004 夏の日の夢
主人公、石田ミノルの視点です。
第四章 夏の日の夢
僕は鳴りつける目覚まし時計の音を耳にし、薄明かりの中で目を覚ました。その目覚まし時計を手に取ったところ、僕があの夢の中でつかんでいた黒いあの時計に見えてぎょっとした。
あの夢?
背筋には汗が重く張り付いており、気分はあまり良くはない。頭は少し痛み、体の調子も良くない。しかし、意識だけは指の先まではっきりしている。
僕は夢を見ていた。その夢は僕が小さい頃から幾度となく見てきた夢だ。毎回細かいシチュエーションは違えど、夢の大筋のラインは同じだ。
僕は森の中の道をずっと歩き続けている。森の道を歩いてゆくと、二股に分かれた道と廃墟の公園がある。その廃墟の公園には一人の女の子がいる。金色の夕日に照らされた黄昏の中に、その女の子は僕に吟味されたイミシンな問いを投げかける。
時計に目を落とすと、時刻は7時の少し手前だった。僕の父は6時半前には家を出てしまう。兄は東京の大学に通っており、大学の寮で暮らしているので僕と会うことは少ない。母は近くのデパートで働いており、昨日は遅番だったので朝はそんなに早くない。たぶんまだ起きてはない筈だ。
学校に行く支度をして、リビングに行く。リビングには祖父がいて、老眼鏡を掛け、新聞を広げてお茶を飲んでいた。
「みのる、おはよう。今日も早いね」
「おはよう。なんだか雨が降りそうだね」と僕は窓の外を見て言った。
「そうだな、今日は朝少し雨が降りそうだな。傘を持って行った方がいい」
「うん、そうだね」と僕は言って、テレビのニュース番組をつけた。そして、ピーナッツバターを塗った食パンを二、三枚食べた。
いつもと変わらない朝だ。
朝食を食べ終え、身支度を整えて制服を着て、祖父に声をかけて家を出る。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ、みのる。行ってらっしゃい」と祖父は言って、老眼鏡越しに僕の目を見て手を振った。
リビングを出ると、二階の寝室から母親が降りてきた。
「おはよう。もう行くの?」
「うん、今日は一学期の最終日だから、お弁当はいらないや。午前中だけですぐに帰って来るよ」と僕は言った。
「そう、じゃあ行ってらっしゃい」と母が言った。
「うん、じゃあお母さん、行ってくるね」と僕は言った。
「気を付けてね」
そう言った母の声を背中に、僕は傘をとって家を出た。
外はさっきまでどんよりと曇っていたが、今は少し雨が降っていた。いつもなら、自転車で最寄りの駅まで行くのだが、今日は歩いて行った方が良さそうだ。電車にもちゃんと間に合うだろう。
僕は今、高校二年生で、今日は7月19日で一学期の最終日だ。今日は終業式をして成績が返され、午前中で授業が終わる。いつもなら部活があるが今日はない。高校では美術部に入っている。
そして僕は駅までの道を、傘を差しながら歩いて行った。道の左手には田んぼが広がり、耳を澄ますと田んぼに降る雨音が聞こえた。右手には小高い山があり広い森がある。その中には呼人神社というやや大きく古い神社があり、僕の歩いていく道路に面して赤い大きな鳥居がある。空は雲を風で払いのけ、雨は森や田畑を打ちつけていた。
そうして僕は歩きながら、今日見たあの夢について考えていた。
あの夢は今までに何度も見たことがあるが、あの女の子と長く話したことは初めてだった。今まで何度か目にし、声をかけられたことはあったが、あのように話したことはなかった。そして今でもその会話の内容や陽に照らされた廃墟の公園を鮮明に思い出すことができる。
駅に着き、傘をたたんでホームに入り、電車を待つ。電車に乗ると、いつものように朝の通勤ラッシュで込み合っている。高校までは電車で15分ほどで、乗り換えはない。僕はカバンからウォークマンを取り出し、外の風景を眺めながら音楽を聴き、やり過ごす。
電車を降りても雨は変わりなく静かに降り続いていた。
学校へと続く道を巡り、傘を差しながら僕は歩いて行った。駅から高校までの道のりは商店街となっており、パチンコ屋や服屋、床屋、美容院、本屋、飲食店、雑貨屋、ラーメン屋などが所狭しと並んでいる。
僕の高校の他にも近くに幾つかの大学があるので、この商店街は駅までちょっとした学生街を形成している。今の時間帯は僕と同じように高校へ向かう学生がほとんどで、中には社会人や大学生という人も見受けられる。そして、皆傘を揺らしながら目的の場所へと向かう。商店街の店はまだどこもシャッターが閉じられている。
静かな雨の降りしきる、まだ目覚めていない朝の商店街はなかなか悪くなかった。
学校に着くと雨はやみ、暗い雲が空に重く動いている。雨はいったんやんだが、またいつ降り出してもおかしくはない天気だ。僕はその重苦しい雲の割れ目を睨み、学校の教室へと入った。
まだ教室には誰もおらず、照明はついていない。僕はその明かりを付けないままに自分の席に座った。誰もいない。とても静かだ。
外では雨がまた降り出したようで、僕は家から持ってきた本を取り出した。僕は朝、学校に着くと、本を読んでいるか、その日の学校の課題や小テストの勉強をしている。
僕が今読んでいるのは、小泉八雲の「夏の日の夢」という本だ。
小泉八雲は外国人でラフカディオ・ハーンといい、ギリシャに生まれた。生まれてすぐにアイルランドのダブリンに移り、フランス、アメリカに渡って新聞記者として働いた。その後、1890年に来日し、島根県の松江で英語教師の仕事を受け持った。
そこで後の妻となる小泉セツと出逢う。彼女はハーンの生活の世話や日本についての疑問に答えたり、興味深い日本の言い伝えや物語を話した。そして、ハーンが日本の物語を書きあげる上で重要なサポート役として助手となり彼を支えた。やがて二人は結婚し、生活を共にするようになった。ハーンは日本名を小泉八雲と名乗り、日本に帰化した。
ハーンは日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、多くの作品を著し、日本を広く世界に紹介した。そうして彼は日本の古い不思議な説話や物語を拾い集め、海外に日本の物語を発表した。日本には今でもハーンの残した「怪談」や「雪女」、「耳なし芳一」などがあり、それらは古い日本の世界を知る上で重要なよすがとなっている。
「夏の日の夢」はハーンが自らの随筆の中に挿話として「浦島太郎」と「若返りの水」を織り交ぜた文章となっている。単に見れば、その話はただの昔話に過ぎないのかも知れない。浦島太郎や水を飲み若返ってしまう話などは既にありふれた昔話でもあるし、今の人が聞いても感じることは少ないと思う。
しかし、ハーンは浦島太郎という謎めいた不思議な物語に思いを馳せ、人生という泉の水を飲んでしまった老婆のことを考える。
夏の日に太陽の照りつける海岸に彼はたたずみ、海沿いの松林の下に、遠く水平線上に広がる入道雲に目を細める。そうして、真夏の空の下にいにしえの日本の物語は、彼を夏の日の夢へと誘う。
そして、僕たちは遠くの世界に思いを馳せるように、どこまでも真夏の夜の夢を見る。