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科学的に考えれば怖くないはずだと思った私の肝試し

 夏になれば肝だめしをしなければならない。

 そんな決まりはどこにもない。

 夏である必要はないし、肝だめしをする必要もない。


 なのになぜか、私たちは、それを望んでいないのにも関わらず、肝だめしをすることになったのだった。


 話の流れ。

 それはたとえば、物語の冒頭のように突然やってくる。

 流れに逆らおうとしても、どうしても逆らえない。


 なぜ逆らえないのか。

 それは「逆らえなかった事象」ばかりを観察しているからだ。

 実際にはほとんどの場合で逆らうことができているのである。


 そういうわけで、私たちは望まない肝だめしへと向かうことになった。

 中学校の同級生、三谷カエデ、佐藤有出薔薇蘭、井上理蹴、仄知臼、妻鹿遜美、そして私。

 合計六人。


 行先は廃線となった私鉄の駅。

 駅から少し歩いたところにあるトンネルは、中で洞窟と繋がっていて、その奥に幽霊が現れるのだという。


「ねえ……噂だけだよね? お化け……出ないよね……?」


 カエデは青い顔をして、ガタガタ震えながら言った。


「ウ、ガアア……」


 遜美も灰色の顔で、ガタガタと震えていた。


「出るわけないよ」


 と私は答えた。


「科学的に考えるんだよ。お化けなんかいないよ。正確に言うと、わざわざお化けであると解釈しなければならないことなんか、ないんだよ。科学的に説明のつく現象であれば、そう考えればいいだけのことだし、説明がつかないのであれば、『わからないことがあった』と考えるべきなんだよ。消去法ではなく、お化けが存在するという根拠があったときのみ、お化けがいると考えればいいんだよ。つまりそのような根拠がないから、お化けはいないんだよ」


「何を言ってるのかがわかんないよー」


 カエデはすでに泣きそうになっていた。


「とにかく科学的に考えれば大丈夫なんだよ」


 トンネルに近づくとひんやりとした空気が漂ってくる。


「寒い……。なんで……? 怖いよう……」


「輻射熱だよ。日中に温められた地面の熱が、夜になると放出され、空気が温かく感じられる。ヒートアイランドの原因とも言われる現象だよ。トンネルの中の地面には熱が蓄えられていないから、そこから流れてくる風が相対的に冷たく感じられるだけだよ」


「そんな説明を聞いても温かくはならないよう……」


 ぎゅっとカエデが私の手を握った。


 トンネルの中へ入り、懐中電灯をつける。

 しばらく歩くと、左側の壁に、大きな亀裂が見えた。


「本当に……洞窟があるよう……」


「噂は本当だったんだね」


 私はカエデと遜美の手を握った。

 ほかの五人も同様に手を繋ぐ。

 こうして全員が手を繋ぐと、六角形を作ることになる。


「よし、このまま進むよ」


「歩きにくいよう……。この隊列はなんなの?」


「ハニカム構造だよ」


 私は答えた。


「蜂の巣など、自然界にも見られる、衝撃耐性と強度に優れた合理的な構造だよ。正六角形を組み合わせて形成されるよ。洞窟の中に入るときも、この構造を保つことで強度を確保するという、合理的な作戦なんだよ」


「私たちは平面充填しているわけじゃないから、この隊列はそれほど合理的じゃないよう……。歩きにくいだけだよう……」


 たしかに、と私は思った。

 だが何もやらないよりは、不安が紛れる。


「待って……」


 カエデが立ち止まった。

 腕が引っ張られる。


「私たち、手を繋いでるよね……。両手が塞がってるよね……。なのに、なんで……。懐中電灯を持てるはず、ないよねえ……」


 洞窟を照らす白い明かりを見つめながら、震える声で言う。


「ヘッドバンドで懐中電灯を固定しているだけだよ」


「あ、そっか……」


 私たちは正六角形を維持しながら洞窟を進んだ。


 ピキン、ピキン。


 不思議な音が聞こえる。

 水滴が落ちる音とは少し違う。

 自然のものとは思えないような、金属が軋みをたてているような。


 ギ、ギ、ギィ。


 また違う音が聞こえる。

 生き物……だとしても、聞いたことのない音だ。

 巨大な生き物が、息を潜めようとして、それでも漏れてしまったとでもいうような、不気味な音。


「何これ……。何かいるよう……」


「いないよ。フラッターエコーだよ」


 私は洞窟の天井を見上げながら言う。


「音が繰り返し反射することで、本来聞こえるはずのものとは別の、独特な音が聞こえる現象だよ。閉鎖された空間、音を反射する硬い材質の床と天井など、条件はあれど、意図せず建築物のなかで確認できることもある現象だよ。洞窟の天井が緩やかに湾曲しているから、反射した音が戻ってきてまた反射してを繰り返して、フラッターエコーが発生しているんだよ」


「でも、生き物みたいな声だよう……」


「そりゃあそうだよ。日本では『鳴き竜』とも呼ばれている現象だよ。生き物の声に聞こえるのも当然だよ。もとは水滴が落ちる音か、私たちの足音だよ」


 私の言葉に返事もせず、カエデはフウフウとちいさく息をはいている。


 ふと、頭上に視線を向ける。

 私の首の動きにあわせて、懐中電灯の光が、天井を照らす。


 白いフワフワしたものがいた。

 ゆっくりと動いていく。

 天井の一画を埋めつくし、どれだけいるのかわからない。


「何、あれ……!? あんなの普通じゃないよう……。見たこともない生き物がいっぱいいるよう……。お化けだよう……」


「違うよ」


 私は首を振った。


「洞窟内の生物は、独自の進化を遂げている場合があるよ。光がないために視力を失ったり、身体が白くなったり。天敵が少なく栄養に乏しいために動きがゆっくりになったりもするよ。環境が特殊だから、地上の生き物とは違う生態をしていても不思議じゃないんだよ」


「そうだとしても不気味だよう……」


 まあそれはそうか、と私は思った。


 少し進むと洞窟が広くなる。

 広がった空間のなかで、無数の白い帯のようなものが、クネクネとうごめいていた。


「もうこれは間違いなくお化けだよう……。絶対に生き物じゃないよう……。浮かんでるよう……」


「チンダル現象だよ」


 と私は答えた。


「たとえば霧の中にいるとき、光は通過しているのに、その通り道の空間が発光して見える、こんな現象のことだよ。朝の早い時間や登山をしたときなど、チンダル現象を目にしたことは、誰にでもあるはずだよ。霧に限らず散乱系を光が通るときに見られるよ」


「でもクネクネ動いてるよう……」


「どこかから入ってきた光が水溜まりの揺れる水面に反射して、こんな光景を生み出しているんだよ。それ以外に考えられないし、考える必要もないよ」


「そうかもだけど……。なんで洞窟のなかが散乱系なの……」


 不満げな表情で足を進めようとしたカエデの顔色が変わる。

 遜美の顔色も灰色になった。


「あれ……」


 手だった。

 人間の白い手が、洞窟の壁から、つき出しているのだった。


 手だけではない。

 肩、首。

 次第に全身が、壁のなかから現れてくる。


「壁……通り抜けてるよう……」


「もちろんトンネル効果だよ」


 私は落ち着いて言った。


「量子力学の世界では、粒子は確率的に存在する。この粒子が壁の向こうに存在する確率を否定できないとき、壁を通り抜けてしまうんだよ。感覚的には納得がいかなくても、確かに観測されている現象なんだよ」


「でも量子力学の世界じゃないよう……。マクロな世界は古典力学で解釈するべきだよう……」


 私たちが言いあっているあいだに、その人物は壁から全身を抜け出していた。


「真っ白だよう……」


 着ているものも白いが肌は特に白い。

 まるで死んだ人間のように。


「洞窟内の生物は身体が白くなることがあるよ。さっき言ったはずだよ」


「それはこの場合にはあてはまらないよう……」


 白い人物が顔をあげる。

 視線が合った。

 しっかりと、私たちを捉えていた。


「に、逃げるよ!」


 本能だろうか。

 私たちは恐怖を感じて、一斉に駆け出していた。

 もうハニカム構造を保つことはできない。

 ばらばらに、洞窟の出口を目指す。


「いやああ、追いかけてくるよう……。追いつかれるよう……」


「絶対に止まっちゃダメだからね。止まらなければ、追いつかれることはないんだよ」


「なんでえ……?」


「いま私たちがいる場所をA地点とする。背後の人物がA地点に到達したとき、私たちはB地点に到達している。同様にB地点に到達したとき、私たちはC地点に。これを繰り返すとき、私たちが背後の人物に追いつかれることはないんだよ」


「ゼノンのパラドックスう……」


「そう。理論上は追いつかれることはないから、大丈夫」


「経験則上は、追いつかれるよう……」


 そうは言いながらも、私たちは必死に足を動かし、なんとか洞窟を抜けて、廃線となった駅まで戻ってきたのだった。


 ギリギリだった。

 A地点からB地点と移動していき、最終的にはn地点へと移動し、私たちの移動距離は正の無限大に発散していたのだった。


「でも、なんとか、なったね」


 誰も欠けていない。

 有出薔薇蘭と理蹴、知臼は、ハニカム構造を形成するための数合わせでしかなかったが、それでも無事でいてくれたのは嬉しい。

 遜美も灰色の顔で、「フガッ、フガッ」と息を切らしていた。


 ペタン、ペタン。


 音が聞こえた瞬間に、私は悟ってしまった。

 私たちはたしかに洞窟のなかから逃げ出した。

 だが、洞窟から出れば安全だとは、誰も言っていない。

 止まったら、追いつかれるのは当然なのだ。


 ペタン、ペタン。


 カエデが泣きそうな顔で私を見つめる。


「絶対に、振り返っちゃダメだよ」


「なんで……」


「シュレーディンガーの猫だよ。観測するまでは存在しないんだから、観測しなければいいんだよ」


 カエデが涙を浮かべながら首を振る。


「違うよう……。シュレーディンガーの猫は、『観測するまで存在しない』じゃなくて、『観測するまで確率的に存在する』だよう……。それに私たちはすでに音で、観測してるんだよう……」


 たしかに、と私は思った。


 そして何かがおかしいとも思った。


 何か、普通ではないことが起きている。



 カエデを見つめる。



 不思議そうな顔をしている。



 違和感は強くなる。




 時間が、遅くなっている




 常識的に考えればそんなはずはない。




 だが、たしかにそう感じられる。





『走馬灯』という言葉が浮かび、しかし私はそれを否定する。





 走馬灯なんてあるはずないのだ。





 時間はそう簡単には遅くならない。






 時間を遅くするには空間をゆがめなければならない。






 人が死ぬくらいで、そんなエネルギーを生み出せるはずがないのだ。






 エネルギー。






 そういえば、と思う。






 私たちはゼノンのパラドックスによって、時間と距離を繰り返し分割した。







 一回の分割は方程式に項をひとつ増やすくらいの、わずかなエネルギーによるものだったとしても、私たちは無限に繰り返したのだ。








 無限に繰り返したがゆえに、そのエネルギーは莫大なものになったはずなのだ。








 私たちはそのエネルギーを放置してしまった。








 それがどこに行ったのか。








 もうわかった。









 時間がさらに遅くなり、私の身体が引き寄せられる。









 空間がゆがんでいる。









 私たちが生み出してしまったエネルギーが空間をゆがませ、そして重力という形をとり、私を引き寄せ、ある一点へと収束していく。










 その先にあるものは、たとえば物語の最後に必ず記される句点のように、私に逃れようのない結末をもたらすものなのだろう。

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