置き土産
冴島と橋口は空港で帰りの便を待っていた。
二人は準備している飛行機を正面に見ながら、並んで座っている。
「……すごかったね」
橋口は頷く。
「あの鏡、炭素測定なんかしなくとも、一瞬で古の三角縁神獣鏡だと分かるんだケド」
冴島は、三角縁神獣鏡の市場価値について言いたかったのだが、鏡は確かに見ただけで古代のものだとわかるオーラを纏っていた。
殿下は彼女に流れる血によってその『神獣鏡』の能力を引き出している。
彼女にとって霊能は血が勝手にもたらした力であり、鍛えたり、磨いたり、取り込むようなものではない。
「緊張感半端なかった」
言いながら、冴島は手で顔に風を送る。
一方、橋口はスーツが苦しいのか、上着のボタンを外した。
大きな胸でシャツもパンパンになっていた。
それを見て、冴島は言う。
「ねぇ、また大きくなった?」
「太ったって聞こえるから言い方考えて欲しいんだケド」
「太ったなんて言ってないじゃない」
冴島は、自らを見下ろすと、そこには控えめなものしかなく、橋口の胸を少し分けて欲しいとさえ思った。
「それとなく『太った』と言いたい意図を感じるんだケド」
「だから、太ったとは」
「それなんだケド」
「ごめん」
橋口は胸を隠すように腕を組んだ。
「で、アリスの件、決着ついたんだケド」
「かんなに調べてもらった、さっきの記事をもう一度みればわかるわ」
「……」
橋口は自らが読んだ後、徐にスマフォを見せてくる。
冴島もその記事を読む。
「警視庁、霊能警察局の局長である有栖邦彦が元総理を身をもって庇い、殺害の危機を救いました。有栖局長は、至近距離から改造銃で撃たれ重体でしたが、その翌未明、息をひきとりました…… アリスはループを抜け出したという事ね」
橋口が冴島の顔を見て、言う。
「この話、知ってたの?」
「知っていたわけじゃ無いけど、依頼主からの電話を受けた時、なんとなく感じるものがあったわ。おそらく、永江所長も勘付いていたと思う」
「死んだ人が依頼主となって、電話をしてきた、というあり得ないことになるんだケド」
「その通りね」
もう一度考え直して、あらためて橋口は言う。
「だから、ありえないんだケド」
「ありえなくはないわ。誰も確認していないから」
橋口は無言のままだった。
冴島が説明を始める。
「シュレーディンガーの猫って例え話知っている?」
「観測するまで状態はAでもBでも無い状態、AとBが混じった状態だ、というやつなんだケド」
「まさにそういう状態だったんだと思う」
そんなバカな。橋口は整理して言い返した。
「いや、電話してきたってことは、箱を開けて観測したのと同じ。生きているから電話ができたわけなんだケド」
「我々の世界は普通に時間が過ぎていて、アリスがいる『時』だけがループしていた。アリスが生きている世界では、有栖邦彦は生きているのだとしたら?」
「こっちはわざわざ『ツクヨミ』の鏡まで使ってアリスと会話したのに、有栖邦彦はそんな力を借りずに我々に直接電話をしてきた、ということになるんだケド」
「けど、きっとそういうことだと思うよ」
邦彦にもアリスに備わっているような『時を操る力』があった。
あくまで仮の話だが、冴島にはそう思えたのだ。
「……」
「もう確かめようは無いけど」
そう言った時、二人の乗る飛行機の搭乗ゲートが開いた。
冴島と橋口は、無言のまま立ち上がり、飛行機へと歩き出した。
上下の手に手錠がかけられた。
アリスは銃をしまうと、彼女の頬に涙がつたって落ちた。
彼女は心を決め、時のループを抜けて、不確定だった事実が決定したのだ。
決定した事実とは、父の死だった。
アリスの心は、父の死を予知していた。
そして、父の死を無意識に避けようとしていたのだ。
どれだけ時間を操っても、変えることが出来ない事実を避けようとして、自ら時間をジャンプし、ループの中に身を置いていた。
同じ時を繰り返している間は、父の死は確定しない。少なくとも自分の中では。
冴島は、それを気付かせてくれた。
自らが時のループを作り出していたことに。
アリスは上下を地元の警察に引き渡すと、ため息をつき、自らのスマフォを確認した。
時のループから抜けた後、アリス周辺の時間は一気に進んでしまい、父もすでに火葬され、遺骨となっていることが分かった。
「まるで浦島太郎状態ね」
スマフォに過去時刻のメールが届いた。
『アリス刑事へ』
柴田からだった。
『N県警から、亡くなったお父様の持ち物が送られてきています』
捨てて、あるいは、家に送って、と返そうとして、アリスは指を止めた。
「……」
私が怖がって『時のループ』に逃げ込んだ為に、父の葬儀やら、様々な『家族がやるべきこと』を人に任せてしまったのだ。
せめて、父の持ち物ぐらい受け取り、父の死を悼もう。
アリスは警視庁に戻った。霊能課に辿り着くまでの間、会う人間、会う人間から、驚いた顔をされ、同じような質問をされる。
「どこにいた?」
「ある人物の捜査で地方都市に」
「連絡が取れないって」
「ご心配おかけして、すみませんでした」
霊能課についた後、真っ先に課長のところに行った。
「ただいま戻りました」
「……上下の件、ご苦労だったな」
「長い間、連絡が取れない状態で申し訳……」
「その件は、局長から電話があったから」
課長はそこまで言って、言葉が止まった。
「父が、何か?」
「……」
アリスは課長が混乱していることを悟った。
私が時をループしている間、私がどうなっているのか『父が』課長に説明したのだと思う。すでに死んでいる父が、行方不明になっている私のことを課長に電話して伝えたのだ。
課長の頭の中の時系列がめちゃくちゃになっている。
局長の葬式にでたことと、連絡がきたことの時間的矛盾が、解決できなくなっている。
どうしても説明がつかなくなっているのだ。
「課長、柴田は?」
「……ああ、柴田は坂神が起こした連続殺人事件の件の続きで捜査に出ている」
「坂神……」
気になる響きの名前だ。アリスはそう思ったが、それ以上、言及することはなかった。
「そうですか」
アリスはそう言って自分の席を振り返った。
机の上に箱が置いてあった。
そこには『私物:有栖邦彦』と書かれた紙が貼ってある。
席に戻り、箱を開けると父の替えのシャツと封筒が入っていた。
封筒には『アリスへ』と書かれていた。
自分に宛てられた封筒。
驚きつつ、椅子に座り、封筒の中にてを入れる。
便箋には、二行だけ、書いてあった。
『アリス、お前にお土産を買ったから送る。中々会えていないが、くれぐれも健康には気をつけて』
「それだけ?」
封筒には何かが入っているようだった。机の上に傾けると、簡単なプラスチックのシャープペンシルが出てきた。
本体の絵柄にフワフワした感じのキャラクターが描かれている。
「これって、N市のゆるキャラ?」
時のループの中で『陰鬼』が思い出させた、父の記憶が蘇った。
「私、幾つになったと思っているの」
呆れたようにそう言いつつも、アリスの頬には涙がつたっていた。
あの人の中では、私はまだ『子供』なんだわ。小さい子供のまま、成長していない。
それは、若い頃の父しか知らないのはアリスも同じだった。
母が自殺する状況に陥った、アリスが子供の時以来、二人はお互い、まともに会っていないのだから……
「そう…… けど、思い出してくれたのね。私のことを」
おそらく、父も自らの死を覚悟していたのだろう。
そうでなければ、わざわざ地方都市の出張如きで、こんな手紙を書いたり、お土産を買うとは思えない。
父は自らが死ぬ運命を悟った時、ゆるキャラのシャープペンシルを買い、この手紙を書き残したのだ。
「父さん……」
便箋に落ちた涙のように、体から漏れ出たような声で、そう呟いていた。