149〜富士山九合目〜
すべての道は……
「これ、どうしたんだ?」
テーブル席の空いた皿を片付けに来ていた折、藤から疑問を投げられ応えに戸惑う料理人。
藤が指し示すは二皿に盛られたクレソンの山。
「あぁぁ、何か発注者がよくわからないんですけど、不破さんの知り合いみたいな感じだったんで……」
「あ? 誰が送って来たのかも分からんもんを」
「いえ、商品自体はいつもの所のなんで問題無いんですけど。ただ、ネット発注らしくて届け先がウチになってて支払いの方は済んでるもんだから向こうも困っちゃってて、じゃあ! って感じでココに……」
発注ミスで行き場を失った食材は卸販売でもよくある事。
大抵は価格を下げて馴染みの店でお願いする事が多い。
けれどそれは固定メニューの店ではなく、日替わりやその日入った食材でシェフお任せ的なメニューが在るお店。
固定メニューの店でも頼まれれば何か工夫はするが、それは廃棄されるかもしれない食材に対する贖罪的な意味合いから。
ましてや支払い済みとなれば、敢えて断る理由の方が見つからない。
腑には落ちないが道理は通るその対応に理解を示す藤、けれど一応までに確認はしておきたい。
「その、透子ちゃんの知り合いってのは何なんだ?」
「ああぁ、発注者名が不破何とかって言ってたんで……」
見失っていたのか周囲を見回す藤が、左後方に居た野上を見付けて、良かった! と、ばかりに会話を聞いていただろう近さに安堵するとスグさま確認する。
「野上さん、何か知ってます?」
「いいえ……」
特には不破の名に関する覚えは無い事を示すように小さく首を振って答えた野上の表情は、藤にそれ以上の質問をする意味が無い事を理解させる。
けれど不破の名に覚えは無いがクレソンに関して何かを思い出したか、野上がカウンターに座る透子の後ろ姿を一瞬捕らえると、さっき起こった出来事に最初に出て来た透子が口に咥えていた物を理解した。
「……ぁああ。」
と、同時に思い起こされたのは昔の一幕。
再びカウンターを見れば、隣に座る藤真に思い出した過去を重ねて腹の底から少し吹き出す笑いに、全くもってと変わらぬ様子に安堵していた。
「ん?」
野上を見ていた藤には何が可笑しいのかは分からず、野上の見ていたカウンターを確認するが黙々と並んで食べてる孫達の様子に笑ったか程度に理解し自分を納得させた。
「はい、ボンゴレにんにくになりまぁす」
なすグラタンを今食べ終え、先に皆が食べていたのと同じボンゴレにんにくが届け置かれた藤真。
これで七合目を登山中の透子と鈴木に並んだが、同じ料理が後から出て来るとまるで遅れているかのような錯覚に、隣でナポリタンを食べる透子の笑顔が優位性を感じた余裕にも見えて疎ましい。
実際、苦しさを感じる処かナポリタンという好きな物を食す事への悦びの方が上回っているせいで箸の進みが早くなっている。
それを余裕と捕えるのは間違いではないのかもしれない。
何故なら、パスタ類を食べるにあたり量を食べようとする上では注意すべき事がある。
時間をかけて食べてはいけない。
パスタは水分を吸って膨張する。
それは、胃の中においても同じ。
故に、水分を補給する事も同意。
詰まる所が、パスタの大食いには早く食べた方が効率も上がるという事。
勿論、美味しく食べるのが一番である事は当然の話。
イタリア人が歌を聴き酒のグラスを片手に陽気な仲間と語らいながら食べてる姿を思い起こせば分かるだろうが、アレこそが日本でいう所の腹八分目に収まる食べ方。
ただ、粉物故の腹持ちの良さと底知れぬワインの飲みっぷりこそがあの腹に至るのかもしれないが……
自転車で遠出する折なんかにもパスタが好まれるのは同じ理由。
兎角、伊太利庵は大阪と同じで粉物だらけ……
糖質類の過剰摂取には御用心と。
「ふぅぅ、ヤバいかも……」
たらこパスタを食べ終えた亜子が久しぶりの挑戦に、今の自分の限界点に気付き始めていた。
勝負に参加していた頃から亜子は七合目の途中で下山している事を考えれば、以前とさして変わりはない。
が、普段は黙々と食べる亜子なのに、今日はチラチラチラチラ鈴木の様子を覗って、仲良くなろうと会話のチャンスを探ってと、食べる速度が遅過ぎる上に喋るのに水を飲んでいたが為に限界点も早くなっていた。
鈴木の見過ぎ。
ただ、亜子にとっての勝負はこの富士登山ではない!
故に、透子達とは違い亜子は最初から八合目を選択している。
何故ならば、亜子にとっての勝負は恋!
とはいえ、食べたい気持ちも底にあるからこそに食べたその上で鈴木の気まで惹く事が出来れば、それはもう十ニ分に価値ある勝ちだと言ってもいい。
「はい、しょうゆきのこになりまぁす」
亜子の空いた皿と交換するように きのこパスタを置いて消える料理人だが、ふと思い出したように立ち止まり応援するかのように皆へと告げる。
「あ、皆さん今七合目なんでぇ、次は八合目ですよ。頑張って下さいね」
〈余計な事を……〉
そんな思いがカウンター席に居る鈴木以外の三人の脳裏に浮かぶ。
何故なら、彼の微妙な応援に反応するのが後ろのテーブルで宴に酔う者達だと知っているから。
「お、もう七合目だったか」
「あれ? いつも若(商工会での藤真の呼ばれ名)はここまでだっけ?」
「ん、透子ちゃんが八合目なのは分かってんだよ。だから……」
「亜子ちゃんってどん位食ってたっけ?」
それまでの会話が何だったのかも分からなくなる程に、一気にカウンターの四人に話が移る。
思い起こすは過去の戦歴ばかりに、昔話のように互いの記憶試しに盛り上がる中年老人の認知症予防の検査会場へと様変わりして行く宴の場。
そこに他愛のない互いの店の商品の発注量や商工会の小間使いやを懸ける賭けの話が入リ出せば、更にその場が盛り上がり出し始める事になる。
正しく下らない賭けにこそ、本来の賭けの醍醐味が有るのだと理解させられる。
故に、ローマもギリシアも賭けを用いた闘技場という娯楽施設を街の中心部に築いたのだろう。
ギャンブル依存症とは、人が本來持っていて当たり前のものであり、それを治すという精神医学それこそが人の業にも思える行為だと、嘗て栄えた帝国の教皇は庶民の娯楽を奪う現代の政の法や医学に何を思うのか……
「若が八合目完食出来る方にウチのコロッケ三つ!」
「なら、ウチの小箒をあの新しい兄ちゃんに賭けるわ!」
「そういやお前、前回負け分のトングまだ貰ってねえぞ!」
「あ、覚えてた? トング売れたから小箒で良いか?」
「あ? おう、そっちの方がいいかもな」
「じゃあ俺は……」
「お前ん所のテナントに入ってる塾代割引とか出来ねえのかよ!」
「んなもん出来るか! そもそもお前んとこのキミちゃん勉強する気も無えだろ!」
「だあ、やらせんだろ!」
「馬鹿が、アソコは進学塾だ! 補習塾じゃねえんだよ!」
その細か過ぎる賭けの内訳を知るに、互いの店の売れ残りと必要を擦り付け合う内輪話と理解すれば賭けとは何か、それはただの互助の切掛に過ぎない……
その賭けの対象となったカウンターに座る者達の冷める気持ちとは裏腹に、熱い盛り上がりを見せる安い商魂が華々しくも酒の肴に期待を寄せる。
「透子ちゃん、九合目まで行ってくれよ! 赤ペン1ダースかかってんだ」
「赤は駄目だ! 緑だ緑! あれ全然売れ無えんだわ」
「緑なんて何に使うんだよ!」
……頑張るべきかも怪しい雰囲気に、自身の思惑をバネに気合を入れ直す透子。
だが、その最中に何のしがらみも無い男は最後のえびを使って皿に残るソースまでもを小削ぎ取り、一眺めの笑顔に口へと放り込みまたも誰より先に皿を空けていた。
ローマに通ず?




