ワッサルー子爵領の事務官
畠中に押し込まれた部屋は,不思議な色をしていた.部屋の壁ではなく,どちらかというと空気に色が付いているように見える.虹色と言うのだろうか?
部屋の中央に据えられたゲートをくぐると,そこから無数の単色に別れた道が現れる.なるほど,プリズムのようなゲートなのだなと玲於奈は納得する.
畠中は緑色の道を行くように言っていたが,これだけ色が無数に別れていると,もうちょっとわかりやすい色を指定してくれればいいのに,と思う.
「瀬田さん,緑色は可視光の中でどの辺りの位置か,覚えている?」
「えっと,532 nmだから,真ん中ですか?」
「うん,まあそれは緑色レーザーの場合だね.僕らが緑色と認識するのは,だいたい495 nmから570 nmくらいかな.まあいいや,緑色の道を選ぶのは任せた」
「ええ,なんでですかあ?真ん中行けばいいし,緑の中で何十本もあるのに,わかりませんよう」
「あ,僕色弱だから.赤と緑の区別が曖昧なんだよね.だから,緑の中の細かい区別も無理かな.まあ細かいことは気にせずだいたいの割合で532 nmを探せばいいんじゃないかな」
だいたいの割合でいいなら野々井さんがやればいいじゃないですか,という理恵のもっともなつぶやきが聞こえたが,玲於奈はそれを無視する.そもそも,不確定な情報を元に判断するのが嫌いなのだ.
そして数分かけて理恵が選んだ道(彼女に言わせれば輝かんばかりのライト・グリーンらしいが,玲於奈には明るいグレィにしか見えない)を進むと,扉があるのが見える.
その表札には,St. Peterburgの文字が書かれている.
「サンクトペテルブルク?ですか?」
「ザング・ピーターバーグって畠中さんは言ってたね.まあ,微妙な綴り・発音の違いはあれど,元の意味は一緒なのかもね」
「そんなもんですかねぇ」
二人は無感動な会話をしながら,ドアを開ける.すると,中から流暢な英語で歓迎の声が聞こえ,事務官らしき男が現れる.
理恵は,英語の挨拶とか嫌だなあと思っていたし,玲於奈にしても普段使わないために考え込みそうになるが,目の前の人物を見てそんな考えは吹き飛んだ.
「Welcome」
歩いてきた男は,畠中のメガネがべっ甲から銀縁に変わっただけの,瓜二つの顔をしていたのだから.
「銀縁眼鏡係長,かな」
「ふふっ」
理恵が噴き出した.




