなければならない訳だけから、警戒するだろう。
ただ、警戒した結果が『これ』だとすると、最悪、遠音にかけた術がなんなのか、こっちがどこまで知っているのか、バレている可能性がある。
……とすれば、こちらも最大の警戒をしなければならない。
慎重にワイヤを跨いで超えていく。
規則性はなく、出鱈目に張ってあるせいで、床を注視していないと引っ掛けてしまう。
時間を稼ぎたいだけなのか、それともまだ何かあるのか。
冴島は階段に対しても、灯りをいろいろな角度から当てて見る。
階段には何も仕掛けはなさそうだ。
確認するように階段を上がっていき、遠音ミサのいたフロアへ上がる。
壊れていないフロア案内図を見る。
廊下の両側に病室があって、左側に大部屋。
右側は個室とナースステーションがあるようだ。
外から見えた窓はどこだろう。左側だから、大部屋の病室にいる…… いや、いたはずだ。さっきから時間は経過している。今、どこにいるかはわからない。
「!」
啜り泣くような声が聞こえてきた。
遠音の声だ、冴島は思った。廊下に響いているが、左側から聞こえてくる。慌てて動いてはいけない。よくある結界には注意しないと、病室に入った途端動きを封じられてしまう。
冴島は、最初に入った待合室と同様に慎重に床を確認しながら進んだ。
扉が開け放たれた大部屋の病室。
左右にベッドがあったのだろう。今は薄汚れたカーテンだけが下がっていた。
その奥の窓際に、椅子に縛られた女生徒がいる。ショートボブのその女生徒は猿ぐつわをされていた。逆光で顔ははっきりとは見えないが、遠音ミサに違いなかった。
「ミサ!」
冴島から見て左側、カーテンの影から男が出てきた。
そして遠音の喉元にナイフを突きつける。
「それ以上近づくな」
男の前髪は目を覆うように垂れていて、どこを見ているか分かりずらい。
前髪男に悪霊がついていることが、冴島にはわかった。
これが『勝手に』憑いてしまったものなのか、それとも……
「近づいたら殺す」
冴島は、窓から入る光でうっすらと見える病室の床を確認する。
結界があったら迂闊に踏み込めないからだ。
どうやら、床には何も描かれていない。
「お前、ちょっとした霊能があるみたいだな。コイツの深層から俺のことを引き出しやがっただろ」
男は自ら喋り出した。
「コイツはただの斡旋役で、重要なことは知らせてないと聞いていた。だが、俺のこと知ってやがった。同じように斡旋してた女と一緒に、殺しておくべきだった」
この前の女とは『神崎』のことだろう、と冴島は考えた。
つまり神崎も遠音と同じく『斡旋』をしていたのだ。
「まあ、今日殺すから問題ないんだがな」
ナイフをさらに近づけると、遠音が声にならない声をあげる。
「最後の涙だ。枯れるまで泣け。死んだら涙も出ない」
「やめなさい」
男は、冴島の方へナイフを向けて言う。
「やめろと言われて手を引く奴は、人殺しなんかしないんだよ」
冴島は腕を伸ばし、手のひらを男に向けてから、素早く下へ振った。
ナイフが男の手を離れ、床にころがる。
「お前、術を使ったな」
先にナイフを取ろう、冴島は病室の中に踏み込んだ。
ナイフを足で蹴って、後ろに飛ばそう。
その瞬間だった。
冴島の体は固定され、動けなくなっていた。
ナイフを取ろうとして床を見ている男が、ゆっくり顔を上げ、笑った。
病室に笑い声が反響する。
「うまかったろう、俺の芝居。迫真だったな。まぬ抜けな犯人役。ナイフを落として、慌てて取りにいく演技。見事に引っ掛かった」
必死に首を動かした冴島は見た。
左右の壁に、対になる五芒星が描かれている。
古くからあって、単純であるが故、強力な結界だった。
入口から壁面が見えないよう、カーテンで隠していたのだ。
「さて、夜は長い。たっぷり楽しませてもらう」
「私の親友が助けに……」
冴島の言葉を遮り、男は言う。
「ウルサイ」
結界の力か言葉を続けたくとも、声が出なくなる。
「来ないさ。コイツからのメッセージは『お前ら』に送ったものじゃない。一人一人、別々に送っているんだよ。向こうは向こうで別の困難にぶちあたってるだろう」
男はスマフォで時刻を確認した。
「まぁ、急ぐに越したことはないか。楽しみは別の女で済ませよう」
男は、冴島の足元でしゃがみ込み、ゆっくりとナイフを取った。
「ほら、見せてみろ」
男は冴島の足を押し開いた。