時のループ
上下は通用口側から、自身の除霊事務所を後にした。
そして、再び貨物用エレベータを呼び出して地下の駐車場に降りた。
うまく行き過ぎている気がする。何か変だ。
駐車場に誰かいるのではないか、と疑心暗鬼になり周囲を見回しながら、ゆっくりと進む。
事務所に縛りつけたまま、女性従業員を残してきたが、おそらくもう一度、警察は踏み込む予定だろうから、その時に縄を解かれるはずだ。問題ない。
「!」
そこまで考えて、上下は立ち止まり、踵を返した。
「そうか、最初からあそこに戻って来るつもりで」
上下は急いで、貨物エレベータに乗り込んだ。
事務所の通用口を小さく開けると、事務所の中で額縁の後ろに手を回している警察の姿が確認できた。
「くそッ!」
その姿をみて、上下は確信した。警察は事務所の、PC画面が見えるあの額縁のどこかに、隠しカメラをつけていたのだ。彼女にPCを覗きみろという命令が入っていたのは、カメラに気づかせない為の『囮』なのだ。
PCも、PCのパスワードも警察に取られてしまった。
上下は素早く扉を閉めて、貨物エレベータに乗り込む。
何度も何度も『閉』ボタンを押し込む。
貨物用エレベータという性質のせいか、扉はゆっくりと動作する。
閉まり切る前、通用口から警察が出てきた。
「閉まれ!」
アリスの手が触れる寸前でエレベータの扉が閉まった。
上下に逃げられたアリスは、エレベータを追って非常階段を駆け降りていた。
行き先は地上階か、地下駐車場のフロアだろう。
だが、地下駐車場は駐車場の出口に、上がってくることになる。
地上階まででいい。
アリスはそう判断して地上階に飛び出ると、貨物エレベータの出口が地上階にないことに気づいた。
そのまま外に出て、駐車場の出口へ向かう。
間違いなくここから上がってくるはずだ。
必死に駆け上ってくる大柄の男を見つけ、走り出した。
上下も、追ってくるアリスに気付いて、道路へ出ると、繁華街の方へ曲がる。
まだ走り始めたばかりの上下と、非常階段をずっと走り下りてきたアリスでは、走りの勢いが違う。
「待ちなさい!」
アリスの声が耳に入ると、上下は足の力が抜けるのを感じた。
「まだまだ……」
そう言いながら上下は頭を横に振り、耳を手で押さえた。
アリスの声を聞いてしまうと動けなくなると判断したのだ。
そのままの姿勢で、繁華街の狭い路地を選び、走る。
走るスピードは、駐車場を上がってきた時とは違い、明らかに速度が落ちていた。
理由は、アリスからの命令を受けてしまった事が一つ。もう一つは、耳を手で塞いで走る為だった。だからと言って、塞いでいる手を離すことはできない。次にアリスの命令が聞こえてきたら、今度こそ止まってしまうからだ。
左右に細かく曲がりながら、時折後ろを振り返る。
『待ちなさい!』
と、アリスの口が動いていることが分かる。
だが、聞こえていなければ問題ない。
上下は走る。
手が使えないせいで、邪魔な障害物は避けるか手を使わずに飛び越えるしかない。
道に突き出た瓶ケースや、植木鉢に足を取られながらも、上下は逃げ続けた。
アリスは息が切れてしまい、路地を歩いていた。
そこに上下はいないが、アリスの目にはVR映像でナビゲーションするかのように、半透明な上下の姿が点々と見えていた。
それはアリスが持つ『時を操る力』のおかげだった。
息が整うと、その半透明の影を追って、再び走り始める。
道の両脇には、『安い』が売りの飲み屋が並ぶ。
一軒の、ある立ち飲みの居酒屋からテレビのニュースが流れてくる。
『選挙戦は大詰めを迎えており、N県N市にも元首相であるX氏の応援演説が……』
なぜか、そのニュースはアリスの心を捉える。
上下を追跡していることとは全く無関係な何か。
どうしてそのニュースが聞こえてくるのか。耳に残ってくるのか。
考えても、考えても答えは出ない。
いや、そんなことを考えている暇はない。
アリスは彼女にしか見えない上下の影を追って走った。
次第にその影が濃くなる。
もう少し、後少しだ。
そこの物陰。
走っていたら見落としそうな場所。
上下の影はそこに隠れた。
アリスはゆっくりとその者の影に近づき、肩を掴んだ。
「上下十二、あなたを悪質降霊取締法違反で……」
言いかけた時、見えている全ての景色が小さく歪曲していく。
アリスは思う。私に何をした? 上下、いや、その後ろにいる女性か。
『そこに触れないで……』
視野の端から端が縮んでいく。
いや、広がりすぎているのだ。
まるで魚眼レンズを通して見たように、全てが見える。しかし全てが遠く、小さくしか見えない。
待って。
息が…… 出来ない……
「ここね」
オートドアには『窓下の光除霊事務所』と書かれていた。
文字が左右に分かれると、アリスは中に入った。
アリスは一瞬立ち止まった。
そして考えた。ここに来た記憶が既に私の中にある。
なぜだ? なぜ、覚えている? もしかして、時を遡っている!?
部屋にはセンサーが仕掛けてあるのか、アリスを検知し、どこかで音がなった。
正面奥に置かれている無人受付機を無視し、アリスはその左にある扉のレバー・ハンドルを動かす。
鍵がかかっていて、動かない。
頭が、このことを覚えている。
「すみません、相談があるんだけど。所長を出して」
扉に耳を近づけ、意識を集中する。
なぜ、逆らえない? なぜ同じことをしているのだろう。アリスはそう思いつつも、口を開く。
「ねぇ、聞こえてる?」
動かないハンドルをガチャガチャと動かす。
このまま同じことをすると、同じように戻ってきてしまう。
アリスは恐怖を感じながらも、事を進めるしかなかった。