国と人生
なーんか怪しげなサブタイトルになっちゃったな。別にネトウヨ的な発言をするつもりはないんだけどね。日本国民は国に飼われる奴隷たれ、なんちゃってね。
いや実は、奴隷人生もそう捨てたもんじゃないんだよ。ご主人様に恵まれればね。
寛大な主人のもとに奴隷であること。これほど楽な生き方はない。
要するに、黙って指示に従えば一生安泰。そりゃあ楽だよ。中学生高校生はピンと来ないかな。社会人なら賛成してくれるんじゃないかな。
うーんと、前回の目標設定シート。フワッとした目標に向かって、実現性の怪しい計画をひねり出して、今日やる事を決める。考えるの大変だよねー。合ってるかどうかわかんないし、そもそも正解なんかない。
アレを事あるごとにやらなきゃいけないのが、社会人だ。それで失敗したら責任を取らされるんだぜ。理不尽。いやマジで。
苦しいけどね、しかしメリットだってある。
奴隷人生の最大の問題は、自分の人生の選択が人任せになること。ここが改善される。他人が決めた選択を強制されるのではなく、自分で良いと思った方向に舵を切れる。つまり、自由だ。
しかし現代日本においては、選択の人任せを続けても、苦情を申し立てたくなるような状況にはそうそうならないんだよね、実は。
それは国が保証してるから。労働基準法とか雇用保険とか生活保護とか年金とかね。今うまくいってるかどうかは別にして。
私の見たところ、こういった制度は、8割の国民を8割方幸せにしていた。
8割という数字の根拠はパレートの法則、またはニッパチの法則と呼ばれてる経済学の経験則だ。大した根拠があるワケじゃない。
しかし8割×8割=6割4分、つまりおおよそ半分超の国民幸福率(なんだそりゃ)と考えると、当たらずといえども遠からずって感じじゃないかな。
つまり、敷かれたレールを踏み外さない限りにおいて、たとえ人任せにしててもまぁまぁそこそこ我慢の範囲内の人生を送らせてもらえる。それが日本だ。現在進行形か過去形かはあなたが決めてくれ。
問題は、敷かれたレールだな。保証の代わりに、国は国民に何を求めているのか?
国民すべからく労働者たれ、労働者は勤労に励め、が国の基本方針だろう。ついでに言うと、人生を楽しむのは程々にしとけ、特にギャンブル、ってのもありそうだ。
ギャンブルは置いとくとして。
労働者については、明治時代の政府方針にルーツがあるようだ。富国強兵、殖産興業。その実現には優秀な労働者が大量に必要。優秀な労働者とは、実務能力が高く均質で、指示には従順であること。
最近までの学校教育ってまさにコレだよね。今は段々変わりつつあるけど。
これらの背景には、一つの思想が透けて見える。少数の指導者が大衆を導く、だ。貴族主義っていうのかね。少なくともその亜流ではあるのかな。
私は嫌いじゃないよ、そういう思想。私は能力に限界があるっていうか、得意と苦手がハッキリと分かれるようなスキル構成だからねぇ。私を上手に使ってくれる人になら、年齢性別出身に関わらず頭を下げるさ。
ま、私の事はいい。
最近はこの教育方針が崩れつつあるのが、ちょっと気になってるんだ。
全国民に労働者以外の選択肢を与えて真の自由を実現する、かどうかは知らんけど。こう、なんだろう、それも含めて、全体を一貫する思想が感じられないんだよね。迷走してるように見える。
富国強兵だの脱亜入欧だの、明治政府の頃のわかりやすい目標がなくなっちゃってんだよね。うーんと、そう、ビジョン。日本はこうありたいっていう全国民が共有するスローガンみたいのがないんだ。
その辺は強力な指導者が現れなければどうしようもないか。今の政党やマスコミのあり方を見てると、望みは薄いかなー。
だけどまぁ、嘆いてばかりじゃ始まらないし。
とりあえず教育には変革が始まりつつあり、その一つが中学高校での金融経済教育だと思う。学ぶ機会が増えたんだ、ありがたく励んでおこう。どうせ社会に出たら似たような事を求められるし。
というワケで、今回は国家の方針なんて大きな風呂敷を広げてみたんだが。その方針とやらは、国民すべからく労働者たれっていう、何とも面白くない内容だった。
そうだよね、みんな横並びの労働者じゃあ、いまいちパッとしないよね。こう、誰からも一目置かれるような感じじゃないよねぇ。
世間の流れに身を任せてたらそうなってしまう。いずれ大衆に埋もれて、いまいちパッとしない人生を送る羽目になる。
それがイヤなら、自分だけの選択をしなきゃいけない。次回はその辺を話そうか。