141〜富士山九合目〜
こうかく類に綻び広がるくち
「え?」
何故ここに知った顔が並んでいるのか……
カウンター席で横に並ぶ面々に、右に左に互いが互いを見合っていた。
……ぃゃ、一人だけは一人だけを見ているが故に、もう一人もその一人を見る他にない状態にある事に、これは唯一人気付ける筈の者が気付く事より目を背ける事を選択する事になった経緯である。
入口から見て左奥側に調理場が在り、向かって手前から……
透子・藤真・亜子・鈴木
カウンターの右側最奥席は、敢えて観ようと覗かない限り他の客席からは観えない事から、特に周りを気にする事無く静かに食べられるのだが、調理場の湯気熱が漂い逃げ場のない汗だく必至の席。
鈴木には全く以て気の毒な話ではある。
がっ!
その隣に座る亜子にとっては、これ以上ないポジションなのだという事に気付く者はこの場に居なかった。
何処から湧いて来るのか、溢れ出てしまう頬笑みを隠しきれずにニヤけるのを堪え、半笑いのような顔で何とか固めた亜子は唐突に訪れた幸せに焦っていた。
今日まで頭の中で話そうとしてきた……いや、散々話していた妄想を具現化するのに、山程の想いを鈴木に対して何から出そうかと迷っているが為に……
鈴木をガン見している半笑い女。
元々、高校生になって始めての夏休みに暇を持て余した透子と亜子が買い物帰りに寄ったこの店で、同じく暇をつぶすような藤真と茶尾を見た藤が
「暇なら、ここで働くか?」
その安易な誘いの一言に即答し、既に別のバイトをしていた茶尾以外の三人は高校卒業までの三年間をここ富士山パスタでバイトしていた。
高校卒業後に透子は就職し、藤真も藤の不動産の方に就職しと、亜子だけが今もバイトを続けている。
そのバイトの折に、宴会に参加すればカウンター席でコースメニューが安く食べられる事を知った透子達が参加したのをきっかけに、当時は他の客も居たが
まだ高校生だった透子・亜子・藤真・茶尾の四人がカウンター席に並びコースメニューを食べる姿に注目が集まり、ふざけ始めた常連達の流れに加え
当時から常連だった近隣大学の山岳部の学生がやっていた大食い競争のルールにのっとりコースメニューを一新し、今のコースメニューである富士山の登山ルートに準えたメニューに設定した。
それ故、高校生当時は四人共にそのルートで挑戦していた。
亜子・吉田ルート
藤真・須走ルート
透子・富士宮ルート
茶尾・御殿場ルート
その頃はまだ育ち盛りの学生という事もあり軽々食べられるだろうと思っていたが、一皿一皿が大盛りサイズである事に意外と苦戦していた。
七合目の途中で最初に食したパスタが消化しきれず胃の中で膨らみ始めると、腸に流れる事無く詰まり出し、膨れる腹が飲み込む物を押し返す反動を持ち始めて手が止まる。
最初がグラタンである・御殿場ルートの茶尾だけが胃の膨らみこそ無いものの、グラタンの重さはダイレクトに胃の重さへと繋がり食べる動きも重くする。
透子も大好きなナポリタンは完食するも、八合目クリームソースグラタンの途中までが限界だった。
しかし、亜子がバイト中に登山部の大学生から聞いた【八合目トイレワープ】という話からトラバースルートの存在を知り、それをルートメニューに当て嵌めるに自分の好きな物の組み合わせになると知り、考案した……
と、言う程の物ではないが、亜子は・ボンゴレ・たらこパスタ・きのこ・魚介全部乗せというパスタ尽くしで、サラダとオードブルも違う物へと変わるグラタンの無い・プリンスルートを開拓。
それを聞いた透子もナポリタンと魚介全部乗せ(トマトソース)パスタの両方を食べられる・トラバースルートを開拓。
そして、いつから決めた話なのか、デザートである【お鉢巡り】を求めて富士山登山に挑戦と……
ただ、唯一人卒業後もバイトを続けていた亜子は、平日昼の仕事に御婦人方の何かの集まりや子供の誕生会やをした後の賄いで【お鉢巡り】を食す機会が何度かあり、意識も従業員側になってきたのか最近は富士山グランプリに参加するのも減っていた。
透子と藤真、そこにいつもは茶尾が居て、皆は後ろのテーブルで飲み食いしながら酒の肴にその進行具合に茶々を入れていたのだが……
「亜子ちゃんは例のプリンスで良いんだろ?」
料理長はそれを未だに覚えていたのか半笑いの亜子に確認をしたが、その不意な質問に思考が追いつかなかったようで半笑いのままに、へ? と、顔を料理長へと向け聞き返す亜子。
「あ、いや、何で怒ってるのか知らないけど何合目までにする? 登山計画書!」
料理長に言われて思い出したが、久々の挑戦に今の自分がどれだけ食べられるのかなど判る筈もなく、巡らす思考に出たのは最後に挑戦した折の七合目の途中で諦めた記憶。
「六合……待って!」
ふと、亜子は考えた。
正確に言えば考えてなどしていない。
ただ頭に過ぎって気付いただけ。
自分が猛然と食べる姿を、隣に座る鈴木に見られてしまう可能性に!
「五……合目?」
「え、それじゃ挑戦にもならないじゃん……亜子ちゃんそれ位は賄いでも普段からペロ」
――DONN!――
「何か言った?」
「……いや、えと、え?」
けれど、食べたい!
久し振りのルートメニュー。
出来れば八合目に挑戦し、残った分をタッパーに入れて持ち帰れば明日の出掛ける前に摂る食事として作る面倒も要らなくなる。
……一石二鳥。
けれど、隣には鈴木が居る。
そう、こんな時に使うことわざが有ったっけ……
【言うは一時の恥、言わぬは一生の恥】
何か違う気はするけれど、今の気持ちはそんな感じ。
「ああ、じゃあお兄さんはどうしようか?」
――DONN!――
「……それよっ!!」
「いや、亜子ちゃんじゃなくて……」
自分が食べてる姿を鈴木に見せないようにするには、鈴木が自分よりも食べていれば良い!
けれど鈴木がどれ程食べられるのかなんて判らない。
……いや、そもそも殆んど知らないし。
知った気になってるのは、亜子の妄想の中の鈴木だし。
「料理長! ナポリタンえび多めで!」
「だーめ! 透子ちゃんは痩せても相変わらずだね」
そうだ、悔しいけど確か鈴木さんもアホの透子と同じナポリタン好きだった筈。
ならば、透子と同じ富士宮ルートを鈴木さんに……
いや、当時の透子ですら富士宮ルートでは七合目。
それが、えびのある魚介全部乗せ(トマトソース)パスタを九合目にしたトラバースルートにしてからは八合目まで、鈴木さんも確かえび好きだった筈……
とはいえ、さすがに九合目は無理だろう。
けれど、アレと同じ匂いが何処からか感じるのも事実。
認めたくない。認めたくないけど何かがそれを思わせている事に、少し悔しい気持ちが試してみたい気持ちに成り変わる。
「鈴木さん、透子と同じルートに挑戦してみませんか? 鈴木さんの好きなナポリタンもあるんでおススメですよ」
「ああ、この富士宮ルートってやつですか? 七合目かぁ、ナポリタンまで結構あるなぁ……」
「いや、違うんですけど大丈夫、私もチャレンジするんで鈴木さんも一緒に八合目を目指しません?」
そう、私の為にも……
そんな心の声を胸、いや腹に秘める亜子。
「え、八合目ですか?」
「残ったら自腹でタッパーに入れて持ち帰るんですけど、タッパー代は私が持つんで!」
「ああぁ、いえ……わかりました。なら、九合目でお願いします」
意図の見えない推しに圧されて折れた鈴木の返事に目を輝かせる亜子。
男の花より団子に戻りつつある事にすら気付く事なく、萠える心は華模様。
料理長に向き直すと、一緒に登るデートの様なうれしさから亜子は誇らしげに登山計画を告げようと、半笑いの笑顔は更に口角が広がりとても怖い……
「私プリンスの八合目で! 鈴木さんは透子と同じので九合目……九合目?」
「おいよ!」
女心と秋の空。
食べる事に喜怒哀楽を見せられて、何が何やら分からぬものの鈴木を見る亜子の笑顔は、デートプランの変更に 聞いてないよと言わんばかりに眉を寄せ、口も尖ってひょっとこ面になっている。
とりあえず、デシャップでもない今の亜子には触らぬ神に祟りなしと、具材を準備し調理にかかる料理長だった。
登山は無理の無い計画を。




