ワッサルー子爵領の求人情報
「それで,コンタドールさん.追加で欲しい人材のリストなのですが」
「ええ,そちらにお渡ししたもので全部ですが,なにか,不足でも?」
「いえそんなことはありません.人を誘致したい分野とその能力値について,よくまとまっていると思います」
そう.たしかによくまとまっている.たとえば,こんな具合だ.
業種:建築(橋の設計,施工)
条件:橋の強度計算,材料の選定,工法の指定・監督が行えること
待遇:週に共和国銀貨一枚支給.貢献度評価に基づき,夏季賞与あり
手当:住居貸与
期間:五年間(相談の上,二年間の延長可)
「ただこれは,私たちの世界の人間の作法に向けて,少し書き直すというか,詰める必要がありますね」
「おお,お願いします.なにぶん,私も兄も貴族社会で過ごして来たために平民の雇用条件を考えるなどやったことがなくてですね.助かります.さすがは畠中さんが送ってくださった担当者さんだ」
そんなお気楽な発言をするコンタドールを見て,玲於奈は頭痛がしそうになるのをどうにか堪える.非常によくまとまっている条件ではあるのだが,問題は主に三点
・仕事内容の要求が(おそろしく)高い
・報酬の相場観が伝わらない
・契約期間満了後のフォローアップ・サポートがない(ように見える)
である.一つ一つ,話し合うしかないだろう.まずは仕事内容の要求が高い点についてだ.これはおそらく,科学分野の黎明期であり,まだ専門分野が細分化されていないこの時代だからこその発想であろう.現代の日本では,この時期はとうに過ぎており,学生が専門的に学ぶ領域はかなり狭い.狭く,深くを地で行く教育指針なのだ.
とはいえ,もちろんこの時代の知識階級に求められている専門知識であれば,国立大の工学部あたりであれば扱っているだろう.日本の大学の多くは日本語で教育を行っているので,たとえば構造・材料力学であればティモシェンコなど,英語で書かれた古典的名著を漁って復習する必要があるかもしれないが.ただ,問題はその後である.条件に書かれている「行える」という点.今の分業化が進んだ日本に,これらの全ての業務において実務経験を有する人材などいないだろう.いたとしたら,その人はかなりのベテランだ.そんな人はまず日本の会社に地位があるはずであり,わざわざ異世界には来ない.現実的なターゲット層は大学生か,大学卒業したばかりの若者だろう.
「ですので,ある程度条件面のすり合わせが可能な「転移」に関しては,この実務経験を緩和していただかないことには,難しいかと思います.まあ,偶然年配の技術者が亡くなって,そこから「転生」ということも幸運であれば可能でしょうが,「転生」の場合こちらから能力の指定ができませんし,なによりそのままの年齢で来てしまいますので,若い方を確実に手に入れる「転移」をお勧めします」
「ううむ,そうですか.そちらの世界では,みなさん学者よりなのですな,お若いのに実務者がいらっしゃらないとは」
「いえ,それは単純に教育期間の差です」
聞けばピーターバーグ共和国は十五歳を過ぎたら一人前だそうだ.日本ではもっと長い.玲於奈など二十七で博士号を取るまでずっと教育機関にいたのだ.単純にその差がこの認識の違いを産んでいる.
「まあ承知しました.実務経験はこちらで働きながら補えばよろしいでしょう.すると,契約期間は下積みを含めて最初から七年間にした方がいいかな?」
「あ,その件なんですがね」
玲於奈は,コンタドールの方から問題点の一つに話を及ばせてくれたのでこれ幸いと便乗する.
「「転移者」ないし「転生者」を数年の期間受け入れたとしましょう.そのあとはどうするのですか?申し上げておきますが,こちらの世界に帰るというのは現実的ではありません.もちろん,今こちらの瀬田が確認に行っていますように,不可能ではありませんが,こちらに来ることで少なくとも本来の職場でのキャリアに穴が空いてしまいます.復帰は現実的ではありません」
「すると,ずっと面倒をみろと?」
「そうではありません.そこまでする義理はない.ただ,任期満了の後,彼らが望んだ場合にこちらに適用できるようなキャリアパスを考えておく必要はあるでしょう.たとえば,有期の大型建築が継続して行われる予定があるとか,教育や研究に携わる場を設立するとか,他にはこういった技術者を必要とする他領への紹介状を子爵の責任で書くとかですね.少なくとも,こちらで生きて行く選択肢が取れる,という可能性を示してあげることは応募者を安心させる側面となり,応募を助けると思います」
「そうですね.そう言われればそうかもしれませんね.では,その辺りの工事や教育研究機関設立の動き,予定は調べておきましょう.もちろん他にも,成果を残せば少なくとも私の管轄下で働く機会か,信頼のおける人間への推薦状は私たちの責任において用意しましょう」
「素晴らしいですね,十分かと思います.それでは,最後の点ですが,給与についてです」
「おや,少ないですか?」
「いえ,それが判断できないことが問題なのです.物価も分からなければ,周囲の平均的な給与もわかりません.それでは,待遇の判断のしようがないのです」
「ああ・・・そういわれればそうですね.ええと,わが国では通貨に関しては十二進法を採用しています.金貨,銀貨,軽貨の順ですね.物価は・・・私も生活に使うものを自分で買うわけではありませんからね.ただ今回の契約では年額で金貨四枚と賞与ですからね.年額金貨四枚というのは子爵領政府の中堅官僚,三十歳くらいの平均額ですよ」
「なるほど.では,それを明記しましょう.それだけでもだいぶん違います」
なるほどね,と言いながら必要事項を上書きして行くコンタドール氏.もう一つ思いついた玲於奈は声をかける.
「ちなみに,この住居貸与というのはどういうものですか?」
「戸建ての家を子爵領の端,市街地から少し離れた郊外に,一人一件確保しています.手伝いとして,ある程度教養のある女性を一人か二人ずつ派遣できると思います」
「あ,そうですか.それも書いておいてくださいね」
なんとも,物事の価値観が一致しないので疲れる話だ.しかし,何はともあれこれで橋梁工事に関する求人情報はまとまった.結果としては次のようにまとまった.
業種:建築(橋の設計,施工)
条件:橋の強度計算,材料の選定,工法の指定・監督に関する知識・意欲があり,基礎の研修から真摯に取り組める人物であること
待遇:週に共和国銀貨一枚支給(子爵領中級官僚相当).貢献度評価に基づき,夏季賞与あり
手当:住居貸与(戸建て,家政婦付)
期間:五年間(相談の上,五年間の延長可.他職への転職支援制度も創設予定)
悪くない,と思う.そもそも,こちらの世界に来ようとする人は,ある程度現状に納得がいっていない人が多いと想定される.こちらに来るという「転移」への決意が大きなネックだが,それを超える決意をできる人は,そんなにこちらでの待遇にはこだわらないだろう.そのなかでこれだけの待遇なのだ.十分だと思う.一方で,「転移」を望まない人は,どんな条件をつけても,それを望まない.だからそこは考えるだけ無駄なのだ.
「いやあ,案外疲れるものですねえ」
一仕事ついたと感じたのか,コンタドール氏が気の抜けた声を上げる.無理もない,貴族である彼が「転生人材活用事業」などぶち上げてみたものの,実際に手を動かす機会などそうそうないのだろう.だが,玲於奈としてはここで甘やかすわけにもいかない.
「なにをおっしゃいますか.やっと建築関係が終わっただけで,続きの求人案は山積みです.再開しましょう」
「ううむ,手厳しい」
コンタドール氏が要求した追加人材は十一業種に及ぶのだ.理恵が帰って来るまでに,果たして求人案は完成するのだろうか.




