ワッサルー子爵領と転生者
異世界に既に存在した転生者と,その解決すべき課題とは.
ワッサルー子爵領では,その領主たる子爵の名で,面白いと思った取り組みは次から次へと試された.これは代々の取り組みであり,伝統的に,貴族にしてはフットワークが軽かった代々の子爵は,近隣の他領であっても,優秀な人材や新たな発明は取り寄せ,囲い込んで行った.もちろん周囲の領主との折衝は欠かせないが,その労苦を補って余りある発展を遂げることができているからだ.しかし近年ではその成長は頭打ちの感があり,さらなる発展をするための突破口として,当代の子爵が興味を抱いたのは,運河を挟んだ隣のエデル男爵領との間に大きな橋を通すことであった.これまで,運河では小舟を渡して物資のやりとりをしており,この流通を改善することで,世界に先駆けて物流の覇権を握ろうという腹づもりであった.
さてこのピーターバーグ共和国では,魔法は公然のものとして扱われている.平民の二割程度が魔法の才能を有した状態で生まれてくる.三百年にわたる血統の保存・選別を,優生学に基づいて行ってきた貴族においては,その六割程度が魔法の才能を有している.つまり,各貴族領においても,二人の兄弟のうちどちらかは魔法が使える.少なくとも,上流の人間にとっては,魔法はその程度には浸透しているものなのだ.
ただ魔法とは,様々な不可思議な現象を起こすことができる才能であるが,これは教育を受けない限り覚えることはできない.貴族家当主の選定に魔法の才能の有無を用いる家もあるようだが,何れにしても貴族が魔法学校を運営し,教育を行い領内の魔法使いの層を厚く,充実させる取り組みをしている.しかし,この魔法の問題点は,人によって使える能力の個人差が大きいという点にある.つまり,竜巻を起こせる魔法使いがいるかと思えば,箒に乗って空を飛ぶことしかできないものもいる(本当に優れた魔法使いは,箒を使わない).管理する側から見れば,全く計算できない戦力(労働力)なのである.魔法使いは,日常に掛かる魔法や,箒や絨毯を媒介にした飛行魔法など,最低限の魔法に関しては簡易化した呪文や補助具を開発し,魔法使い社会の最低限のレベルを保持しているが,魔法が使えない七割以上の人間にとっては,魔法に頼らない生活を強いられている.しかも,ワッサルー子爵領においては,建築や橋梁工事などの大規模な魔法を使える魔法使いはいなかった.もしかしたら複数の魔法使いが協力すれば可能なのかもしれないが,物理的に不可能な構造であれば無理を補うために常に魔法で支えなくてはならず,橋の保守のためだけに貴重な魔法使いを使い潰すわけにはいかないという事情もあった.
そこで,先代のワッサルー子爵が目をつけたのが科学の力である.子爵は,領内で生活を豊かにするための技術開発を奨励し,多くの新技術を世に普及させてきた.また,近隣の領主達と,その子息達のうち魔法が使えないものを先頭に,各領の技術を統合・体系化する事業,ピーターバーグ学術会議の編成を行なった.魔法使いの二倍近い人数が参画できるのだから当然ではあるが,子爵領の科学水準は目に見えて向上して行った.その成果もあり,当代のワッサルー子爵の統治する時代にようやく,このピーターバーグ学術会議に出席している領においては,「都市計画やインフラ整備など物量が必要な分野には科学」を,「芸術や工芸,要人警護などの一芸を必要とする分野には魔法」を活用するという棲み分けが一般的になってきた.また大型の橋の工事に必要な構造計算や,代替手法としての大型船の設計など,本来の目的に向けた研究も少しずつ,光が見えて来た.
そんなある日,このピーターバーグ学術会議を震撼させる出来事が起こる.
転生者の出現である.
彼らは,はじめのうちは少数であったが,徐々にその数を増やし,最初の発見から十年がたった現在では,学術会議が勢力を有する十三の貴族領において七十人を超えるようになった.
彼らの共通点は,ジャパンと呼ばれる国から来たこと,大きな農作業用の馬車?に轢かれて亡くなったのちにここへ来たこと,くらいである.しかし,困ったことに,彼らの中にはこちらの言葉を十分に理解することができないものが多くいた.かといって,教養がない野蛮人かというとそうでもない.自国の文字もかけるし,計算などをやらせれば特に積算が早い.ようはこちらの文化にうまく適応できていないのだ.一方で,なかには,こちらの言葉に近い言葉(エイゴ,ドイツゴとかいうらしい)を操れる者も少数ながらおり,そういった者は学術会議の学者の研究に新たな視点から知識や示唆を与えてくれているようだ.特に強度計算や設計には欠かせない高等数学の発展には多大な寄与をしてくれており,応用数学の分野では学会の名誉委員に選出される転生者もいるほどだ.
つまり,彼らは基本的には能力があるのだ.言葉の壁や,生活習慣の壁からこちらに適用できないだけで,うまく使いこなすことができれば,この世界の魔法・科学を向上し,領民の生活を改善することができるかもしれない.運河に橋を渡し,世界の流通事情を一手にその手中に収めることだって夢ではない.
なんとかできないか.そう考えに考えて,半年の時間が無為に過ぎ,アイデアが尽きたころに,子爵領主館の来賓室に突如,緑色に輝く扉が現れた.
この扉が,時空の狭間を超えた人材派遣業社と繋がっていたと知った時,領主は思わず喝采をあげた.この日から,子爵とその側近であったコンタドールの「転生人材活用事業」が始まった.
そして今日,待ちに待った現地担当者の野々井氏・瀬田氏がやって来たのだ.コンタドールは,勤めて笑顔で彼らを迎える.
「Welcome」
このコンタドールがいかにして銀縁係長となったのか.それはまた別のお話.




