.4「勇者いらない」
数時間馬車に揺られ、日が暮れたところで野宿をすることになった。ちょうど見晴らしの良い草原だ。これなら、野党や腹を空かせた魔獣に奇襲されることもないだろう。適当なところで馬車を留め、不寝の番をじゃんけんで決める。俺は参加させてもらえなかった。仕方ないとはいえ、なんだか情けない。
「……というか、マジで俺全く何の役にも立たなかったな……」
じゃんけんに負けた警備さん――名前をキースと言うらしい、炎属性のマナを持った剣士が魔術で薪に火をつけている。ぼんやりとその炎を眺めていると、自分が不甲斐なく思えてきた。
スライムの襲撃以降、幾度かの戦闘が発生した。一角狼、オーク、ただのチンピラ。種類も強さも様々だったが、その全ての戦いにおいて、俺は一切手出しをすることが出来なかったのだ。ユズリさんが全部ワンパンしたって訳でもない。多対一だと流石に分が悪いらしく、そういう時はキースさんや馬車の運転手さんが加勢していた。その上で、俺は毎回腰を抜かして皆に庇われちゃってた。
まあ、そりゃ一昨日まで平和な現代日本でごろごろ惰眠を貪っていたヒキニートが、そんないきなり戦いになんて関われるはずがない。それは分かる。
けど、俺は一応、この世界に勇者として召喚されたはずなんだ。もっとこう、何かしらあってもいいんじゃない? っと思うわけだ。
この手の、異世界に一般人が召喚されるようなストーリーでは、大抵、それまで人を殴ったことすらなかったような主人公に最強の能力が付与されて、その能力を駆使して格上相手に暴れ回る。そんな筋書きがあるはずだ。
そういうご都合が足りていないと思う。なんか妙に現実味がありすぎる。腰抜かすし、ガタガタ震えるし。
「おい、さっき脱いだズボン貸してくれ、ヒメカ」
「へい」
……漏らすし。ここにユズリさんがいなくて良かった。ユズリさんは少し離れた川で水浴びをしている。まあ、何に襲われても自分の身を守るだけなら余裕だしな。なにせ常に俺を庇って戦闘して、その上で無双していたんだから。
マジで泣きそう。メンタルがゴリゴリ抉られて行く。これは早急に俺固有の最強魔法が開花してもらわないと困る。両手で顔を覆ってそんなことを考えていると、気遣うような口調でキースさんが語りかけてきた。
「ま、あんま気にすんなよ。勇者の真価は魔術にある、ってことらしいしな。あと何日かしてこの世界のマナに慣れれば、もうちょい貢献出来るようにもなるさ」
「……すみません、気遣わせちゃって。まあ、そうですよね。まだ二日目だし、焦りすぎる必要も無い、かな」
そう言うと、キースさんはにかりと笑って隣に腰掛けてくる。
本当に良い人だ。素晴らしきかな気遣い。良い人過ぎて涙が出てくる。あ、違うこれ煙が目に入ってんだ。
染みたので、2人揃って座る位置をずらす。そして俺は、そういえば、と口を開いた。
「気になってたんですけど、その、魔術って結局どういう代物なんですかね?」
「なんだ、お城で習ったんじゃねえの?」
「ああ、いや。基本的な部分は習いました。確か――」
と言って、城のメイド先生に習った魔術の基本、引いてはこの世界の基礎について知る限りのことを話す。
魔術。この世界で広く扱われている技術だ。あらゆるものに宿るエネルギー、“マナ“を操作、転用することで、人智を超えた力を発揮できる。このマナとの親和性が高く、相互に影響を及ぼしやすいのが、魔獣や魔人と呼ばれるものたちだ。彼らは魔術の扱いに長けるが、代わりに肉体が、自らが所属する種族の基本的な容姿から一定以上違ったものになる上、マナの乱れや環境による違いというものに精神や身体能力が汚染されることがある。
魔術の適性、マナとの親和性は、基本的には生まれ持っての才能によって決まる。大抵の人間は簡単な生成魔術が1、2種類程度しか使えないのに対し、才能のある者、魔族たちは、数十種類の魔術を容易く使い分けるのだ。
「そんで、聞いた限りだと勇者って、魔術に対して高い適性があるらしいじゃないですか。適性があれば自然とマナの位置や動きを把握出来るし、触れるのも簡単、って言われたんですけど……今んとこそういうの、まーったくなくて」
「あー、つまりあれか。才能あるはずなのに何で魔術使えないんだ、って言いたいわけだ」
「ですです。まだ使うどころか、触れることも見ることもできてないんです。片鱗にすら到達できてない感じで、先が見えないなって」
んー、と首を捻るキースさん。そう言われると困るなぁ、と思案顔だ。
「……まー、俺も気づいたら魔術使えてたってタチだしな……割と、使えるやつはそんな感じで使えるようになってんのよ、この世界だと」
「うへー……」
意味が分からない。そりゃこっちの世界で生まれ育った人間と、別世界の人間じゃ何もかも違うだろう。ただ、そうなってくるとますますピンと来ない。俺、ほんとに魔術使えんの?
てかそもそも俺ほんとに勇者なの? と自分の存在意義すら疑い始めたところで、身体を流し終えたユズリさんがこちらに戻ってきた。運転手さんも一緒で、両手に大量の魚を抱えている。
「……それ、取ってきたんか?」
キースさんは困惑していた。俺もしている。たはは、と頬をかく運転手さんを横目に、ユズリさんは、キースさんと自身で俺を挟むようにして火に当たりはじめ。
「……その。魔術は、多分そろそろ使えるようになりますよ。勇者様」
と、突然そんなことを言い出した。
「えっ、マジですか……?」
さっきの会話が聞こえていたのだろうか、という驚きもあるが、それ以上にその言葉は衝撃的だった。
俺の受けた衝撃は、たぶん気にも留めてないだろうけど、とにかく彼女は淡々と魚を焼きながら、説明を始めた。
「はい……ええと、私は見ての通り魔人族で。その中でも一際魔術適正の高い山羊人なので、マナの雰囲気を、凄くしっかりと感じられるんです」
ユズリさんが言うには、俺の周囲にあるマナが、少しづつ俺の方へ寄ってきているらしい。これまでは常に馬車で移動していたので、マナが追いつけていなかったのだが――
「寝て、起きたら、マナが見えるようになってる……かもです」
一晩、大自然の中に寝っ転がって熟睡することで、マナが俺の中に溶け込むんじゃないか、ということだった。
降って湧いた、魔術への可能性。喜びと興奮が溢れてくる。魔術、使えるようになったら何をしようか。やりたいことが次々に浮かぶ。あ、今俺だいぶキモイ顔してるわ。
ぱちんと、両手で頬を叩いた。浮かれるにはまだ早い。明日の朝とは言わずとも、魔術が使えるようになる時はそう遠くないだろうが、使えるようになったからといって、すぐに勇者として貢献出来るようになるとは限らないのだ。ひとまず今日は、落ち着いてゆっくりと眠りにつくことにしよう。それが、マナを俺の体に浸透させる近道でもあるらしいし。
「……そっか。ありがとユズリさん。めっちゃ嬉しいわ」
と、落ち着いてお礼を言う。魔術を使う糸口が見えて嬉しかったので、それを作ってくれたことにお礼を言っておこう、と思った。自分の言ったことを反芻するとそんな意図の半分も伝わってない気がして、怯えながら様子を伺う。
「……いえ」
ユズリさんは、表情を変えず、淡白な一言を返してくれた。やっぱこれ伝わってないやつじゃん。ダメだ俺マジで喋れねぇ。恥ずかしさに悶えていると、続けてこんな言葉が聞こえた。
「私は、魔人族なので。せめて、このぐらいの貢献が出来ないと……この角の意味がありませんから」
その言葉の意味は、よく分からなかった。よく分からなかったが、まあ。
とりあえず、目標は決まった。俺は一個人としても、勇者としても、この人達と共に戦いたい。だから――
魔術の修行を始めよう、そう決めた。
煙が目にしみたらしく、ユズリさんは涙目で風上に座り直していた。