110〜予兆の亀裂音〜
猛突する闘牛。
「ふむぅ……ねぇ、これ、この人なんじゃないの?」
『…ひほ?…』
怪訝な顔で確認していた楓香が、通信アプリのメッセージを零に向ける。
ID対象者の会話そのものにカードの使用を意図する隠語がある訳では無く、IDにCを有する者こそがカードを持つ者なのではと読み解いた楓香に……
焦りモニターに振り返る零。
状況を整理し直し、何かに辿り着いたのか今に至るまでの店内での行動を思い返し頭の中で再生していた。
「で、何で透子は怒ってんの?」
零から返答も無くモニターに向き固まる姿に、楓香も追って見ていたモニターには、サッカーへと向かう前の透子の怒りに満ちた顔が一瞬映り
音声も小さく聴こえている中、ヤメなヤメなの声に
『…ひほっ! マズぃ…』
答えに行き着き、怒る透子の行動が意味する事を理解したと同時に遅きに失する状況に焦る零。
――KATAKATAKATA――
――PERONN――
慌ててメッセージを送ろうとキーボードを叩くが、反応を示さず向かう足は止まらない。
「あ、透子デブる使うのかなぁ?」
『…くぁっ、あの猪突バカは…』
零の焦りを無視して突き進む透子を制止するように、指示を受けたか大泉の後ろで何かを操作していた連れの女がサッカーの通路を塞ぐように荷詰め中の男の手を引き腕をのばし拡げ、訳の分からない話をし始め透子に背を向けていた。
それこそが仲間だと証明しているが、更に数名の男達が慌てて他方から向かって来ているのを、通せんぼで立ち尽くす透子も理解している。
そんな中、隣の若い男女の迷惑なイチャつき程度に思っていたのか、大泉はなるべく意に介さずを通して荷詰めを済ませていた折、腕を拡げて何かを話す男女の奇行に横目を向けると立ち尽くす透子が目に入り……
「不破ちゃん?」
呼びかけに顔を向ける透子の顔に怒りは見えない。
立ち尽くす透子が目で物を言うように向けた視線の先では、邪魔をする男女の奇行が悪目立ちしていた。
他の一般客達もその男女の奇行を横目に眉間にシワを寄せている事に、他の仲間達も心穏やかでは無いのは明らかで、直前まで透子に向かっていた男数人も立ち止まっていた。
そんな中、急ぎ乱雑に荷詰めしていた女がビニール袋を持ち上げると、仲間達は安堵したように目で合図する。
その指示に反応して男女が後ろを振り向き、今気づいたかのように軽く透子に会釈し道を空けた。
ようやく開けた前方の視界に、逃げるように真っ直ぐ出口へと向かう女の後ろ姿。
一瞬何かを考え視線を下へ外すと、思い付いた何かに荒らげた声をかけた。
「ちょっと、オバさん!」
敢えてオバさんと称した透子にキッとなったか自覚があるのか振り返る女。
透子はニヤリと笑みを見せ、続けて手に持つガムを掲げて見せた。
「これ、オバさんのでしょ?」
思い当たったが、戻るのに抵抗を感じる行動制限からかカメラの向きに気付いたか、思い出した自分の行動に、カメラに顔を向けた事実に気付いた女が慌てて下を向き叫び去って行った。
「要らないっ!」
顔を伏せカメラから逃げた女の行動は、透子の親切心に対して非礼な態度で呆れさせ、世間の目に女の印象を焼き付けるのには十分だった。
レジで後ろに居た男が口を開け眉間と片方の目尻にシワを寄せ、判断を誤った事をあからさまに後悔している。
それは大泉や透子に対する何かでは無く、仲間内に対する指揮系統の乱れを生じさせた問題の収拾を失敗し、透子の行動を見誤った事に対する後悔だろう事は明らかだった。
「何あれ」
大泉も透子の親切心に対する女の非礼な態度に呆れ、寄り添うように透子と顔を合わせ戯けて見せ、それに肩を窄めて戯け返す透子。
「あ、私も精算しないと」
レジへと戻る透子の顔は、怒りを抑え冷静になろうとするもので、早く確認したい事で溢れている。
制止しようと動いた者達数名の中には、零も透子も追跡者の仲間だと判別出来ていなかった者も居た。
カメラの位置や向きから撮れているのか不安な気持ちと、零に見せる為に近付き振り向かせた女の顔から居場所を特定出来るか等々。
レジでは既にキャッシャーを通され、精算するだけになっていた。
隣で男が気不味さに苦々しい顔で何かを思案していた事を口にする。
「いや、てっきり怒ってるのかと思ってたからさ……」
「はあ、で?」
既に仲間と判明している五十半ばのジャージ男の言い訳には聞くだけの価値も無く、敢えて素っ気無くする事で余計な事まで話してくれれば程度に思っていたが、思いの外ダメージは大きかったようで男は下を向き黙り込んでいた。
レシートを受け取りサッカーに向かうと大泉が待っていた。
「あぁぁ、アレ、あの女が落とした物を拾う時にレジに置いたのか、私のカゴの脇に置かれてて……」
分からない経緯に女の行動を確認する大泉の質問に、答える透子の話には他のシワを寄せていた一般客も耳を傾けていた。
店を出て駐輪場へと向かう中、思い出したようにスマホを確認しようとする透子に、前のメッセージは不要とばかりに新たなメッセージが入った。
――PERONN――
【顔は確認出来た。焦らすなバカ猪突!】
「ふん、誰がバカ猪突だ」
そう怒る顔は達成感からか、口元に緩みを見せていた。
そこには自分の行動の意図を読み解いて貰えた優秀な仲間への信頼関係とも言える感謝の気持ちがあった。
あの場面で届いたメッセージの着信音に、女に向かっている事を察した零がスマホカメラからの映像を見て確認していると信じていたからこその結果に……
一旦大泉と自転車で途中まで共に走り出し、追跡を振り払うように楓香の通信アプリの傍受から確認しながら戻り、事務所でマサからデータを受け取るだけ。
そう思い、スグにでも確認したいアレやコレやに期待を膨らませていた透子だったが、店に戻る途中の横断待ちに零からメッセージが入る。
――PERONN――
【マズいぞ!店に立入だ】
「え?」
――PERONN――
【警察より先に店に行ってデータを受け取って来い!】
「は?」
――PERONN――
【早く行け、バカ猪突!】
「この! 何なのよ! もうっ!」
――PERONN――
【それは牛だ!急げ豚!】
「くっ!」
ほんの少し前に感じた信頼関係も感謝も無かった事にして、ブーブー言えずにマサに電話を入れる。
「マサさん? 今から店に警察が立ち入りだって! 絶対私が先に行くからデータ用意しといて!」
訳が分からず質問するマサの電話を切り、急ぎ血眼号のペダルを強く踏み込んだ。
――CHIRIRINN!!――
着いてスグに血眼号を階段下に駐め、事務所の扉を開けようと階段を上がった透子だったが、壁の塗装に反射する赤い何かに振り返ると、回転灯を点けたまま停まるパトカーから制服とスーツの男が二人降りるのが見えた。
事務所の扉を開けるとマサは目の前に居た。
「今はいい、後で説明しろよ!」
そう言ってデータの入ったUSBメモリーを透子の掌に託すと、後ろの様子を確認して扉を閉めた。
振り返ると、制服とスーツの男二人は店の入口へと向かっている。
急ぎ静かに階段を降り、血眼号に跨がった。
――CHIRIRINN!!――
感謝と怒りの背合わせ。




