残滓
アリスは凪の額に当てていた手を空に向け、手を振った。
アリスの足元に膝をついている凪の抜け殻。
「!」
今、橋口の目に、それが動いたように見えた。
「アリス!?」
見間違えではない。
膝をついていた霊体は、突然、目を見開いた。
「危ないんだケド!」
凪が残した霊体は、口を開く。
絶世の美女であった面影はない。
ただただ攻撃的で、野獣のような表情。
立ち上がりかけた、霊体の動きが止まった。
同時に閃光と、遅れて炸裂音。
アリスの手にあった銃が火を吹いたのだ。
霊体は、眉間を銀の弾で撃ち抜かれていた。
「清冽ではない、あなたには、この銀の銃弾は良く効くでしょう?」
氷が砕けるように、凪の霊体に亀裂が入った。
体表面から順番に崩れ落ちていく。
残光を発しながら、破片は消えていく。
全てが崩壊し、消え去った時だった。
建物から、何者かが出てきた。
前髪を垂らしていて分かりにくいが、顔は選挙ポスターと同じだった。
「真島!?」
「……」
「あの男、捕まえるんだケド!」
そう言って橋口は指差した。
真島は橋口を睨み返した。
雰囲気が一変した。
一瞬で張り詰めたような空気が広がる。
真島が持つオーラなのか、人心掌握する力あるのか、二人は支配力や圧力を感じていた。
「かんなちゃん、ちょっと今のはヤバかったかも」
「なんで? あいつがこの案件の発端なんだケド」
アリスには建物の外で倒れていた人々、一人一人に吸い込まれていく霊が見えた。
一人一人の中で、これが一定量に達したら……
「かんなちゃん、建物に入って麗子ちゃんを探してきて」
真島はスマフォを取り出すと、通話を始めた。
「車を回せ…… そうだ、解決済みだ。早くしろ」
通話を切ると、真島は吐き捨てるように言う。
「全く、段取りがなってない」
真島は大通りに向かって、歩き出そうとした。
大通り側にいるアリスの目に、真島の背後で立ち上がった者が見えた。
「!」
背後で立ち上がった男が、真島の腕をとる。
すると、真島は弾かれたように引き戻された。
アリスの銃を持つ手が反応したが、真島を盾に取られていて、撃てる状況ではない。
凪が霊力を抜き取り、倒れていた者が次々と立ち上がった。
「場の霊圧が上がってるんだわ」
凪が人の霊力を抜き取り、気を失っている状態だったところに、場に集まってきた霊が入り込んでしまったのだ。
凪が持っていた『真島を殺せ』という漠然とした『想い』が、あたりを漂う霊に方向性を与えてしまった。
起き上がった人々は、真島を殺そうとする。
だが、元々は人だ。
霊弾とは違い、アリスの持っているのは実弾を射出する銃だった。
霊だけに弾丸を当てることは出来ない。
アリスは銃を収めた。
「た、助けろ!」
悪霊に起こされた人々は、真島へと集まってくる。
真島はその連中に、手を足を、頬を髪を、四方八方に引っ張られている。
アリスは引き剥がそうと近づくと、腕を取られてしまう。
体全体を使って引き込むと、足をかけて相手を倒した。
だが、アリスの前を塞ぐように、次から次へと人が寄ってくる。
「助けろ!」
「あんた、こっちがやってること見えないの!?」
アリスは連中との距離をとり、エプロンのポケットに手を入れた。
「これが効くといいけど……」
左手に取り出したのは、トランプだった。
カードが山になっていて、アリスは気持ちを集中してカードの中心を「ポン」と叩いた。
すると、カードが一枚、風もないのに飛び出した。
アリスの一番近くにいた男の額に、吸い寄せられるように張り付いた。
「クローバーの5」
その者は、スイッチがオフされるように止まり、力を失い膝をついてしまった。
すると堰を切ったように、山札の上から順に、次から次へとカードが飛び出した。
アリスの腕を掴もうとする者に、張り付くと、伸ばしていた手が体側にぴたりとつけられ、動きが停止した。
三枚で編隊を組んで飛ぶトランプは、ターゲットを見つけると、降下した。
左右のトランプは、それぞれのターゲットに対して急上昇すると反転し、頭上から急降下して額に着地した。
先頭のトランプは、ターゲットが払おうとした手をかわし、真正面から額についた。
「ダイヤの8」
トランプのカードが飛び交う中、建物から冴島と橋口が出てきた。
「な、なに? トランプが飛び交ってるんだケド」
「彼女の除霊術の一つだったじゃない」
口の中が切れているらしく、言いづらそうだった。
見ると冴島の左頬は、赤く腫れている。
しかも橋口に肩を借り、足を引きずっていた。
また一枚のトランプが人の額に張り付くと、悪霊を抜き出し、動きを封じた。
次第に飛んでいるトランプも減り、立っている人間が少なくなってきた。
残り数枚のトランプは、クルクルと、ある人物の頭上で旋回する。
その人物は女性で、真島の腕を羽交締めしていた。
ショートボブにしているその女性は、冴島たちの同級生だった。
「遠音ミサなんだケド」
旋回していたトランプが一枚、遠音ミサの額に付いた。
いや、付いた、と思ったその時だった。
トランプは突然、発火した。
炎を上げた断片が、ハラハラと床に落ちていく。
「様子がおかしいわ」
さらに数値の大きいトランプがミサに降下して、額に着地する。
同じように発火してしまう。
「除霊に抵抗しているんだケド」
「あの時のミサって、霊力どころか、命令にすら抵抗できなかったじゃない」
冴島は学校でミサに尋問したことを思い出していた。
状況から考えると、銀の銃弾で除去できなかった悪霊の残滓が、遠音ミサに集中して憑いたということだ。憑いた量が、トランプが行う除霊の限度を超えているのかもしれない。
「おい、いい加減にしろ。早く助けろと言ってるだろう!」
「……」
アリスはトランプに命じる。
「ハートのクイーン!」
数枚のカードは一塊となって、ミサの額についた。
正面に見えるスートはハート、数は「Q」。
小さなカードの束は、ミサの額で震えている。
カードの除霊しようという力に、ミサが抵抗しているのだ。
「まどろっこしいわね」
冴島は、橋口の肩越しに人差し指で狙いをつけた。
「麗子、無茶はダメなんだケド」
橋口が冴島の動きに気づいて止めようと言った。
『俺が手助けする』
という意志が二人に伝わった。
すぐに近隣の建物の影から『冴島のキツネ』が飛び出してきて、冴島の体に入り込んでいく。
ほぼ同時に指先に協力な霊光が集まり、冴島は間髪入れず、霊弾を放つ。
指先から放たれた霊光は真っ直ぐ伸びていき、ハートのクィーンの中心を撃ち抜いた。
「!」
時が止まったように動かない。
待っても、待っても、何も変わらない。
皆が息を飲んで、結果を待っていた。
真島が体を揺すると、ようやくミサの腕が力無く落ちた。
「全く手間をかけさせやがって!」
真島はミサを振り返ると、手を振り上げた。
その手をミサの顔に振り下ろす。
「?」
「振り下ろしたら暴行罪で捕まえますよ?」
振り上げられた真島の腕は、アリスによって抑えこまれていた。
力が抜けたと見ると、アリスは腕を放した。
すると、真島は大通りに向かって歩きだした。
そして、すれ違いざま、真島はアリスに向かって手を上げた。
が、真島は太ももに冷たい感触を感じ、手は上げられたまま止まってしまった。
「……いや。俺を撃てるわけないよな」
アリスの素早く抜いた銃が、真島の太ももに触れていた。
「撃てますよ。除霊の過程で『たまたま』当たったことにすればいいんです」
「監視カメラですぐ証明できる」
「あいにく、ここら一帯は停電中よ」
真島は舌打ちすると、まるで何もなかったかのように、大通りに向かって再び歩き出した。
真島の影が遠くなった頃だった。
「あんなやつ、呪い殺されれば良かったんだケド」
吐き捨てるように言った橋口の顔を、冴島とアリスが振り返る。
「ダメよ、そんなこと言っちゃ。霊を取り除き、人を法のもとで裁くために私たちがいるんだから」
「麗子ちゃんのいう通りよ。除霊士見習いとして、一番最初に習うことでしょ」
「けど、麗子がアイツにこんな目に遭わされて悔しいんだケド」
アリスは冴島の様子を改めて確認する。
腫れた左頬、膝の上あたりにあるあざ、埃だらけの制服。
どこまでが真島にやられたものなのか。
冴島は自ら二人に説明する。
膝のあざと腫れた頬は、冴島が真島を助ける為、目覚めさせた時に暴れて受けた怪我だと言った。
そして最後に付け加えた。
「それこそ、停電中でカメラには映ってないわよ」