壁の崩壊
冴島と橋口の二人は、声が聞かれないよう、完全霊体がいる部屋から離れた。
「見たところ、自己修復中ってところね」
「お互い様ってところね。私たちも霊力を充填中で霊力が弱っているから、完全霊体気付かれなかったんだケド」
「そうか。そう言うことなんだね」
「麗子、それに気づいてないで行動してるなんて、恐ろしいんだケド」
冴島は聞きながらスマフォを見た。
「圏外……」
「それも気づいてなかったの? 壁で隔離されてからずっと圏外なんだケド」
冴島も、スマフォのライトは使っていたのに、圏外表示にまで気がいってなかった。
「アリス刑事に対処方法を聞かないと」
「この空間を隔離している壁は、音を通さないから、もし姿が見えても話は出来ないんだケド」
「何よ、八方塞がりってこと?」
「そうなるんだケド」
冴島は目を閉じ、考える。
真島に変化が起こり気付かれるか、この行列が終わるまではまだ時間がありそうだった。
外の光は見えるのだから、こちらの様子も見えるかもしれない。
ならば、声は届かなくても、見えない壁の向こうにアリスがいれば、『意思疎通』はできると言うことだ。
「かんな、この先に柴田さんかアリスさんが着てないか確認しに行こう」
そう言うと冴島は急いで建物を出る。
人溜まりを進み、道を戻っていく。
「柴田さん!?」
道の先に柴田刑事が見えた。
声は届かない。
柴田は左右を警戒しながら歩いている。
正面に見えるはずの二人に気づかない。
冴島は大きく手を振りながら、飛び跳ねた。
「気づいて!」
届かない、と分かってはいるが、言葉に出してしまう。
「かんなもやって」
「光が届くなら、スマフォのライトでやってみるんだケド」
橋口はライトをつけたスマフォを柴田に向けて振ってみる。
「!」
橋口の予想通り、柴田が二人に気づいた。
そして走ってくる。
そんな勢いで走ってきたら、壁に当たって怪我をすだろう。
冴島は叫ぶ。
「ダメだめ! 見えないけど壁があるのよ!」
「だから、声は届かないんだケド」
冷静な橋口に、冴島はムッとした。
「何よ。じゃあ、どうするの?」
「私たちが目一杯壁に近づけば、流石に柴田さんだって手前で止まるはずなんだケド」
二人は瓦礫を手にとり、それが壁に当たるまでゆっくりと近づいた。
「スマフォに文字を書いて見せればいいんだ」
冴島はスマフォに『ここに壁がある!』と文字を入力し、画面を拡大して柴田の方へ向ける。
柴田はまだ勢いを緩めない。
それどころか、両手を広げていて、抱きついて来そうな勢いだった。
「……」
柴田は地面を蹴って、飛び上がった。
足が離れてしまったら、もう止まれない。
冴島は目をつぶった。
橋口は柴田が、スマフォの内容を読み取り、一瞬にして青ざめたことが分かった。
直後に、見えない壁に激しく顔をぶつけた柴田の顔が見えた。
「アニメみたいな演出なんだケド」
「とにかく、柴田さんにアリス刑事を呼んでもらおう」
「だいたい、別れてから大して時間が経っていないのに『感動的な再会』をしようとするのがバカなんだケド」
橋口は胸の前で腕を組むと、そう言った。
「そんな酷いこと、言わなくてもいいじゃない」
「じゃあ、ここでひっくり返って、鼻を押さえている男をなんて呼ぶんだケド」
「それは…… バカ、かな」
状況を考えれば、笑っている場合ではない。
しかし、二人は思わず笑ってしまった。
よろよろと鼻を抑えながら、柴田は立ち上がった。
壁を挟んで、互いにスマフォの画面を見せ合いながら対話し、アリスをこの場に呼んでもらうように伝える。
『私は真島を守るため、戻ります』
柴田がスマフォに文字を入力して見せる。
『分かった』
橋口を残し、冴島は完全霊体がいた建物に戻った。
真っ先に完全霊体のいる部屋を覗き込み、真島がまだ生きていることを確認した。
「……」
壁に背中をつけ、再び隠れると、冴島は考える。
なぜ真島に気づかないのか。
辻斬りのような事件の手口から、完全霊体が『真島』という名前以外に何も知らないことは薄々分かっていた。
だが、これだけ近くにいる人間に『命令』を入れずに放っておくと言うのはどういうことなのだろう。
寝ていても、指示を入れて覚醒させ、問いに答えさせることは出来る。
何か別の理由が存在するのではないか。
「!」
完全霊体が、ベッドの上から立ち上がる。
列先頭にいた人に近づく。
その人は、片膝をついて姿勢を低くした。
すると完全霊体がその人の頭に、手を置いた。
手を置かれると、震えが始まって床に倒れる。
完全霊体が、少し大きくなった気がする。
完全霊体は進むと、後ろに並んでいた人も膝をつき、頭を下げた。
また頭に手を当てる。
冴島は完全霊体と距離をおくように通路を下がる。
頭に手を当てられた人は、痙攣しながら床に転がった。
人が死ぬほど霊力を取っているわけではないが、並んでいる人間から力を奪っている。
なんらかの事情で急いでいるのだ、と冴島は考えた。
冴島が角に身を潜めていると、完全霊体は並んでいる人の列を逆に追って、建物の外へと向かっていく。
頭を触れられた者が、次々に倒れ、床に転がっていく。
真島を連れ出すなら、今だ。
冴島は霊体と入れ替わるように部屋に忍び込んだ。
柴田は、橋口と同じ方向を向いて、背中を見えない壁につけていた。
知らずに人が近づいてくると、言う。
「ちょっと、この先で事件があって」
柴田は警察手帳を見せる。
「その制服の子は、いいのかい? ほら先にも何人かいるみたいだけど」
「すみません。ちょっと内容は説明できないんです」
「……」
納得はしていないようだが、警察の言うことなので、渋々引き返していく。
柴田は、また背中を見えない壁にもたれかかる。
壁の内側でそれを見ていた橋口は、壁の様子が変化したことに気づいた。
「柴田刑事、離れるんだケド」
壁が、シャボン玉のように虹色の光を放った。
「!?」
その直後、壁は消え去った。
柴田はもたれるものがなくなり、後ずさった。
瓦礫に足を引っ掛けて倒れてしまう。
「な、なんだ? 急に壁が」
「壁を維持してた霊力が尽きたんだと思うケド」
柴田に手を貸して、引き起こす。
「倒れる前に支えてくれてもよかったんだけどな」
「ここまで鈍いとは思わなかったんだケド」
「……そんな言い方しないでよ」