畠中という博士
べっ甲係長こと畠中は,常に新しい事に挑戦する,そんな人間である.
建築学でドクタを取ったのは随分と前のことだ.その当時,建築に進む若者はみんな建築士になりたがったものだった.建築はあくまで芸術であり,学問ではなかった.今では建築を工学の一分野として見る向きも強いが,その当時は一般的ではなかった.そんな時代にあって,畠中は建築を都市計画の歴史として捉える講座に入り,ドクタの学位を取得した.
当時は,ドクタを取った学生の多くは大学に残ろうと躍起になっていた.しかし畠中は,ドクタの専門分野が時代とともに先進化・細分化していることを敏感に感じ取った.そこで知識を統合出来るような仕組みが必要だと考え,当時人材派遣会社大手にのし上がろうとした四つ葉に入社した.
入社当時,ドクタをもった社員は畠中だけだった.状況は今も大きく変わらない.今年に四名を入社させたが,同一年に複数などというのは前代未聞だ.
それだけ,畠中がこの企画にかけている,ということでもある.本社の人材派遣事業課の奥にある部屋に,数多くの異世界に繋がっていると知った時は,これだ,と思った.
どういうわけか,繋がる先の世界では,文明が進んでいなかったり,科学の代わりに魔法が跋扈していたりと,いびつな進化をした世界がほとんどだ.そのような世界では,論理性が欠如し、感情論で物事が進むことが多い.
その世界で必要とされる人材を送りこめるパイプができれば,この会社の儲けは莫大なものになる.なにしろ,異世界の数は星の数ほどあるのだから.
感情論に流されることのない論理性を持ち,異なる言語の使用にも耐える人間.なにか一つの分野に特化した優れた指向性を有する人間.
そんな条件を思いついた時,畠中の心には学を修めながら大学に職を得られずに安い職を転々としていた博士時代の同期の姿を思い出した.
そこからは早かった.研究の世界から背を向けた罪滅ぼしのつもりだったか.文科省の役人に頭を下げ,議員に根回しをし,学術会議にも話を通した.なんとか数人のポスドク崩れを雇う金を都合したのだ.係長になってから,一番働いたかもしれない.
その成果が,これから出る.
野々井玲於奈.
瀬田理恵.
まだ関係も希薄な二人だが,想像以上に優秀だ.野々井は,なにか事情があるようだが,能力だけなら文句なしだ.瀬田にしても,まだ学生気分が抜けないようだが,地頭はいいし機転が利く.二人を雇うのに年間約千八百万.少々高い買い物だが,数ある異世界のうち一つでもものになれば十分,元は取れる.
そこまで畠中が考えを巡らせたところで,準備を終えた野々井玲於奈と瀬田理恵が出勤してきた.ここからが,畠中にしても本番だった.
「二人とも,お早うございます.早速,今日から異世界勤務ですね.こっちです.ついてきて.君たちが行くのは,ザング・ピータバーグ共和国のワッサルー子爵領です.向こうでは子爵付きの事務官が待っているはずです.向こうは英語は喋れますから,心配は要りません.さあ,行ってらっしゃい!」
畠中は,なにか言いたげな瀬田と,やけに落ち着いた(もしくは,どうでも良さそうな)野々井を扉に押し込んだ.
ここで第1章は終わりです.
第2章はいよいよ,異世界編です.最初のお客様は,ザング・ピーターバーグ共和国・ワッサルー子爵領です.
週末のうちに一話は更新したいですね.




