証拠隠滅
男は電話を切るとベッドを抜け出て、着替え始めた。
男がいたベッドには、横になっている女性がいた。
女性は山根三美という。
「十二、答えてよ。やっぱり秘書とできてるんでしょ」
男は上下十二だった。
山根と上下は、上下が教団に出入りしていた頃に知り合い、関係を続けていた。
上下は、肌着を着終えると、前髪やサイドの長い髪を後ろに引っ張り、縛った。
「秘書とやるわけねぇだろ。そんなことしたら、仕事を任せられなくなる」
「けど今の電話、秘書からだって。やっぱり、これから秘書を抱きに行くんでしょ?」
「秘書のところに警察が入ったんだ」
「じゃあ、今、警察がこっち向かってるってこと? なら私も一緒に逃げる」
逃げる? 上下は着替えながら考えた。逃げるなら、ほとぼりの冷めるまで、この事務所とはお別れってことか。幸い、ついこの前入金があったばかりだ。事務所を放置しておいても大丈夫か…… いや、事務所に捜索が入ってしまうのはまずい。さっきの様子からガサ入れではない。警察より先に事務所に戻って証拠を消さなければならない。
「ねぇ、何考えてるの?」
上下はさらに考える。相手は警視庁のアリスだ。
こんな地方都市まで追ってくるということは、ある程度確証を持っているに違いない。
霊的な口止めは仕掛けているが、アリスなら秘書にこの場所を白状させることなど、簡単だろう。
そう、アリスはここにやってくるはずだ。やって来なかったとしても、この女との関係がバレるだろう。すると、この女がアリスによって調べられてしまう。
「十二!」
そう言うと女性はベッドから上下の腕を引っ張った。
上下はいつもの窄めた目で振り返った。
こいつを利用しない手はない。
後は、何を降霊するか、だが……
「!」
女性の瞳には、迫ってくる男の狂った表情が映っていた。
上下は中央駅近くに戻ってきていた。
中央駅近くの都市部だが、時間帯なのか人通りは疎らだった。
上下はそもそも背が高く、目立ってしまう。
その為、いつも背を丸め、前屈みで歩いていた。
「……」
事務所スペースを借りているオフィスビルの前に立った。
周囲を見回し、感じ取った雰囲気から、上下は考えた。
あたりに殺気を感じない。捜索しているとしても、警察側の人数は少ない。
そう思ったものの、用心のため地下駐車場へと回り込んだ。
地下駐車場から、さらに貨物用のエレベータへ進む。
上下は通用口から事務所に入った。
「……」
「所長! てっきり逃げたんだと」
「やり残したことがあるからな」
慎重に辺りを見ながら、自分の机につく。
「それで、警察はどうした」
「えっと……」
女性の事務員は首を傾げる。
ノートPCは特に触れられた感じはない。
女性の様子を確認するために立ち上がった。
「俺の居場所を言ってないだろうな?」
上下は女性の表情を見つめる。
そして、少しずつ近づいていく。
女性にかけた術を警察に破られていないか、見極めようとしているのだ。
「言ってません」
女性は強い口調でそう言った。
そう言えと命令されたような、不自然感はない。
「目を閉じろ」
上下は女性の前髪をそっと上に動かし、額を見た。
大丈夫。触られた感じはない。
「もういい」
そう言うと上下は女性の机から離れ、自席についた。
パソコンを操作しようとすると、女性事務員は上下の背後にやってきた。
「おい、どうして後ろに立つ?」
「ああ、ごめんなさい」
女性は言いながら場所を外したが、上下のキーボード操作を、注視している。
「……」
おかしい。上下は思った。
彼女がこんな行動をするわけがない。
理由があるとすれば、一つだ。
警察に命令されているに違いない。
上下は立ち上がると、今度は何も言わずに女性の額を触った。
「額を誰かに触られただろう? だから化粧の匂いが」
「いいえ。突っ伏して寝ていたのか、額のお化粧が崩れていたので、直しましたけど」
「それだ。お前の記憶がないだけだ」
上下は女性を椅子に座らせると、縄で椅子に縛りつけた。
女性が動けなくなると、上下はゆっくりとパソコンを操作し始めた。
「全く、油断も隙もない」
一度、内容を表示させ手から、上下はそのファイルを消した。