001 神々の憂鬱
We are such stuff as dreams are made on,
and our little life is rounded with a sleep.
我々は夢と同じ物で作られており、
我々の儚い命は眠りと共に終わる
「テンペスト」 シェイクスピア 第4幕第1場より
第一章 神々の憂鬱
「ヘルメス、どうやら〝一つの影〟は本格的に動き始めたようだな」
「そうだね、アポロン。でも僕達が動き出すためにはまだ条件が十分じゃないよね」
「そうだな。しかし、我々の行動には常に制限がかかっているというのも疎ましいものだな」
「ああ。でも仕方ないさ。なぜなら僕達はこの世界を監視するために造られた生ける番人だもの」
「まあ、造られたからには与えられた役目を果たさなければならないという事か」
「そうだよ。たとえそれで造った者が滅んだとしてもね」
ヘルメスと呼ばれた者はそう言って、右手の人差し指を宙に示し、アポロンの方に顔を振り向けた。
「あら、二人ともどうしたの?」
「やあ、こんにちは。記憶の女神さん。今日もかわいいね」とヘルメスが言った。
「なによ、女神って。私達って神っていうよりは使者や番人でしょ」
「でもこの世界の人間達は僕達のことを崇め、信仰しているよ。神様としてね」
「それは彼らが作った神話の中の神々に過ぎないわ。私達はそれを元にして造られたのよ」
「ごめん、ごめん。わかってるって、アルテミス。この世界を守っているんだから、たまには神様気取りもしたくなるさ。でも、確かに僕達はこの世界を守るために造られた番人さ」
「ところで二人で何を話していたの?」
「〝一つの影〟についてだ」とアポロンが険しい表情で言った。
「……〝一つの影〟ね。確かに彼は二〇〇年前にこの世界に流刑にされて、霧の国を影帝国として生まれ変わらせた人物ね」
「さすがは記憶の番人さん」とヘルメスが言った。
「それくらい、あなたにも分かり切っている事でしょう」とアルテミスは不機嫌そうな顔をして言った。
「そうだよ、ごめん、ごめん。で、この〝一つの影〟なんだけど、どうする?」とヘルメスは真顔になって少し憂いるような表情で言った。
「そうね。彼の事は危惧すべきだけど、私達が行動に出るのにはまだ時期が早いわ。もう少し時の流れに身をまかせ、この世界を見守りましょう」とアルテミスは言った。
「そうだな、私もそうするべきだと思う」とアポロンが言った。
「まだ時期が早いか……。確かにそうだけど、〝一つの影〟のやろうとしていることは確実にこの世界に穴を開けようとしていることだよ」とヘルメスが言った。
「そうだ。〝世界の穴〟というよりは〝世界の扉〟と言うべきかな。
様々な世界の終わりであるこの世界から抜け出し、目的の世界に移動するための手段を〝一つの影〟は探っているな」とアポロンが言った。
「そうね。この世界は様々な世界の人々を連れてくることは出来ても、出ていくことは出来ない。
なぜなら、この世界に来た人々は本当なら元の世界で死んでしまった人々であるもの。〝一つの影〟も例外的ではあるけれどそうだわ」とアルテミスは哀れむような表情で言った。
「そうで、例外的と言えば〝もう一つの影〟はどうした?彼もまたこの世界に魅かれて、影として何度かあの森を通ってこの世界に来ているけど」とアポロンは言った。
「〝もう一つの影〟か。まさに例外的な存在だね。この世界に渡ってきて元の世界に戻ることが出来るのは、おそらく影としての彼だけだろうね」とヘルメスは言った。
「その〝もう一つの影〟だが、彼はどうやら〝一つの影〟に呼び寄せられて、この世界にやって来るようだ」とアポロンは言った。
「何?それは本当?どうやら、いよいよ本格的に僕等が腰を上げなければならない時がやって来そうだな」とヘルメスは驚いて言った。
「そうね。〝一つの影〟は〝もう一つの影〟接触を図り、この世界に〝世界の扉〟を開けようとしているわ。自身の願いのためにね」とアルテミスは言った。
「やれやれ、しょうがないな。久し振りに僕達の仕事が巡って来そうだよ」とヘルメスは少し困惑した様子で言った。
「待ちましょう。私達の役目を果たす時が来るまで。そしてその時が〝彼等〟に私達がまた〝この世界の秘密〟を明かす時となるのでしょうけれど」とアルテミスは静かに目を閉じて言った。
「そうだな、その時まで我々は待つとしよう。そして、それまで注意深くこの世界を見守るだけだ」とアポロンは言った。
「そうだね。僕達がこの世界に関われる干渉値は限られているけど、それまでこの世界を見守ることは出来るね。じゃあ、僕達はその時までに」とヘルメスは言った。
「ええ、またしばらく」アルテミスは言った。
「ああ、では暫しの間」アポロンは言った。
そうして、三人の番人達は皆、臆したまま、それぞれの眠りについた。