.3「つよ」
あらかた準備を終え、旅立ちの時を迎えた。
いよいよだ。この世界に来て2日目とはいえ、その間起きた出来事の密度は高い。高貴そうな人々に持て囃された披露宴。この世界でのルールや法則についての勉強会に、ユズリさんとの出会い。どれもこれも初めての経験だ。正直、既に結構疲れているが、しかし本番はこれから。
仰々しい見送りの一団を背に、俺とユズリさん、国外に出るまでの警護役1人を乗せた馬車が、王都を出立した。目標の地は、大陸を横断して向こう端――魔王城、ギルイン。
色々な考えが脳を巡る。魔王討伐なんて、本当に俺に出来るんだろうか。そもそも俺の勇者性ってなんなんだろうか。ていうかここもう熊とか出てきそうな感じの森だけど大丈夫だろうか。
ただ、目下1番気になることは……
「……あの、ユズリさん、もしかして今後ずっとその鎧姿な感じですか……?」
「……顔を見るのが怖くなりました」
「へ?」
……もしかして、何かやらかしてしまったんだろうか。変なことでも言って怯えさせた……?
最悪じゃん、とまたも落ち込む。あまりの気まずさに耐えかねて、警備さんが座っている方に席を移した。
「ん、どうした勇者さん。気まずくなったか?」
すると、不思議そうに彼が声をかけてくる。歴戦の戦士、といった風貌の壮年の男性だ。気さくな声色に少し気が楽になる。
「あはは、まあ……なんか、女子との会話ってムズいですね」
「はっはは、まあ勇者さんぐらいの年ならそうだろうな。安心しろよ、あと30年もしたらそんなのどうでも良くなるからよ」
「30年は遠いっすよ……」
項垂れる。そんなに時間がかかるものか。まあ、今まで全く経験のなかった事だしな……
ちらりと、斜め前に座るユズリさんを見る。揺れる馬車の中でも、全く軸がぶれていない。俺はもちろん、隣の警備さんですらそれなりにはふらついているのに、だ。
王様が、強いと言っていた意味が分かる。ここまで微動だにしないというのは、並大抵の訓練じゃ成し得ないだろう。……基準は知らないけど。
そんな様子を注視していると、また警備さんが口を開いた。
「ま、つっても大丈夫だろ。あんたら、今後しばらくひとつ屋根の下だろ? そんなんすぐ仲良くなれるって。てか、そうじゃないと耐えられねーよ」
「そんなもんですかね……」
うぇえ、と情けなく呻いてしまう。全く自信が湧いてこない。無理でしょそれ……と一気に弱気になっていく。
――その時だった。
突如として、木々の影から巨大な肉塊が姿を現した。
それは、スライムだ。人を喰らい、獣を啜る、屍肉の塊。
死塊なる不定形が、その姿を現した。それはどろどろとした液状の身体を這い回し、存在しない瞳で真っ直ぐにこちらを見据えていた。
少なくとも、俺にはそういうふうに思えた。
昨日知ったばかりのことだが、この世界において、スライムとは序盤に出てくる雑魚敵ではない。むしろその対極――人類が最も警戒すべき魔獣の一つだ。
その肌は強酸性の膜におおわれており、触れたものを無差別に溶かす。内側の肉は物理的な攻撃をことごとく無効化し、魔術ですら、その身体の糧として飲み込む。圧倒的な防御力と攻撃力の両立――敵うはずがない。そう考えた。
恐怖で、鳥肌が立つ。腰がすくむ。圧倒的な捕食者の姿に、カエルのようになってしまう。
瞬間。
先程まで微動だにしていなかったユズリさんが、突然飛び上がった。
そう、飛び上がった。重い、おそらく数十キロはあるであろう鎧を纏った、細い少女が、天高く。
「……?」
あまりの事に声が出ない。そのままユズリさんはスライムの前に着地する。ふと、スライムがその巨体を歪めた。凹んだ身体の中心を見ると、ぐるぐると、ぐつぐつと渦巻き煮立っている。沸騰した強酸を纏った、高熱の肉塊――それを射出する攻撃の、予備動作。
「ユズリさん、危ないっ!」
脊髄反射で叫ぶ。が、その言葉は、巻き起こった旋風が空を斬る音で掻き消された。
「……風閃」
長い、大きな剣を抜き放っていた。呟く彼女の声。青白い、光の軌跡が、更地となったその場に残されている。ぱちり、ぱちりと、泡が弾けるような残響。
一瞬、つい1秒前までそこにいたはずの肉塊の姿は、どこにも認められない。
「……たお、した?」
誰かがそう言った。
その光景を目にした俺たちは、態度はそれぞれなれど、皆一様に驚愕していた。
……強い、なんてものじゃない。規格外としか言いようがなかった。やばい。驚きすぎて顎が外れた。
「……うぇ。あの、口が……勇者様?」
兜を外し、こちらを振り向いたユズリさんが、一瞬驚きの表情を浮かべ、すぐに心配そうにこちらに駆け寄ってきた。
慌てて顎に手を当てて、グイッと噛み合せる。ガチりと顎がハマって、痛い。が、それ以上に――
「……すご。やば!ユズリさん、めっちゃ強いじゃないっすか! え、今のどうやったんですか、シャボンって技名!? かっこよ!!」
「えっ、あっ、そう、ですか? ……えと、ありがとうございます」
そうしていると、警備さんや馬車の運転手さんまでこちらに駆け寄ってきた。皆、口々にユズリさんを賞賛している。
ふと彼女の顔を見ると、どうにも照れくさそうな、けれど嬉しそうな様子だった。
……あ、なんか、ちょっと何とかやってけそう。
なんとなく、そう思った。