.1「勇者召喚」
ふと目が覚める。眠った記憶が無い。頭がぼんやりとしていて、自分が何をしていたか思い出せない。
身体を起こし辺りを見回してみると、そこには見覚えのない空間が広がっていた。
「……え、どこだよここ」
ぽつりと呟いた。それと同時に歓声が沸き起こる。声のした方に振り向くと、やはり馴染みのない、華美な服装の人々が諸手を挙げてはしゃぎ回っていた。
そのうちの一人。豪華絢爛な格好の中でも一際目立った――まるでRPGに出てくる王様のような人間が、こちらの方に歩いてくる。その人は俺の前で立ち止まると、片膝を着いてこちらを見据える。
言葉が出ない。あまりに突飛なこの状況に、何をすることも出来ず固まってしまう。萎縮している俺を気にするふうもなく、王様(?)は口を開いた。
「――よくぞおいで下さいました、勇者様。ここは王国メジア。私はその王、名をフリードと申します。突然の事で申し訳ありませんが、貴方にはこの世界を救う旅に出かけていただきます」
「――はぁ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……とてつもなく疲れた。ベッドになだれ落ちる。大変ふかふかで高級そうなマットレス、それにすらムカついてくるぐらいに疲れた。
ここは王城の貴賓室。突如として異世界に召喚された俺は、目を覚ました直後より始まった披露宴に出席したのち、この世界についての講習を受けることになった。
異世界ハーリスの、国家メジア。その王城直属魔術師に召喚された俺、勇者ヒメカ。いわゆるテンプレ的な異世界召喚だ。魔王を倒すために召喚された、勇者。なんでも俺は、そんな大層な存在に選ばれてしまったらしい。
納得は出来なかったが、家に帰ろうにも方法がない。ごく普通の不登校児としてニート生活を謳歌していた俺には、こんな異常な状況でどうこう足掻こうなんていう甲斐性はないし――
「あんな大勢に囲まれて、逃げ出せるわけないじゃんね……」
そんな度胸があるなら多分ニートなんてやってない。
大人数からかけられる圧に抗うことが出来ず、俺は流されてしまったのだ。
まあ、心躍らない訳でもない。どのみち元の世界にいたって、俺はきっと、あのままずるずると何もなし得ない怠惰な生活を繰り返すしか無かったわけだし。考えてみれば願ったり叶ったりだ。煮え切らない俺を拾い上げてくれて、才能があると肯定してくれて、勇者なんて冠も被せてくれた。
「……はぁ」
ため息をつく。降って湧いた可能性だ。ただ、だからと言って、すぐに受け入れられるほど俺の心は丈夫に出来てないらしい。
「ま、寝て起きたら慣れる、か……」
そうなることに期待しよう。半ば祈るようにして、俺は眠りに落ちた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
目覚めは、思いのほかすっきりとしたものだった。なんでだろうと思って枕元を見るとだいぶ湿っていた。多分、夢の中で別れの挨拶とかを済ませてきたのだろう。それで泣けるぐらいあの世界に思い入れがあって良かったと思う。その後股の辺りを見るとやっぱりだいぶ湿っていた。召喚された勇者の初夜にはよくある事だそうだ。
二度寝したらまた枕元を濡らすな、と思いつつ、王様からの招集だと案内に来てくれたメイド服のお姉さんに着いていく。
道中、城の内装や窓の外の景色を眺める。本当に、現実離れした光景だ。広い廊下に高い天井。大理石とかで出来てそうな大きな柱が、高そうな屋根を支えている。
その中を大勢のメイドさんや貴族っぽい人たちが忙しそうに行き交う。みんながみんな西洋風の整った顔立ちだ。
窓の外は、これもまた分かりやすくファンタジーな庭園だった。建物内と同じくらいのメイドさんが、せっせと仕事に励んでいる。その中の何人かは、杖やペンダントを握り、魔術を使っていた。
魔術。昨日も見せてもらったが、やはりこれが一番異世界を実感する。不思議なものだ。何の変哲もないような道具や装飾を持って、祈る。それだけで無から炎や風が巻き起こる。水が生まれ、土は沈み、つぼみが花開く。
これが使えるなら、異世界だって悪くない――昨日はそうやって自分を誤魔化したけれど、恐怖が鎮まった今であっても、魔術に対する憧れは変わらない。
「メイドさん、俺にも魔術って使えますかね」
思わず聞いてしまう。突然質問なんかして、絶対引かれた、と怯えていると、前を歩くメイドさんはちらりとこちらを振り向き、答えてくれた。
「そりゃ勇者ですからね。普通以上に使えると思いますよ。そういう才能を持った人じゃないと召喚なんてされませんし……あ、着きましたよ」
と、一際大きな扉の前でメイドさんは立ち止まった。2.3回ノックをすると、ギギギと音を立てて扉が開く。
室内は、今まで見たどの空間よりも美しく飾り立てられていた。部屋にあるものの全てが研ぎ澄まされ、洗練されている。それは、奥に座する王様も例外ではない。
「フリード様、連れてまいりました」
「うん、お疲れ様。下がって良いですよ」
短いやり取りを経て、メイドさんは部屋から出て行った。後には俺と、王様と、鎧姿の護衛だけが残される。
王様――フリード・ルードヴィヒ。フリードと呼ばれるその人は、さて、と俺の方を向いた。
「では、ヒメカ様。昨日もお聞きになられたと思いますが、今一度ご説明をさせていただきますね」
「へい」
勇者。人々の生活を脅かす悪の頭首、魔王を倒すため別世界から召喚される救世主だ。彼らはこの世界の人々が持ち得ない才能を駆使し、世界を救う。彼らは有史以来両の手で数えられる程度にしかその姿を表していないが、皆一様に世界を変えるほどの力を有している。
そうなりうる人間のみを呼び出す召喚術に、あろう事か俺が選出されてしまったわけだ。
やっぱありえねーとは思うが、取り敢えず俺がこの世界で会った人たちはみんなそう言っていた。なので、俺は勇者として、旅立たざるを得ない。そしてそれは、即日だ。
そう。今日、俺は旅に出る。
本来、呼び出したばかりの勇者を、何の修行もなく送り出すことはまずありえない。この国では、呼び出した勇者を、まず育てることから始めてきた。その才を見極め、鍛える。そうして確実に世界を救える力を身に付けさせてから、旅に送り出してきたのだ。
「……ですが、今回は事情が違います。日に日に激しくなる魔王軍の侵略行動。人々は今、過去に類を見ないほどの危機に瀕しています。そんな中ようやく召喚できた勇者様――それをこういった形で送り出すのは、大変心苦しいのですが」
しかし、仕方がないのです。王様はうめくようにそう言った。
俺はそんな様子にたじろぎながら、ぽりぽり頬を掻く。いまいちそのテンションについていけないのが現状だ。ただ、それでもそんな王様の言葉に、適当な返事をするほど空気が読めないわけでもない。
なるべく誠実に、自分の現状をちゃんと伝えながら、それに答える。
「いや、まあ、頑張ります。……聞いた限り、ほんとにやばいっぽいし。けど、魔王討伐の旅って、やっぱ、色々戦ったりとかしますよね」
「はい。そういうことになってしまいます」
「俺、ほんとに喧嘩とか、そういう経験ないんですけど。ずーっと家に引きこもってて、見ての通り貧弱で」
「ええ、もちろん承知しております」
王様は深く頷くと、脇に立っている護衛の肩を叩いた。
ガチャり。金属音を鳴らし、鎧が一歩前に出る。
「ですので、従者をお付けします。彼女は我が国きっての精鋭で、ヒメカ様を襲い来るもの共から確実にお守りします。また、こちらで出来る限りの装備、資金援助もさせていただきます」
同時に、鎧さん――彼女が、兜を脱いだ。
内側から現れたのは、美しい少女。少しつり上がった、淡い空色の瞳。雲のような、柔らかく長い白髪。そして、頭部に生えた羊のような角。
この世界において、魔人とされる存在の特徴。それを掲げた、美しい少女が、そこにいた。
「……どうも。私は、ユズリ。ユズリです、よろしく」
それが、彼女と俺の出会い。俺と君の、世界を救う旅路の最初だった。