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150〜富士山九合目〜

 勝利の美酒はワインむし



「早っ!」



 亜子の一言に焦り振り向く透子の目には、鈴木が今食べ終えたナポリタンの皿が置かれていた。


 まるで舐めたかのような綺麗にソースまでもを小削ぎ取られた皿を見て、どうして食べればああも綺麗な空き皿になるのかすらも謎に思えれば尚更に、超越的に感じる鈴木の食べる勢いに圧され出していた。



 育ちの良し悪しの問題だけとは思えぬそれは、思い返せばさっきの しめじいかソテーの空き皿にも上にかけられたパセリの一欠片さえも見当たらなかった。


 透子も綺麗に食べて皿も綺麗な食べ終わりになるようにはしているが、鈴木のソレがあまりにも綺麗な空き皿であったが為に負けている現状と共に気になってしまうまでの事。



 よくマナーを言う輩は食べ方ばかりを気にするが、正直食べ方よりも食べ終わりの皿にこそマナーを求めるべきだろう。



 ただ早く食べるだけではなく、一皿一皿の食材の一欠片にまでを丁寧に食す事。


 それは、料理を作る者から食材を育てる者まで果ては食材そのものの生ある物にまでをも敬い尊むからこそに綺麗に最後の一欠片までを食しているようにも思えれば

 自身の食べた皿と比較するに、女性としての所作にまで負けた気がして悩ましい。


 とはいえ、今は性差別を取り払おうという時世。

 気にするな。気にしていては勝負事にまで飲まれてしまう。と、それに関する思考を払い除けようと他の事を考えてはみるものの……



 不用意にも、昨今のTVCMが頭を過る。


 最後の一粒までを大事に食べましょう。という良識ある教えを、違う! の一言に否定する事で対比に、その一粒でさえも食べられない人々が居る事を知れ! 等と言って自分達はそれを説き教える知識人。

 そんな良識ある教えを否定してまでする横暴な切り口の偽善的な教えが公共広告機構を謳う時点で、公共性が失われている事を示しているようなものだろう。



 そのCMが流れる度にそう思っていた透子なだけに、今こそ自身がそれを示す時のようにも感じてか、眼前のナポリタンを尊むように、巻いたパスタで皿に散らばる具材をかき集めてすくい取ってはみたものの、どうしたってソースやパセリが残る皿。



〈……無理。〉



 鈴木の皿に対してのみ負けを認めて諦め早く、食べる事にだけを集中していた。




「ぃゃぁ、本当はもっとゆっくり味わいたかったんですけど、それだと何かお腹膨らんじゃいそうで……」



 同じ考えを持つナポリタンに対する鈴木の言葉は優越感が無い事も理解出来てしまうだけに、食べる事にまで負けを自覚させられる透子。




 それより更に後れを取る藤真は隣でペースを上げ捲る事に、巻くパスタの量を増やすのみ。


 それはむしろタイムロスになっているとも気付かずに、大量に口に含んだパスタを飲み込めずにモグモグする時間が増えるばかり。


 更に飲み込む際、隣にまで聞こえる程のゴックンとした後に口の整理と飲む水が、更にパスタを膨張させる事に胃を圧迫して行く。




「はい、八合目あさりのワインむしになりまぁす」



 空き皿と差し替えるように置かれた皿を前にして、鈴木の顔に不安が過ぎる。


 テーブルのアチラコチラを見て回り、何かを探しているようにも映るのか、亜子が気にして……


 いや、チャンスと見て鈴木に声をかける亜子。



「何か探してます?」


「え、ああぁ、これ、フォークかスプーンかですよね?」




 あさりの食べ方にルールもマナーも無いが、食べ易くする方法は知っている亜子。



「あ、ちょっといいですか……」




 チャンス到来!


 と、ばかりに張り切り身を乗り出して鈴木に身を寄せ、鈴木の手から取ったフォークで貝を押さえながらスプーンで貝柱ごと身を(すく)い取って見せると、そのまま身を乗せたスプーンを鈴木の口元へと向ける亜子。




「はい、あぁぁん!」


「……え?」


「あぁぁぁぁんっ!」




 唐突な対応に固まる鈴木に対し、頑なに譲る気は無い事を示して迫る亜子の眼がギラギラと輝きを増して行く……



 本気丸出しとはいえ一般的なネタとして対応をしていいものなのか、通常この手のネタはある程度の付き合いがあってこそ行われるだけに、杓子定規に合わせれば対応の幅も狭まりこれに返せる選択肢が極めて少ない事を理解する。


 故に、鈴木がどの道を選んでも逃げの手立てを塞ぎ袋小路にする策を知っているからこそに亜子の眼がギラギラしている。



 ……厄介極まりない事にハメられた鈴木に対し、負けているとはいえ同情の目を向ける透子。


 だが、次の瞬間……




――PAKU!!――



「……なるほど、ありがとうございます」




 何事も無く平然と亜子の持つスプーンにかぶりつき、飲み込むと何を納得したのか礼を述べ、呆然とする亜子の手からフォークとスプーンを回収し、教えられた通りに貝から身を掬い取って食べ始めている。




「あぁぁ、ぃぇ、こちらこそ……」



 何の勝負かは分からないが鈴木の圧勝なのは明らかに、急にしおらしい声を出して固まる亜子の背中には熱を帯びているのか漂う熱気に女の匂いが強くなる。



 ぽっ……


 と、惚れた女のむんむんと発せられるフェロモンたっぷりの蒸気と透子でも解るそれ。



 友達として、良かったね! と、亜子の背中にそっと手を充てた透子だが、スグにフォークを持ち直して食べ始める。



 今の透子にとっては恋の匂いも食事に邪魔な香水の匂いと変わらない。


 と、同時に亜子の白シャツの背中に着いた何かの赤いシミ。


 明らかにナポリタンのトマトソースだろう事を示すように、食べる前に手とフォークを紙ナプキンで吹いていた。




 そんなシミ程度の事は疎か、今なら全てを許せるような程に舞い上がる気持ちを堪えて堪えて鈴木が食べる横顔に見惚れている。


 逃げるだろうから捕まえる。

 そう思って構えていただけに、まさかコチラを向きそのまま食べてくれるとは予想していなかった。




 ほわほわとした顔を浮かべて鈴木を見る亜子の様子を、カウンター越しに見ていた料理長。



「亜子ちゃん、次どうする?」



 もう無理だろうと客の腹具合を見抜く目は流石だが、恋する女を見抜く目はまるで無い。




「もうお腹いっぱい……」



 腹も心も十二分に満たされていた。

 満腹感と幸福感に満たされて、亜子の勝負は勝ったも同然!




「流石っすね料理長」


「まあな! 長年ここから見てるからよ! お客さんの顔見りゃ凡そは判る」



 受け継がれ行く客の腹具合を測り見抜く料理人の目利きに、恋を見抜く目は含まれず。




 亜子、七合目途中下山にて六合目認定。


 


 途中下山の決断こそが登山家たる者の正しい知見


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